第74話 テロメアーゼ活性

 その日の夜、レヴィの部屋に呼び出された。

 三人で来るようにと。


「話は他でもない。今朝、保健福祉長官のエリックからイアン・フォーサイス大統領に進言して頂いたのだが『OKOGE Type Squadの使用を一時的に停止するように』とのことだった」


「えっ? 停止? 禁止ではなく? しかも一時?」


 僕が思ったことそのままをマシューがレヴィに詰め寄るようにして叫んだ。


「うむ。混乱を招かないよう『製造ラインに不備があった可能性があるため一時使用を禁止する』そう発表するようにと」


「そんな……。OKOGE の危険性を全く理解してもらえなかったんだ……」


「これはオフレコだが、いや元々全てかオフレコなのだが、大統領はその指示を出された後こうおっしゃったそうだ『妻がもう打ってしまっている。明日からキスをしてもらえなくなると嫌だからな』と」


「なんてことや……」そう言いながらマシューは頭を抱える。


「エリックも微妙な立場なので強くは言えなかったようだ。とにかく、私は今からワシントンに向かう。明朝、直接大統領に進言をしてみる。それと、エリック自身はこの危機をしっかりと理解してくれたので、今後、CDCと綿密に情報交換をしてゆくことになった。だが機密性の高いものばかりなので、情報の保持はハルヤのセクションと感染拡大防止セクションだけとする。これがそのための専用端末だ。アリア、君が管理をして必要な情報を皆で共有してくれ」


 アリアは「はい」と答えた後、差し出されたノートパソコンを神妙な表情をして受け取った。


「大統領の方は私がなんとかする。だから君達三人はそれぞれ自分のできることを全力でがんばってくれ」




 アリアはその足で感染拡大防止セクションのマネージャーの所へ向かって行った。


 僕はマシューと二人で、これからの方針を話し合うことにした。


 今こうしている間にもOKOGEの感染者が増えていく。

 たとえレヴィの説得に大統領が応じてくれたとしても、ウィルスの感染は徐々に広まってゆき、自分の作り上げたOKOGEが更に多くの人の命を削っていってしまう。


 早くしないと。

 早く治療薬を作り上げないと。

 一年後にはパンデミックを起こしてしまう。

 一年という年月は、薬の開発にとって、あまりにも短すぎる。

 間に合うのだろうか……。

 いや、絶対に間に合わせないと……。


「マシューは、どんな治療薬がOKOGEに最も有効だと思う?」


「OKOGEはHIVと同じRNAウィルスやから、きっと抗HIV薬が効くんちゃうかなと思ってる」


 マシューはそう言って、パソコンのモニターに現在使用されている抗HIV薬の一覧を表示させた。


「核酸系逆転写酵素阻害剤、非核酸系逆転写酵素阻害剤、プロテアーゼ阻害剤、インテグラーゼ阻害剤、侵入阻害薬。これらの多剤併用療法だな」


「うん。こんなにも沢山の薬が開発されているし、きっとこの中にはOKOGEにも効くものがあると思うんや。それを選び出して、更に改良を加えていくのが一番の近道やと。アニキはどう思う?」


「僕もマシューの意見に賛成だ。きっと抗HIV薬はOKOGEにも効いてくれるんじゃないかと思っている。さっきOKOGE対策チームのページを開いてみたが、抗ウィルス薬セクションもそう考えているようで、すでに着手している。抗HIV薬については彼らの方が知識も経験も僕達よりずっと上だから、彼らに任せよう。きっと成果を上げてくれるはずだ」


「じゃあ、俺たちは?」

 マシューはそう言って、モニターから僕の方に顔を向けた。


「ずっと考えていたんだが、テロメアの短縮を止められないかと」


「ああ、確かにそれができたら最高や。OKOGEの長所である治癒力の向上をそのままに、ヘイフリック限界には達しないよう。凄く難しいかもしれんけど……、アニキ、やってみようや!」




 アメーバーなどの単細胞生物や植物などは、環境さえ整えば何度でも永遠に細胞分裂を繰り返すことができる。


 これは、テロメラーゼという酵素が働いて、細胞分裂の度に短くなるテロメアを修復してくれるからだ。


 だが、この酵素が働くテロメラーゼ活性は人の体細胞ではほとんど見られない。


 これをどうすれば活性化できるか。


 現在、TERTという遺伝子がテロメアーゼ活性を誘導していることがわかっている。


 もしこの遺伝子をOKOGE感染細胞に組み込むことができたら、細胞の寿命を飛躍的に伸ばすことができるかもしれないのだ。


 まず初めに、OKOGE Type Squadを感染させたマウスから皮膚細胞を取り出し培養、その細胞にレトロウィルスベクターを使用しTERT遺伝子を導入することから研究を開始した。






 僕たちの研究室にレヴィが浮かない顔をして入ってきた。


「あっ、レヴィ! どうでしたか? 大統領は分かってくれましたか?」


 椅子から立ち上がり、そうたずねると、レヴィは縦とも横ともわからない方向に首を動かした。


「あの報告書に書いてあることが冗談でも憶測でもないことは分かって下さった。だが、基本方針を変えて頂くことはできなかった」


「えっ、そんな……。OKOGEの危険性を理解した上で、今のままなんて、いったいどうしてなんですか!」


「今OKOGEの特性をそのまま発表すれば、国民の不安感だけを煽ることになり、延いては、政府の責任を追及されることになってしまう。ホワイトハウスとしては賛同できない、ということだった」


「でも、発表しない限り感染拡大を止めることはできない。せめてコンドームの使用を呼びかけるとか、血液による感染の危険性を説明するとか」


 レヴィは口をへの字にして首を小さく横に振った。


「それについては私も提案したのだが、エイズの蔓延で、その必要性や危険性については、皆既に分かっているはずだ、それでも使用しない者は使用しないし、出血を伴うような行為をする者もいる。更には、子供を作ろうとしている夫婦にそれを強いることなどは絶対にできない。そして『あなたはOKOGEに感染しているので、もう一生子供はできません』と宣言することなどできると思うのか? と仰った」


「じゃあ、このまま放置しておくのですか! 一年後にはパンデミックとなるかもしれないのに……」


「私は大統領に、こう言われてしまったのだ『人類はこれまで、ペスト、天然痘、インフルエンザなど数多くの感染症に苦しめられたきた。だが人々は生き残り、今やエイズやエボラ出血熱などに対しても治療法を確立しつつある。だからきっと、その最先端にいる君達ならOKOGEに打ち勝つことができるだろう。一定以上効果のある薬剤ができた時点で、政府の対応策として発表する。しっかりと頑張ってくれたまえ』と」


「そんな……。薬の完成を待ってからなんて遅すぎる。今この時も感染者が増えていっているというのに……」


 レヴィは肩を落とした僕を椅子に座らせ、自らもマシューの席に座り、顔を寄せた。


「これは余談だが……、今、全世界に散らばったテロリストを、そしてアジアの小国の暴走さえ抑えられず、ロシアや中国など大国との関係も上手くいっていない。大統領の支持率がかつてない程低迷しているこの状態で、何の対策もないまま危険な感染症の存在を発表する訳にはいかないのかもしれない」


「多くの人の命がかかっているのに、ですか……。レヴィ! じゃあせめて、CDCから注意喚起だけでも」


 僕の気持ちを抑えるよう、レヴィが僕の肩に手を置いた。


「ハルヤ、我々CDCは政府管轄下の組織なのだ。今は治療薬の開発に全力を注ぐしかないのだよ」






・イアン・フォーサイス(Ian Forsyth、54歳)

・HIV(エイズ ウィルス)

・核酸系逆転写酵素阻害剤、非核酸系逆転写酵素阻害剤、プロテアーゼ阻害剤、インテグラーゼ阻害剤、侵入阻害薬(どれもがRNAウィルスが増殖する際に必要なステップを阻害する薬で、HIVには一定の効果を示している)

・レトロウィルスベクター(特定の遺伝子を細胞に組み込むため、人工的に無力化したレトロウィルス)

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