第61話 対応

「まずは新薬の特許をリーダーが持っていることを宣言して、提示した販売条件をのまなければ、差し止め請求をするという旨の警告文を内容証明郵便で送るから」


 朝一番は玲奈のこの言葉から始まった。


「弁護士さんは、特許を申請した時の弁理士とタッグを組んでいる人にお願いするよ?」


「うん、頼むよ。ところで……、さっき言ったことを噛み砕いてもう一度言ってくれないかな……」


「んー、リーダーが薬の特許を持っているから、言うことを聞かないのなら、薬を作って販売することを止めさせますよ、ってこと。宣戦布告だね」


「内容証明郵便ってのは?」


「どんな内容でいつ誰が誰に出したかを公的に証明してくれる郵便のこと。ちゃんと宣戦布告しましたよ、ってことを相手に伝える意味合いが大きいかな」


「そっか。しかし玲奈ってこういうことに詳しいよな」


「うん。友達に法律関係の子が何人かいたからね。それより、リーダーはやっぱりお風呂とトイレは別の方がいい?」


「えっ? 今日は玲奈の部屋を探すんだろ? どうして僕の好みを聞くんだよ」


「だって、そのうちリーダーが泊まりに来ることもあるでしょ? 一応好みを聞いておかないと、と思ってさ」


 駅を出て不動産屋に向かって歩いている時に、そんな話をしながら玲奈が腕に組み付いてきた。


 否定をする猶予も与えられず、玲奈の胸が肘に当たる。


 これは反則だよ。


 誰も突き放すことなんてできはしないよな……。



 一軒目。


「あっ、お二人でお住まいですかー」


 そんなことを言う担当者に「あー、最初は私一人なんですけど、近い将来そうなるかも。ねー」と首をかしげながら僕の方に笑顔を向ける玲奈。


 どこまでが本気なのかさっぱりわからない。


 条件の合ったいくつかの部屋の見取り図を見比べて、いいものがあれば現地に連れて行ってもらって実際に部屋を見る。


 これを何度か繰り返していると、本当の彼女に相談されているような、そんな気分になってきてしまう……。


「ここにコタツを置いて、ミカンを食べながら一緒にテレビを見るの。あぁ、なんて慎ましやかな幸せ!」


 そんなことを言われると、確かにそれもいいかもなぁ、と思ってしまう。


「……、そうだね、コタツいいかもね」


「じゃあ、ここにしよっかなぁ」


 駅からは徒歩五分、小さな部屋が二つあって、お風呂とトイレが別で、こじんまりしている割には、セキュリティがしっかりしている賃貸マンション。


 決めると動きが速い玲奈は、その日のうちに賃貸契約を結んだ。



 不動産屋をあとにし、二人で駅に向かって歩き始めた。


「寒くなってきたね」と言ってまた腕を組む玲奈。


「さーて次は、家財道具だ! 一緒に選びに行こう! と言いたいところだけど、そろそろ解放してあげるよ」


「ん? んー、まだもう少しなら大丈夫だけど」


 玲奈が一歩前に出えて立ち止まり、僕の方に振り返った。


「いいよ、もう。今日はすっごく楽しかったし。そろそろ、みつきさんに返さないと。家で待っているんでしょ?」


 玲奈は、にっこりと微笑んでから、顔を隠すように下を向いた。


「う、うん……」


「私はね、もうさすがにわかっていると思うんだけど、リーダーのことが好きなんだよ。いくらリーダーがみつきさんを好きでも、そんなリーダーも大好きなんだ。だからリーダーを困らせるようなことはしたくない。その上で、リーダーが私のことを好きになってくれるよう、頑張るから」


 どう応えたらいいのだろう。


 気付くと玲奈が、僕の左右の手をそれぞれ掴んでいて、僕の目をまっすぐに見つめている。


 玲奈の言葉には、どこにも質問や問い掛けが入っていない。


 告白されること自体、人生で初めてで。

 それが、こんなすごく可愛い子に。

 その上、すごく賢くて、すっごくいい子に。


 どうしたらいいのだろう……。


 正直なところ、とっても嬉しい。


 でも……。


「言っとくけど、リーダーは今、何も答えなくていいからね。これは私の宣戦布告だから」


 そう言って、玲奈は掴んでいた両手を離し、前を向いた。


 二人して駅に向かって歩いて行く。


 本当にこのまま、何も答えなくていいのだろうか。


 答えることが玲奈を傷付けるのか、答えない事の方が傷付けるのか。


 結論が出ないまま、駅に着いた。


 乗る電車は反対方向で、階段を上ったところで、玲奈が右手を広げ横に振った。


「バイバイ、リーダー。また明日ね」


「うん。また明日」


 また明日という言葉には、さみしさと不安と明日への希望と、

 いろんな思いが混在している、そう思った。






 その明日の週の、

 それは木曜日の朝だった。


「おはよう、リーダー! あれ? どうしたの?」


「いや……。さっにからメインサーバーにログインできなくなっちゃって。何度パスワードを入れてもダメなんだ」


「えー、リーダーもう健忘症が始まったの? まずはパスワードを思い出せなくなるらいしよ」


「えーっ? システムの問題じゃないかと思うんだけど、玲奈もやってみてくれよ」


「はいはい、ちょっと待って下さいねー。あっ、ホントだログインできない」


「だろ? ちょっと情報管理室の方に聞いてみてくれよ」


「わかった」


 電話をかけてすぐに、玲奈が「えっ」という表情で固まって、そのまま受話器を元に戻した。


「二人のアクセス権を無くすように指示を受けています、って……」


 宣戦布告に対する、これが会社の返事だった。


 そうこうしている間に、佐々木次長から呼び出しを受けた。



「大変なことをしてくれたな」


 両腕をデスクの上で組む佐々木次長が困り果てた顔をして、そう言った。


「会社が何の対応もしないからですよ」


 玲奈がそう反論すると「君たちの気持ちもわかる、だが、このやり方はまずい、まず過ぎる……。もう、君たち二人対会社との戦いになってしまった。だから……、私も今日からは君たちの敵だ。そのつもりでいてくれ」と佐々木課長がとても残念そうな顔をして、そう答えた。


「そうですよね……。覚悟はしていました。でも、どうしてもOKOGE Type Squadの流出は止めなくてはならない……。じゃあ、僕たちは辞めさせされるんですね?」


「いや、それは……、今のところは保留ということになっている」


「どうして? もう、さっさと解雇すればいいのに」


「すぐにでも解雇したいというのが、上の本音だろう。だが君たちはまだ具体的な損失を会社に与えたわけではなく、この上、不当解雇だと訴えられては困ると考えているのかもしれない」


「でも、データベースにアクセスできないとなると……」


「飼い殺しってことか……」


「御影君!」


「はい」


「今から私と一緒に伏見副社長のところに行かないか。三人で行って、今回の要求を取り下げさせてもらって、一緒に謝ってみないか。幸い副社長は、伏見君のお父様だ、なんとか取り計らってくれるかもしれない。このことはまだ公表はされていないし、今なら間に合う」


「……」


「これが残された最後のチャンスだぞ。私は君たちの敵にはなりたくないんだ」


「ありがとうございます。でも、僕たちの気持ちは変わりません」


 横を向くと玲奈もうなずいてくれた。


「OKOGE Type Squadの流出はどんなことをしてでも止めなくてはいけない。僕たちがどうなっても、田神製薬がどうなっても止めなくてはいけないんです」


「何の副作用も出ていないじゃないか」


「それでも、絶対にダメなんです」


「そうか……。やはり意志は固いのか……。しかたがない。では、これを最後に、私はもう君たちと個人的に話をすることはできない。そう思っておいてくれ」


 そう言って、佐々木次長は椅子を回して、壁の方を向いてしまった。


 もう表情も読み取れないが、「わかりました。すみませんでした」とだけ言って、次長室をあとにした。



 そして、会社が行った措置は、それだけではなかったのだ。

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