前奏曲

探掘屋の少女

 


 どんっと全身に衝撃を感じて、ムジカは長い落下の終着を知った。


「……げほっごほっ。くっそ、何が政府公認探掘隊だ。探索の初歩も知らない素人のくせに!」


 もうもうと粉塵が立ちこめる中、少女は悪態をつきながら身を起こすと、懐から懐中時計を取り出して文字盤を見る。


「エーテル濃度は中か、まだなんとか大丈夫だな」


 文字盤の発光度合いでエーテル濃度が分かる多機能時計は、黄緑色ライトグリーンの燐光でとどまっていた。あたりが明るいのも、床や天井に生える水晶に似たエーテル結晶から発せられる光のおかげだ。

 エーテルは現在、化石燃料や石炭よりも扱いやすいエネルギーとして普及している。

 だがエーテル濃度が高い場所で長期間活動すれば、吐き気や倦怠感をもよおし意識を失う。結晶が生えている空間では特に注意が必要だったが、現在は安全と言っていいだろう。

 上を見れば、高い天井にはぽっかりと大きな穴が開いていて、先が見通せぬ真っ暗な虚無をたたえていた。

 斜面を転がり落ちるように落下したとはいえ、良く生きていたものだとムジカは思った。いろんなものに掴まって衝撃を緩和したものの、未だに脳と内臓が揺さぶられているような気がする。


「くっそ、痛ってぇ。ボーンを入れたコルセットにしといてよかったな。高かったけど」


 打ち身をさすりながら、わき腹が大きく裂けているの見つけ、服の値段を思い出したムジカは嘆息した。意地で身につけているスカートは緩衝材代わりになったとはいえ、どれだけ補修しなければいけないかを考えると大赤字である。

 独り言は探掘屋シーカーの常だ。ムジカのように一人で探索するものならなおさら。いくら過度な物音が危険だとわかっていても直しようがない。

 ぼやきつつもほつれた金茶の髪を耳にかけて、ムジカはすばやく自分の状態と装備品を確かめていった。


「けがは擦り傷、打ち身はそこそこ。あーあとで青たんだなこりゃ。荷物が吹っ飛ばされたのはしょうがない。生きてりゃめっけもんだ」


 こんな事態も考えて、最低限必要なものは身につけている。

 先ほど確認した多機能時計にくわえ、ベルトについたポーチの中にあるいくつかの携帯工具やナイフは無事だ。水を入れているボトルもあるし、ビスケット風の行動食は見事に砕けていたが食べられる。3日は生きていけるだろう。

 さらにムジカは腰のホルスターに収まっている自動式拳銃の動作を確認した。エーテル結晶で稼働するそれは、人間程度なら軽く吹っ飛ばせる威力を持つ。ただし、あくまで対人用、気安めでしかない。


「お、らっき浄化マスクもある。濃度が変わらない保証がない以上、あるに越したことはないわな」


 一通り確かめたムジカはあたりを見回した。

 どこかの通路らしい。天井はそれなりに高く、幅も広い。金属に似た材質でできた滑らかな質感の内装は遺跡特有の代物だ。状態も良いように思える理由は、ひびの入った壁に生える黄緑色の燐光をこぼすエーテル結晶が理由だろう。

 エーテル結晶は、エネルギーとして利用されるほかにも、周辺の無機物の経年劣化を緩やかにする特性がある。だからこそ、終戦から三百年という月日がたっていても、この黄金期の遺跡は原型をとどめて稼働し続けているのだ。 


 エーテルの発光周期か、近くの結晶が大きく瞬く。

 目を細めれば、比較的大きな結晶にムジカのほこりまみれの顔が映っていた。

 くすんだ金茶の髪に、大して整ってもいないくせに少し気が強そうに見える顔立ちは好きじゃない。平凡なくせに大きな青の瞳だけはきれいな色をしているせいで、豚に真珠だと笑われる。16歳という少女とも女ともつかない、やせぽっちな探掘屋シーカーの顔だ。


「ったく、女だから与しやすしとかかってくるなんざ反吐がでる」


 好きで女でいるわけじゃないのに。

 落ちる前のやりとりを思い出したムジカは、エーテル結晶に映るしかめ面から目を離して立ち上がった。探掘服として着ているひざ丈のスカートがふんわりと足を包む。

 大丈夫。こんなことは前にもあった。

 ゆっくり深呼吸したムジカは、できる限り落ちた記憶をたどっていく。


「あの曲がり方からすると、あたしが見つけたルートからはだいぶ外れてるな。だけど落ちた深度からすると最深部に近い、んじゃ……」


 こくり、とムジカの喉が鳴った。恐怖や不安からではない。己の目的のものがあるかもしれないという興奮からだ。


「いや、落ち着け。まずは脱出経路の確保が先だ。こんなところでエーテルの仲間入りするのはごめんだからな」


 ごそごそとポケットの一つからコインを取り出したムジカは、指ではじく。

 表だったら右、裏だったら左だ。手の甲で受け止めたコインは裏。

 ムジカは軽い足取りで歩き始めた。





 エーテル結晶という魔法のような動力の発見により始まった黄金期は、約三百年前の大戦によって終わりを告げ、文明は断絶した。今の人々は地面に埋もれた過去の遺跡から、技術と貴重な動力源であるエーテル結晶を掘り起こして生きている。


 ムジカもそんな探掘屋シーカーの一人だ。黄金期の建築物は、現在の爆薬や大砲を集めてきても壁を破ることは困難を極めており、現在でも探掘の大半は人力だ。

 しかしエーテル結晶で経年劣化は免れていても壊れたものが直るわけではなく、三百年という月日は遺跡群にも等しく流れている。

 またとある要因でもろくなっている箇所が多数存在しており、探掘屋シーカーの仕事は常に危険と隣り合わせだった。

 一人で遺跡に潜っているムジカは、本来このような崩落に巻き込まれないよう細心の注意を払っている。巻き込まれて怪我をすれば最後、誰も助けてくれないからだ。

 なぜこんな失態を犯しているかといえば、数分前に遭遇した政府公認の探索隊といざこざをおこしたからだった。


「あーもう、今日はついてないなあ! よりにもよって新ルートを見つけたときに来なくったっていいじゃねえか、あの素人ども!」


 蛍光塗料で目印をつけながらも、はらわたが煮えくりかえる出来事を思い出したムジカは、がしがしと金茶の髪をかきむしりながら盛大に悪態をついた。

 政府公認探掘隊は、バーシェ政府が運営する研究所から派遣されてきたという触れ込みで数か月前にやってきた。しかし、ほかの探掘屋シーカーの仕事を妨害することも多々あり、煙たがっている探掘屋シーカーは多かった。

 もちろん用心深く避けていたムジカだったが、間の悪いことに新たなルートへ向かおうとしていたところを見つかったのだ。そしてしつこく追ってくる公認探掘隊たちから逃れているうちに、うっかり崩落に巻き込まれてここまで転がり落ちてきたのだった。


「というか遺跡内でエーテル弾をぶっ放すなんてどうかしてる。研究所直属なんて言ってんのに探掘隊の教育はどうなってやがんだ」


 横柄な振る舞いを思い出したムジカは顔をしかめながら目印をつける。通った道を記憶するには一番の方法だからだ。

 エーテル弾はその名の通り、エーテル結晶から生まれるエネルギーの塊だ。黄金期には主力であったエーテル由来の装備であり、現在でも発掘された遺物は高値で取引される。

 だが、遺跡内での使用は要注意であると探掘屋シーカーの間では認識されていた。探掘屋シーカーにとって最もやっかいなものを呼び寄せるからだ。

 とはいえ、ムジカにとっては今一番欲しいものなのだが。


奇械アンティークがいてくれりゃラッキーなんだけど……お?」


 通路にはムジカから時々こぼれる粉塵以外にほこりが積もっていなかった。

 人の出入りがなく300年もたてば空気中の塵が振り積もるにもかかわらずだ。汚れていないというのは逆にあるものの存在を示していた。

 かすかにきりきりと歯車が駆動する音が響く。 

 振り返ったムジカの、唇の端が上がった。


「まだあたしの運もつきちゃいないらしい」


 まもなく通路向こうから現れたのは、人の形をしたものだ。

 形だけをみれば、下働きをするメイドのような造形をしていた。

 ぼろぼろにすり切れた暗色のワンピースと、元は白かったであろう褐色のエプロンを身につけている。だがそれは上半身だけで、下半身は複数の車輪で構成されており露出している肌も硬質な滑らかさを持っていた。

 その物体は、頭部についた視覚センサでムジカとその周辺にまき散らされた粉じんに目をとめると、長年手入れをされていない軋みを響かせながら、硬質な声を再生する。


『オ掃除……イタ、イタシ、マス……』

「ビンゴ!」


 小さく声を上げたムジカは手ごろな位置で立ち止まった。

 人の形を摸していながらいびつで無機質なそれは、黄金期を代表する遺物、奇械アンティークだった。

 奇械アンティークは体内に内蔵されたエーテル回路によって半永久的に動くバネと歯車と、高度な錬金術で構成されたからくりだ。エーテル結晶を動力源にしているため丈夫なそれらは人に忠実であるように造られ、当時は様々な分野で人の代わりとなって働いたらしい。中には一度命令を下せば、自ら判断して行動できる奇械アンティークも存在したという。現在でも比較的状態のよい奇械アンティークは、都市の至る所で働いていた。


 が、それは適切に整備と調律をしていればの話だ。


 主人となる指揮者ディレットを失い、自己整備だけでは補いきれないエラーを数百年にわたって蓄積した機体は、植え付けられた基礎概念を果たせずに自己矛盾を引き起こし、周囲に危害をまき散らしていた。

 奇械アンティークはたとえ下級の使用人型サーヴァントタイプであろうとも人間の何倍もの破壊力を秘めている。

 この使用人型奇械アンティークも同様だ。車輪の挙動がおかしく、本来ならば掃除機を使うところ、スカートの一部を広げて取り出したのは高圧洗浄機だ。液体は水だが、熱湯を高圧で噴射されればやけどではすまない。


 それでもムジカは使用人型を観察し確認していた。

 頭部にはまった視覚センサの色は橙色オレンジ、所有者未登録の証だ。


「使用人型なら、いけるはず」


 高圧洗浄機を振り回しつつ徐々に近づいてくる使用人型を見据えながら、ムジカはゆっくりと息を吐きだした。これから使うのはムジカの奥の手だ。

 意識するだけでどろりとあふれかける感情を押し込める。

 心を落ち着かせろ、不安はのどを締め付ける。

 胸に抱くのであれば決意を、断固とした力強さを。相手に響かせる美しさを。

 そしてムジカは息を吸い、眼前の奇械アンティークへ向けて朗々と歌った。


『我は星 其方そなたは月 帳に寄り添い慕う者

 其方は宵闇 我は朝日 黎明導き歌う者』


 韻を踏み、高く低く通路に響き渡るのは、自律人形である奇械アンティークへと干渉するための指揮歌リードフレーズだった。

 特殊な発声法で紡がれる指揮歌に周囲のエーテル結晶まで反応し、淡い緑の光があたりを照らす。


『祈りを胸に 煌輝をこの手に

 月に夜明けの安らぎを』


 とうに異常を来していたはずの使用人型が高圧洗浄機を止め、戸惑うように車輪の回転を緩めた。

 奇械アンティークへの指示は音声入力が一般的だが、もちろん主人として登録された人間にしか操作は不可能であり、なにより専用の入力装置を通さねば作用しない。

 だが、ムジカは指揮歌を歌うだけで、一時的にだが本来ならば登録した指揮者ディレットにしか干渉権がないはずの奇械アンティークを鎮められるのだった。


 最後の一音を奏で終えたムジカが青の瞳で見据える前で、使用人型は3ヤード(約3メートル)ほど離れた場所で停止した。そして関節をきしませながら、両手でぼろぼろのスカートをつまんで頭を下げる。視覚センサは緑色に染まっていた。

 完全な恭順の姿勢に、ムジカは指揮歌が効力を発揮したことを知って息をつき苦笑した。


「ほんとこんなの、ほかの探掘屋シーカーには見せられねぇわ」


 探掘屋シーカーにとってのどから手が出るほど欲しい能力だ。

 奇械アンティークに干渉するために必要な変声器トランスレータは、バーシェの中層部に家一軒買えるほどの値段がする。それをムジカは自由に使えるのだ。

 見つかれば最後、袋だたきに合うか順繰りに使役されることになるだろう。下手すると貸し出し契約なぞを結ばされて、ムジカの意思とは関係なく歌わされる。

 そんなのは冗談じゃない。


「あたしは、なるべく使いたくないのにさ」

『ゴ主人様、ゴメイレイヲ』

「ああ、悪い。お前を無視したわけじゃないんだ」


 奇械アンティークには思考能力はあっても意思はない。わかっていても、ムジカは少女をもした使用人型に笑いかけてみせる。

 何十年、下手すると何百年もさまよっていたのだ。ひとときのつきあいだとしても、 願うからには誠意を尽くしたい。


「おう、じゃあ、この階層から抜けられるルートを教えて……」


 くれ。と言いかけたムジカの声は、使用人型が通路の壁に叩きつけられる轟音でかき消された。

 

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