第17話 ミルク一杯の命



 案内されたのは、裏路地の奥の奥、腐臭漂う薄い板で仕切られただけの、家とも部屋とも言えないような場所だった。

色々なものが混ざりあった酷いにおいの中に、茶色くなった毛布を何枚もかけられた、子供が居た。


「起きてる? 大丈夫かい?」

「今起きたよ、たくさんご飯食べさせてくれたでしょ、もう痛くないの、元気になったよ」

「君、動けないんだって? どこが痛かったか見せて」

「おにいさんだぁれ?」

「ジェリーとトーズのお友達だよ」

「「違う」」


 仲のよさそうな2人の声がそろったのを無視する。

 薄汚れたその子は、自分にかかっている毛布をペラリとめくりあげて脚を晒した。


 それは酷いものであった。


「……」

「ど、どうだい? 治せそうかい?」

「僕から盗ったお金で、牛乳を買ってきて」

「牛の乳って高級品じゃ……」

「それでも命の価値には劣るよ」


 その言葉を聞いたジェリーは衝撃を受けていた。

 今まで"自分たちの命が牛の乳より価値がある"なんてことを考えもしなければ、他人から言われたことなど、当然無かったからだ。

 計算なんて難しいことは出来なかったけれど、牛の乳はジェリーにとって高級品だ。牛の乳を買う金があれば麦や豆がたくさん買えるだろう。りんごだって抱えきれないほど買えるはずだ。

 りんご1つ盗んだだけで殺されそうになるまで殴られる自分たちが、金を盗もうとし自分たちを敵視していたはず男の子にとっては、牛の乳より価値があるというのだ。


 自分たちを牛の乳より価値があると言ってくれた人に対して、盗みを働いてしまったことに、他人のものを盗んで生活してきて、初めて、凄く恥ずかしい事をしたような気持ちになった。

 そして同時に、ぎゅっと胸が締め付けられるような、名前の付けられない想いを感じた。


「分かった買ってくるよ」

「うんお願い。トーズは真っ直ぐな木の棒と綺麗な布を持ってきて、たしか固定しなきゃいけなかったはずだから」


 ジェリーが走り去った後に、僕がトーズに向けて言うとトーズは静かに頷くと、早足で動き出した。真剣な表情からはもう僕に対する敵対心のようなものは感じられなかった。

 2人が居なくなったところで僕はその場にしゃがみ込むと、あらわになっている患部をじっと見つめた。


「何で脚に怪我をしたの?」

「岩を落とされた、干し肉を盗んだのがバレて」

「そっか、押しつぶされたのか……」


 汚い毛布に包まれている子が、痛くないと言っていたのは本当だろう。きっともう感覚がないのだ。

 本格的に治すのなら教会に頼んだほうがいいだろうけど、一応僕には聖女様直伝の治癒魔法があるのだ、応急処置程度にはなるはずだ。


 以前兄専属の使用人であったララリィが、腕を折っていた時のことを思い出す。

 教会の人が家にまで来て色々治療していたのを、僕は好奇心から近くで見ていた。聖女様以外が治癒をしているのが珍しくて面白かったのだ。


 接木を当てて、骨が歪ままないようにしてから、治癒魔法をかけていた。


『坊ちゃんには適正がないかもしれませんが、お怪我をしたときのために知っておくといいですよ。

怪我が長引くのは悪魔による仕業です。治癒が済んだあとは、悪魔に見つからないように部屋から一歩も出ず、窓から離れて過ごしてください。悪魔は水面からも見張っています。飲み水は水面が出来ないように壷から直接飲んでくださいね』


 僕にニコニコと笑いながら説明を終えた教会から来た人は、怪我をしているララリィを無表情で見て「わかったな」と偉そうに言っていた。

 聖女様の言うことと全然違った事を言っていたので、僕は首を傾げると、教会から来た者はハハっと笑った。


『坊ちゃまにはまだ早かったですかな』


 少し馬鹿にしたように言われたので、少し腹が立ったが、頬を膨らませながら聖女様にその日のことを言えば、僕に丁寧に病とはどういうことか、怪我をした後どうなるかを説明してくれたのだ。


「何より衛生環境をどうにかしないとな……」


 ぽつりと青紫色をした片方の脚を見て僕は呟いた。不安げに子供が僕を見上げていたので、怖がらせないために笑顔を向けた。

 骨を折って放置したことなんて無かったから、治し方も手探りだ。細かく砕けてそうな骨を肉の中でなんとか繋げないといけない、かなりの痛みを伴うだろう。我慢してもらわなくてはならない。




***



 泣き叫ぶ怪我人に布轡ぬのぐつわをかませ。

 暴れる腕はジェリーが押さえつけ。

 怪我をしていない方の脚は近くの柱に縛り付けている。

 動く胴は力の強いトーズが抑える。ジェリーが必死に涙を流しながら励ましの言葉を投げかけているのを聞きながら、僕は肉の中で散っているであろう骨くずを必死に繋げていた。


 自分の骨が単純に折れていただけだけなら、ものの数秒で引っ付くのだが、他人のものはやはり難しかった。それでも日が橙色に染まってきそうな頃、やっと治療は終了した。



「ちゃんと骨が引っ付くまでなるべく動かないように、牛乳を飲むと骨にいいらしいから、飲ませて、あと太陽の光にはあたる方がいいよ」


 叫びつかれてぐったりと、動かなくなってしまった子の心音を確認しながら2人言う。

 弱弱しい心音を聞いて、ほっとしたが、僕はなんだか罪悪感や虚無感に襲われた。我が家の敷地内の小屋ですら、この暗く腐臭が漂う路地に比べれば、楽園のような場所だと知ってしまったからだ。


 聖女様の住まっていた小屋に移されてからも、毎朝飲んでいたはずの牛乳ですら、ここに住んでいる子供たちにとってみれば、1人の命と天秤にかけるほど高級品であると知ってしまったのだ。


 疲れ果てて動かなくなった子供を見ながら、なんだか悲しい気持ちになった。

 そしてキリがないとも思った。奥には何人も体調の悪そうな子供たちが、汚い毛布にくるまれてうずくまっているのだ。僕の魔力じゃ単なる一時しのぎにしかならない。分かりやすい怪我なら治せるだろう。けれど病気なら根本をどうにかしない限りは、無意味な延命治療にしかならない。


「ありがとう」


瞳に一杯涙をためてジェリーが僕に礼を言う。

僕が治療を施したのは彼らが嫌う同情心からだったけれど、今はもう別の気持ちが僕の中にはあった。


「いいんだ、僕から盗んだお金の一部はあげるから、それでどうにかみんなの生活を立て直してよ」

「そんな! ここまで良くしてもらって、これ以上は世話になれないよ」


ジェリーは涙をふきながら笑顔で首を横に振る。


「この子を治してくれて、本当に感謝してる。ありがとう。だからお金はいらないよ」


 涙ながらに言うジェリーに、僕は眉間にしわを寄せた。


「他の子たちは死なせる気か?」


路地に冷たく地を這うような自分の声が響いた―――


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