第37話 聖女の墓標

 


 フラッシュバックするのは、あの日の光景――


 真みどりの芝生に膝をついて、白い膝小僧を汚し、冷たい茶色い色をした四角く掘られた穴の前で、僕は聖女様の美しい髪の毛と同じ白色に塗られた、木箱にしがみつき泣いていた。


「おねがい、おねがい聖女様を埋めないで」


 短い子供の両手を精一杯広げて、聖女様の入った棺にしがみつき、泣いて父に訴えかけていた……

 それは、まだ家族なんてものが居た頃の、聖女様を埋葬する時の記憶だった――



 葬式に出席したのは父と兄と僕だけだった。他には誰もいない。

 彼女はこの国の聖女なのに、王族一人どころか、教会の司祭程度ですら居はしない。まるで秘密裡に行われるように平民も使う教会を貸し切り、屋外にある墓場で、僕は棺にしがみつきずっと泣いていた。


 僕のほかに、棺に花を供える者は義務的にやってきた父と兄だけ、たくさんの花で聖女様が愛されていたことを天国にいる天使たちに教えてあげたいのに、それすらできない。

 手先が緑色になるまで摘んだ野花をたくさん棺に入れて、聖女様がなぜか大切にしていた、ガラスと鉄を張り付けた手帳ほどの大きさのも入れた。

 でもそれだけじゃ、聖女という身分の女性を天へと見送るのには全然足りない。


「なんでみんな聖女様を嫌うんだ、この人は何もしてないんだ、なのになのに」


 棺桶にしがみつき、僕は必死に訴えた。

 兄のブロルドはわずらわそうに眉を寄せて「いいかげんにしろ」と僕を小突く。


「だからだろ馬鹿かお前。あの役立たずの聖女は何もしなかったんだ、むしろウチに長い間置いてやったことに感謝すべきだ」

「ふざけないで、この人は! この人は!!」


 声を荒げる僕と、小馬鹿にする兄の間に割って入り、父が少し眉を下げながら淡々と言う。


「レオナルド、お前が聖女を大切にしていたことは分かっている。

 だから葬式にも連れてきた。本来ならば党首である私と次期党首のブロルドしか認めないと、王に言われたが連れてきたのは、お前が聖女を慕っていたからだ」


「でも、でもいやだ! こんなのこの国の聖女に対する扱いじゃない!!」


 庶民も利用する小さな教会の裏手にある墓場で、僕は泣きながら聖女様の墓標を指さして叫ぶ様に父に訴えかけた。


「墓石にはって肩書すら書かれてないじゃないか!!

 肩書もない苗字すらない! 墓は平民が使うボロ教会じゃないか!!


 これじゃあただの平民だ!

 知らない世界に突然呼び出されて、閉じ込められて、それだけじゃなく死後の尊厳まで奪うのか!!!」


 いやだ、おねがい埋めないで……あの人をこんなところに一人にしておかないで、僕の大切な人なんだ、大好きな人なんだ、沢山のことを僕に教えてくれた、幸せというものを教えてくれた、僕の世界でたった一人の愛する人なんだ。


 僕は泣きながら父に縋りついた。

 後にも先にも、これほどまでに父を頼ったことなんてなかっただろう。



 けれど父は受け入れなかった。



「これは私が生まれる前から決められていたことだ。

 聖女が前の王に働いた無礼は許される事じゃない。それが引き金で小規模だが反乱も起きた」


「だからあの人の存在を抹消するのか!」


「そうだ、理解しなさいレオナルド」


 理解なんてできるわけがない。

 首を横に振ることしかしない僕に、聖女様のことを何も知らない父は眉尻を下げるだけだった。兄はいつものように下品な笑みを浮かべている。


「父上、別に埋めなくてもいいだろ、レオナルドの部屋に置いといてやろう。なんなら俺が糸で吊って動かしてやろうか? 生き返ってほしんだろ?」


「ブロルド少し黙れ。レオナルドよく聞くんだ……

 死んだ人は腐る、王から許された墓はここだけだ。ここに埋葬すれは、聖女の肩書はなくても誰かに丁重に弔われた市民のように見えるだろう。


 だがここ以外なら?  埋める場所はない教会も墓の提供はしない。お前の好きな人を野ざらしで腐らしていいのか?」


「いやだ……」


「だからここに埋めるんだ、ことを祈って」


 納得せざるを得なかった。

 野ざらしになんてすることは出来ないから、私有地にだって王が許さないのなら遺体を埋める事はできない。父も許さないだろう。

 だから尊厳さえも奪われた聖女様に、僕は何もすることが出来なかった。


 教会の人間が四角い穴に棺を入れるのを、土をかけていくのを、僕はずっと見ていた。

 父と兄が先に帰ると言って立ち去ったあと、日が暮れるまで、御者に抱きかかえられて無理やり家に連れ帰られるまで……


 僕はずっとずっとが埋まった場所を見ていた―――






「おっおい、大丈夫か!?」


 ニューマンに声を掛けられてハッと現実に引き戻される。


 頭の片隅にチラつくのは聖女様の様子。使えないからと、死後の尊厳すら奪い捨てられた人、きっとあの冷たい土の底で、今、目にしている人達と同じように、腐りはててしまっているのだろう。

 その事実に頭が追いつかなくて、吐き気と共にガンガンと脳みそを打ち付けられるような苦痛を感じる。


 ニューマンは僕が隙だらけの時に何もしなかった。いや、不気味に思ったのかもしれない。

 地面に掘られた穴に、半分だけ埋められた野ざらしのような状態で、全裸のまま放置されている人達を見たまま、僕は動くことすらしなかったのだ。

 僕が隙だらけの時に逃げなかった事だけは褒めてやりたいと思う。


「牢屋に居たようなはここにはいないね」

「あっあぁ、あいつらはほぼ売り物だから……こいつらは、その」

「売り物にならなかったから殺されて埋められたのかな?」


 ニューマンの顔がこわばる。

 僕はいつもと同じように淡々と聞いているだけだ、けれど彼は何かを感じとったのだろう。


「売り物にならなかったのか、見た目が悪かったから、魔力がなかったから、歳をとっていたから、だから殺した後……


 尊厳を全て踏みいじって、服すらいでここに遺体を捨てたのか」


 自分の口から出る声が、まるで自分の物ではないかのように冷え切った声色をしていた。


「お、おれは、おれは新入りだ、俺は殺してねぇ」


 じわりとニューマンの目には涙がにじみ、慌てて振り切れんばかりに首を横に振り否定をする。


「嘘を言ってもわかるんだよ、全員に同じことを聞くからね」

「嘘じゃねぇ嘘じゃねぇ、俺は埋めただけだ、埋めただけで」


 ニューマンは必死に弁解をする。確かに殺してはいないのだろう、新入りだと仲間に呼ばれていたし、雑用を押し付けられ、死体を埋めるのが彼の仕事だったのだろう。

 けれど……頭の中で聖女様が土に埋められた日のことを思い出すと、どうしても、どうしても、心の奥の方から湧き上がってくる真っ黒なモノを抑えられなくなる。


「ひとつ、君に質問を忘れていたよ、ニューマン」

「俺は殺してねぇ信じてくれ!」


 僕は盗賊頭に聞いたように、ニューマンにも問いかけた。



「聖女様のこと、好きか嫌いか、どっちかな?」



「すきだ!! そんけーしてるぜ!! もちろんだ!!」


 必死なニューマンを見ながら、僕は埋められた死体たちを指さして。

 無表情で言った。


「彼らと同じところで反省してね」


 ニューマンの顔がさっと青くなる。今からされる事を予見してか、わたわたと涙目になって慌てている。

 涙を流しながら必死に縋りつくニューマンを見ても、不思議となにも思うことはなかった。

 泣かれれば弱いと自覚しているけれど、今回ばかりは心が揺れることはない。


「おれ! 好きって言ったぞ!! なのになんでっ」



 彼は僕がした質問を何か勘違いしているようだ。



「最初から言ってたろ?


 ――――ただの質問だよ」



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次回:トーズの決意と汚れた手

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