第9話 長身の男と

 十分ほど経っただろうか。突然、静寂は終わりを告げた。

 ドアが開いて、暗い薄墨色のスーツを羽織った長身の男が室内に入ってきたのだ。黒縁の眼鏡が尖った視線を浮き立たせている。どうも好きになれない顔だ。

 「いや~お待たせしてすいません。ちょっと本部のほうに呼び出されていたもので。」

 そう謂いながら、長身の男はソファにゆっくりと腰を下ろした。机上に帽子を放り出す。

 「ああ、そうやったんか。わざわざ、お忙しいところをすいません。」

 遠藤は丁寧に返事をした。型にはまったタメ口ときている。言動さながら立ち上がり、鄭重ていちょうに頭を下げた。つられて、澄川も頭を下げる。こんな奴にペコペコするのはどうも癪しゃくだが。

 「いやはや、ご丁寧にどうも。私、夔夜叉会で幹部を務めております佐々木勝平いいます。」

 佐々木はポケットから名刺を取り出して、遠藤に渡した。遠藤と澄川も同じように胸ポケットから名刺を出した。

 「警視庁、組織犯罪対策第一課第七係で係長やってる、遠藤恭介です。」

と謂って名刺を差し出した。幼稚園児のおゆうぎ会みたいなムードだ。

 ヤクザも名刺持ってるんだなあと感心しながら、マニュアル通りに謂って、澄川も名刺を突き出した。

 佐々木はそれぞれの名刺を受け取ると、フンと鼻を鳴らして、机上の名刺入れの上に名刺二枚を置いて、二人にソファに腰掛けるのを促した。礼儀はなってるらしい。さすが幹部のことだけはある。だがどうしても気に食わない。

 「今日はどういった御用件で?うちの組員がなんかやらかしましたか。」

 やたら低い腰だ。おもわず、二人は顔を見合わせた。ヤクザとはこういうものだろうか。

 「いや、やらかしてはないんですわ。悪いけどこっちはこれから、そっちの組員さんがなんかやらかす思てね。それでこうして、事務所まで来てますねん。」

にこやかにそして、少し警戒しながら遠藤は言った。その整った姿勢からは恐怖心を微塵も感じさせない威圧感のようなものがあった。

「うちも評判が悪いですなあ。安心してください。うちの組の者はなんも、警察の方に迷惑かけるようなことはひとつも考えてませんわ。なんに皆、平等に頭、悪いので。」

姿勢は崩さず、不適な笑みをこぼしながら言った。なにも論破したわけじゃあるまいし、おかしな男だ。

「やけどね。佐々木さん。我々、第七課に一回、目つけられたら、終わりやよ。どうですか。組員やなくてもあなた自身はなんもいらんこと考えてへん、て胸張って言えますか。」

一瞬、佐々木の目は鋭くなったが、すぐに穏やかな表情に転じ、他にはなんの変化も見られなかった。隙のない奴だ。少し、遠藤は感心した。

「ご冗談を。私はなにもやましいことは考えとりません。神にだって誓えますよ。」

「神さん盾にまわせれるようなったんやね。えらい身分になったもんや。」

佐々木の顔に影が落ちた。その表情を澄川は見逃さなかった。ちょっと皮肉ってみたのがまずかった。

「それで御用件は?それで終わりですか?こちとら仕事があるもんでね。」

機嫌悪そうに貧乏揺すりをしながら、佐々木は謂った。少々、俯いて表情は窺えなかったがどうやら面倒くさがっている様子である。

「この組に橘いう男がおるでしょう。それをちょっとお借りしたいんですわ。」

笑顔を保って、遠藤は謂った。無論、目は笑っていない。

「いいですよ。もし、そいつに何もなかったらどうします?」

目を薄めて、遠藤は笑った。ちょっとした嘲笑にも似ているが、佐々木は気にしなかった。

「あんたらが釘刺すくらいなんやから、何か隠し事あるでしょ。そういうのは素直に通すほうがかえって、あやしまれへんねん。まだ青いな、君も。」

 終始、遠藤はにやついていた。傍から見たら気味が悪い。佐々木はそれが気にくわない様子だった。会話当初と違い、苛立ったような素振りを見せながら、血走った目で遠藤を凝視している。

「極度の挑発はまずいですって。殴られたりしたら、元も子もないですよ。」

 不安そうな顔で澄川は静かに謂った。本気で澄川は心配しているようだ。

「大丈夫だって。ちょっとした皮肉の一つや二つで怒ってたらきりがないことくらい、あいつらの脳でもわかるだろ。」

 嗜たしなめるように遠藤は言った。遠藤の余裕たっぷりの表情がうかがえる。

「ヤクザの考えてることなんてわかりますか?遠藤さんの部下だってヤクザに殺されたんでしょう?」

 遠藤は澄川のその問いに応答しなかった。歪んだ表情が見えた。この言葉は禁句だったと澄川は咄嗟とっさに身を引いた。

「ともかくですね。我々は橘いう男の足取りを追ってるんで。どないかしてくれへんもんやろか。」

 佐々木の方に向き直った遠藤が言った。澄川はヤクザが仲間を売らないだろうとたかをくくっていた。

「いいですよ。橘なら難波にでもおるでしょうから、本人と都合、合わせれますよ。」

 佐々木は包み隠さず、そう言い放った。澄川は少し驚いた。意外な反応だ。佐々木が嘘を吐いている様子も見受けられない。多少、佐々木が苛立っているのは解ったが。どうやら話を早く切り上げたいようだった。

「ほんまですか!そりゃ助かります。早速、電話かけてもいいですかね。」

 こんなにも早く、他の情報を聞き出せたのだから捜査は順調に進んでいる。遠藤はほくそ笑んだ。

「今、事務所にはおらんと思うんでかけても無駄です。あと、もうここには来こんといてくださいね。あいつは浪速の事務所配属ですからここ来ても、会えないでしょうし。」

 やはり警察は嫌っている様子だ。

 「じゃあここに浪速の方の事務所の番号、書いていただけますかね。」

 佐々木は二つ返事でこれを承知し、澄川の差し出した小さなメモ用紙に書くと席を立った。

 「じゃあ、私はこれで。」

 澄川が佐々木の発言と同時に立った。起立に伴って、

 「最後に一つだけよろしいでしょうか。」

と澄川は叫んだ。ビルが反響するように大きいトーンだった。遠藤が腰辺りで馬鹿と小声で澄川を叱った。どうやら澄川の発言には、おおよその察しがついているらしい。

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