第72話 佐々木次長

 三日後、僕たちの元に厳重に梱包されたハードディスクが送られてきた。

 玲奈からだった。


「玲奈が副社長に頼んでくれたのか?」


「アニキ。それが違うんや……」


「えっ? じゃあどうして玲奈がこれを?」


「実は今、田神製薬本社は大変なことになってるねん」


「大変なことって?」


 マシューは暗い表情のまま話し始めた。


「田神製薬と厚生労働省との贈収賄が発覚して、伏見副社長が逮捕されたんや」


「えっ、玲奈のお父さんが? それってもしかして……」


「うん。俺達が開発した新薬の認可に、手心を加えてもらうため金銭の授受を行った、その疑いで」


「だから、あんなに短期間で認可されたのか……。でも、それなら何故、玲奈がこのデータを?」


「その贈収賄を指示したのは伏見副社長らしい、せやけど直接金銭の授受を行ったのは佐々木次長で……。次長はアニキの裁判の時も情報操作を行っていたらしい」


「えっ、あぁ……、あの時、裁判の後半に世論が急に変化したのは、そのせいだったのか……。でもあの佐々木次長が本当にそんなことをするだろうか」


「うん。本人が玲奈の所に謝りに来たらしい。会社を守るためとはいえ本当にすまなかった、って。そしてその時に、もし御影君がこのデータを必要とする時が来たら渡してやってほしい、って」


「そうだったんだ……」


「ほんでその二日後、佐々木次長は新しく建った田神製薬本社ビルの屋上から飛び降りて。そのまま……」


「えっ、飛び降りた? どうしてそんなことを……」


 ずっと黙って聞いていたアリアが口を開いた。

「きっと、自分のしてしまったことに、耐えられなくなったんじゃないのかな……」


「そうかもしれない。もしかすると佐々木次長もOKOGEの危険性を感じていて。たから、このデータを残してくれたのかもしれない……」


 佐々木次長には嫌なところもたくさんあった。

 でも、決して悪い人ではなかったのに……。

 

 それに、残された玲奈のことがとても心配だ。


 だが、今はとにかく、皆の思いがこもったこのデータを対象にして、すぐに解析をやりなさないと。


 ハードディスクを自分のパソコンへと繋ぎ、一つ一つそのデータを見比べていった。

 元気だった頃のおこげと、死んでしまったおこげのデータを。



 そして、それを見つけた時、


 頭の上から大量の液体窒素をかけられたかのように、激しい痛みと共に全身が凍り付き、取り返しのつかない絶望的な後悔に覆いつくされて、息もできない程に動けなくなってしまった。


 テロメアが極端に短くなっている……。



 テロメアは染色体の末端に存在し、特徴的な繰り返し配列をもつDNAと、様々なタンパク質により構成されていて、その染色体を保護し安定性を保つ働きを持っていると考えられている。


 このテロメアは、細胞分裂を繰り返すと共に短くなってゆき、この長さが一定以下に短くなると、細胞分裂が行われなくなる、いわゆるヘイフリック限界を迎える。


 そして、ヘイフリック限界に達した細胞は再生することができず、その細胞が構成する組織の機能を維持することができなくなってしまい、生物は死に至る。


 これが寿命の仕組みだと言われている。


 少し考えれば分かったはずだ……。


 OKOGE Type Squadは、細胞分裂のサイクルを早めることにより組織の再生力を高め、いつも分裂したての若い細胞で人の体を維持する。


 この為に細胞分裂の回数が増加、その分テロメアが早期に短くなり、人の寿命を短縮してしまうのだ。



 OKOGE Type Squadは若さと引き換えに、その人の命を削ってゆく。


 自分の作った治療薬が人の命を削ってゆく。


 何百万人、何千万人、もしかすると何億人もの、人の命を。




「ハルヤ、ハルヤ……。ハルヤ!」


 母に呼ばれたのかと思い、我に返った。


 死んでしまいたい。

 頭の中が、そればかりに埋め尽くされていた。



 だが、アリアの声で現実に引き戻された。


 まだ、やらなくてはならないことが山ほど残されている。


「アリア、OKOGEの感染率はどうだった?」


「それが、驚異的に伸びてしまっていて」


「いくらなんだ!」


「先進国で8%、合衆国では12%にまで、なってしまっています」


「なんだって、12%? そんなにまで……。それって……」


「このままだと、一年くらいでパンデミックとなってしまうかもしれません……」


「アニキ、いったいどうしたんや?」


「OKOGEは人のテロメアを短縮してしまうんだ」


「えっ、じゃあおこげの死因はヘイフリック限界……」


「アリア、今すぐにレヴィ施設長をここに呼んでくれ! 報告書を作っている暇なんかない。すぐに行動を起こさないと」






 パソコンのモニターを見つめていたレヴィの表情が明らかに変わった。


「よく見つけてくれたな」


 それでも動揺を見せることはなく、労いの言葉をかけてくれた、元凶を作った張本人なのに。


「レヴィ、今すぐOKOGEの使用を禁止するようCDCから要請を出して下さい!」


 レビィが僕の両肩を掴んだ。


「ハルヤ、少し落ち着け。君の気持ちはよく分かる、自分の開発したウィルスが人に害を及ぼしていると思えば気が気ではないだろう。だが不確定要素を残したまま発表すれば混乱を招くだけだ」


「不確定要素?」


 手を離したレヴィは冷静な表情を取り戻し、僕との会話を続けた。


「うん。確かに、このスキニーギニアピッグのテロメアは短期間で短くなっている。だがテロメアの短縮は様々な要因によって影響を受ける。また、元々の寿命だったとも考えることができる」


「でもOKOGEは細胞の分裂サイクルを早めるわけだから、きっとそのせいでテロメアが」


「ハルヤがそう考えるのは道理だ。だが、確かなデータを元にして説明しなければ全ての人を納得させることはできない」


「じゃあ、どうすれば……」


「君たちがこの一年間に発表した論文の、データ採取に協力してくれたOKOGEに感染している人たちに、もう一度頼んでくれ。遺伝子の解析を、テロメア長を測定させて欲しいと」




 僕たちはすぐに、三人で手分けをし、以前協力してくれた七十人の人達に連絡を取った。


 一日でも早く、一時間でも早くデータを集め、OKOGEの使用を止めさせたい。


 一日遅れれば遅れただけ、人の命が削られてゆくのだ。


 自分の作ったウィルスによって。



 幸いなことに、転勤などで引っ越してしまった人を除く六十八人の人が協力してくれた。


 六十八人の人々に来てもらい採血を行うのに、一週間がかかってしまった。


 採取した血液はすぐ解析に回し、そのデータを蓄積していった。


 僕は採血に来てくれた人の顔を正面から見ることはできなかった。


 目の前にいるこの人が、自分のせいで命を縮めてゆく。


 今も、この後も。






・パンデミック(感染症が世界的規模で流行すること。WHO感染症警戒レベル、最大警戒レベル「フェーズ6」に相当する)



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