5

 家に着きましたよっと。

 夕日はなんでこんなに綺麗なんだろう? 

 青色の空と夕日が混ざり合っているのにぶつかってない。

 うーん、いつまでも空を眺めてても仕方ないし、家に入りますか。鍵、鍵。

 家のドアの前まで歩きながら、ポケットの中を何度も探った。


 あれ、鍵がない。おかしいな、まさかどこかに落とした?

 ドアの前でしゃがむと、背負っていたリュックの中を漁り始める。

 ドアの前でもたついていると空き巣に思われないか心配になるんだけど、他の人、見てないよね?

 あれ、本当にない?

 リュックのポケットを一つ一つ、開けていく。

 あっ、鍵、あった。

 リュックの内ポケットになんて入れた覚えないんだけどな。

 取り出した鍵を穴に差し込んで回した。

 鍵を抜くと、ドアを開けて、家の中に入った。

 やっと家に入れた。

 指紋認証ドアとかになれば便利だと思うんだけど、あれはあれで、セキュリティはどうなっているんだろう?

 お母さんの靴がない。そういえば、買い物に行くって言ってたか。

 靴を脱ぐと、廊下を歩いていき、ダイニングに入った。


 ダイニングの隣にあるリビングのソファにお父さんが座っていた。

 本読んでる。ゲームじゃないのか。

 お母さんが読んでた本を読んでる? お母さんは買い物?

「ただいま」

「おかえり」

「お母さんは? 買い物?」

「買い物ならさっき行ってきたよ。少しお散歩してくるって」

「ふーん、ありがとう」

 とりあえずコーラでも飲もう。

 キッチンに移動して手洗いうがいをした後、冷蔵庫の扉を引いた。

 あれ、コーラがない。

「お父さん、コーラ飲んだ?」

「飲んだ。もしかして、いけなかった?」

「いけないことはない」

 いいか、たまには水を飲もう。

 食器乾燥機にあったグラスを手に取ると、水道のレバーを動かして、流れていく水をグラスで汲んだ。

 両親や友達と相談してみなさい、か。それができたら苦労しない。

 喉まで出かかっても最後の一息がだせない。それ以上動けなくなる。これはどうしようもない。それにやっぱり甘えたくない。

 でも、亀のような一歩でも、変われるきっかけになるのなら。とりあえず、気楽に話すところから始めよう。

 レバーを戻すと、水を飲みながらリビングに歩いていった。

「お父さん、その本、お母さんの?」

「んっ? そう。読み終わったと言っていたから借りた」

 お父さんは本を閉じると膝の上に置いて、こっちに顔を向けた。眼鏡をかけていた。老眼鏡?

「おもしろい?」

「読み終わっていない人にそれを聞くの?」

 たしかにそうだ。世の中にはラストで評価が一変する作品も結構あるし、聞くべきではなかったか。

「それもそうだね。今日はゲームじゃないんだ?」

「ゲームばかりしていると疲れるからね」

「好きなのに?」

「どんなに好きなことでも、長時間続ければ辛くなるよ」

「好きなものは飽きないって聞くけど?」

「それが好きでいる自分に執着している人達が、ネガティブな思考の兆候を見てみぬふりするために言っているか、本人も気づいていないか、どれでもない例外か。大半の人には、飽きるという現象が必ずやってくる」

「そういうものかな?」

「別の可能性を模索する期間に入ったというだけだから、決して悪いことじゃない。一旦離れる。飽きたとしても、好きだという気持ちは変わらないのにね」

 お父さんの隣に座っているソファの隣を一瞥した。

 なんでなのかわからないけど、隣に座るのは、ちょっと抵抗がある。

 ダイニングテーブルのイスに座った。

 しすぎて嫌になるから、一時的に飽きるだけ?

「でも、離れているうちに忘れちゃわない?」

「だから良いんだよ。初心に戻れる。それに、少し離れたくらいでまったく使い物にならなくなるのなら、その程度だったということだよ。心技体揃っているなら、そう簡単に何もかも忘れることはできない」

「じゃあ、離れているうちに様変わりしていたら?」

「それはそれで好都合じゃないかな? 変化点を探す楽しみがある。少なくとも、変化がなくなってしまうよりよっぽど良いと思うけど」

「そういうもの?」

「僕はそう思ってるよ。寄り道から得られるものは非常に多い」

「なんか現代人ぽくない」

「そう? 娯楽が幾多ある現代だからこそいきる方法だよ。たまには後ろ向きに進んだり、カニ歩きも楽しい。

 一度離れて、別のことをする。そうして戻ってくると、前とは違ったところを見つけることができる。それはわかりづらい変化かもしれないけど、それが楽しいし良い」

「わかりやすいほうが良くない?」

「少し変わったくらいの変化のほうが好きかな。ゆっくりと研究して楽しめるし、そのほうが余韻がある」

「それって不便が好きということ?」

「そういう実感はないけどそうなのかもね。でも、便利なことは良いことだとも思ってるよ」

 頭がぐるぐるしてきた。

「わけがわからない」

「逆に聞きたいんだけど、わかりやすいことと便利であることは関係があるの?」

「関係あると思う。便利であるということは、したいことを効率よくできるということでしょう? シンプルであれば手間がかからなくて効率が良い。それは便利だと言わない?」

 自分で言っておいてなんだけど、なんとも言えない違和感がある。違和感の正体がわからないのがもどかしい。

「たしかにそうだね。新しい発見だ」

 お父さんが納得するなんて珍しい。いつもは言い負かされる側だから新鮮だ。

「シンプルなのは好きだけど、わかりやすすぎるのは好みではないかな」

「なんとなくわかるよ。簡単すぎるのはおもしろくないってことでしょう?」

「試行錯誤の楽しみがない…」

 そんな不満げに言われても困る。

「でも、難しすぎると時間がかかってやる気がなくならない?」

「やる気がなくなったらやめれば良い」

「それだと投げ出したみたいにならない?」

「無理やり続けても楽しくないし、効率が下がるだけだと思う。証が欲しいの? 達成感が欲しいの?」

「うーん、両方じゃない?」

「手がかかるものほど可愛いって、こういうことなのかな」

 ちょっと違うと思う。


「話は変わるけど、お父さんはなんでお母さんと結婚したの?」

「成り行きかな」

「えっ、そんな適当なの?」

「付き合ってはいたけど、お互い、結婚へのこだわりはなかったからね」

「へー、お父さんが結婚反対派だったのは予想通りだけど、お母さんは意外」

「反対派ではないよ。そういう二極的で一方的な見方は感心しない」

 声が冷たかった。もしかして、地雷だった?

「ごめん」

「僕もごめん。少し感情的になった」

 やっぱり怒ってたのか。相変わらずわかりづらい。

「結婚に反対ではないよ。僕達の場合は、結婚する理由が見つからなかっただけだよ」

 どういうことだろう? 続きを聞きたいけど、珍しく怒ってたから聞きづらい。

「じゃあ、お父さんはお母さんのどんなところに惹かれたの?」

「気が合った。後、何度飽きても飽きなかった」

 さらっと即答されるとは思わなかった。もう少し考えると思ってたのに。

「それどういう意味?」

「あれっ、わからない? 一緒にいたくなるから」

 お父さんは、すごく驚いたような声だった。

 試されてるかと思ったけど、本当に驚いているみたいだから、たぶん、あれでわかると思ったんだろう。抽象的すぎてわからない。

「なんで一緒にいたくなるの?」

「難しい質問だ。一晩考えさせてもらって良い?」

「駄目。できれば今すぐ答えてほしい。お母さんに相談されても困る」

 自分でもなんでそう思うのかわからないけど、そういうことをされると困る。

「相談されると困るの? うーん、一緒にいて楽しいし落ち着くから、かな」

 それは友達や親友とはどう違うんだろう?


「えーっと、なんかわからないから保留。じゃあ、お父さんとお母さんの馴れ初めを教えて」

「馴れ初めは……、たしか最初はお母さんのほうから話しかけてきたんだよ」

「うん、違和感ない。お父さん口下手だもんね」

「えっ、そう? そんなことないと思うんだけど」

「絶対そうだと思う。いつもわかりづらい」

「まあ、いいか。話を戻そう」

「一ヶ月に一度、指定の本の読書感想を行おうという趣旨の、本好きのための集まりがあったんだ。なんでその集まりに参加することになったのかは忘れたけど、そこに何回か参加していたら、

『片付けが終わったら、喫茶店で本の話の続きをしませんか?』とお母さんに誘われた。時間もあったからついていった。終わり」

「それで終わり?」

「うん。率先して輪の中に入っていく人だったから、受付とかで軽い面識はあったけどね。あるだけで直接話したことはなかったはずだから、最初は変な人だと思ったよ」

 たしかに、そこまで親しくない人にいきなり喫茶店に誘われたら怪しく思うのは普通の反応だと思う。

「お母さん、話好きだもんね」

 勧誘の人と一時間以上話した後に、きっぱりと断っているところを見て確信した。

「そうでもないと思うよ」

「えー、絶対そうだと思うけど」

 話好きでなければあんなことはできないと思う。

「無理をしやすくて、変なところで夢想家なところがあるだけだよ。そこが◯き◯ん◯」

 心なしか、声が温かい。最後のほう、うまく聞き取れなかった。

「今なんて言ったの?」

「秘密。自分で想像してみて」

 想像してわかるわけない。

「じゃあ、一緒に喫茶店に行ったということは、少しはその気があったってこと?」

「そんな気はなかったよ。本当に物珍しさでついていっただけ」

「えー、そんなものなの?」

「意外にそんなものだよ、出会いって。だから、手を差し伸べないと始まらないし、手を伸ばし返さないと続かない」

 お父さんは、自分の右手と左手で一人握手のようなことをしている。相変わらず、よくわからないジェスチャー。

「友達があまりいなさそうなお父さんが言っても、説得力ない」

 あっ、まずいこと口走ってしまったかもしれない。

「僕は慎重なだけ。いろんな人間がいるから、ちゃんと選ばないと。目先の利益のために騙そうとする人間が数多くいる世の中だから」

 特に怒ってないようだ。

 もっともだと思うけど、お父さんの場合は個性的すぎるからでは? 変わった発言が多いし。

「でも、お母さんにはついていったんでしょう?」

「うん、悪い人には見えなかったから」

 けっこう適当なんではないかと思う。

「良い人と悪い人って何を基準にしてるの?」

「僕の直感。ひらめき。迷ったらこれだよ」

 漫画の迷探偵が言いそう。やっぱり、お父さんとお姉さんは似ているのかもしれない。言うことが似ている。

「勘だけで選んだの? それはさすがに適当すぎない?」

「そう? 自分のひらめきを信じるのは大切だよ」

「大きなこと言って、失敗する人が言いそうな台詞」

「過信は禁物だから、使いどころが重要だとは思う。それと、自分を信じられない人に他人を信じることはできない。そういう人は、直感に頼らないほうが良いと思う」

「なんか妙に具体的じゃない?」

「経験談。直感に頼るというのは、目が曇っていない時に使って初めて真価が発揮される。疑心暗鬼に陥っている人には無用の長物だよ」

「ふーん、どういう時が目が曇ってない時なの?」

「自分から目を背けない正直者でいる時だと思う。正直者は馬鹿を見るかもしれないけど、本当に大事な場面で失敗しない」

「なんで、失敗しないと言えるの?」

「恐怖と共にあるからじゃないかな」

 恐怖は跳ね除けるものじゃないの? あんまり突っ込むのは野暮かな。

「じゃあ、お父さんは正直者ということ?」

 直感でお母さんについていって、今は仲の良い夫婦生活を送っているみたいだし。

「お母さんに対しては正直者のはずだけど、それ以外はどうだろう?」

「自信ないの?」

「正直者ってどんな人だと思う?」

「嘘をつかない人でしょう?」

「その通り。人は時と場合によっては自分さえも騙すことがある。だからお母さんのこと以外では、僕は断言はできない」

 自分さえも騙すか。

「最近、何かあった?」

「どうしたの、突然?」お父さんが心配してくるなんて珍しい。声が変になってしまってないだろうか?

「いや、なんとなく。ごめん、なんでもない」

「大丈夫。ありがとう」

 少しもやもやとしたすっきりしない空気が漂っているように思う。もしかして、真面目に心配してくれていた?

「ちょっと自分の部屋にいるから」グラスを持って、席を立ち上がった。

「わかった。お母さんに帰ってきていることは伝えておく」

「ありがとう」

 ちょっと疲れた。なんだかやけに疲れやすいような気がするけど、気のせいかな?

「迷い鳥は行方知れず。悟り鳥もまた行方知れず。大同小異。熟視すべきか否か」

 また変なことを言ってる。水も残っているし、部屋に持っていこう。部屋が汚くなりそうで怖いけど、たまには良いか。

 本の世界に戻っていったお父さんを横目で見ながら、歩き始めた。

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