26.クリストファーとロザリアの秘密

 日も暮れた頃、ウィザー家の馬車は旦那様と奥様、クリストファー様を乗せて王宮へと向かっていかれました。私は小さくなっていく馬車の後ろ姿を見つめながら、ホッと小さく息を吐いたのです。


 いつも綺麗な奥様が、更に輝きを放ち、旦那様のエスコートにキラキラの笑顔で馬車に乗り込むのを、公爵家の執事や、侍女達で見送ったのは、少し前の事。


 お二人の後に続いたクリストファー様は、白地に青薔薇があしらわれた正装を嫌味なく着こなし、爽やかな笑顔を大安売りして、公爵家の侍女達の心を奪っていかれました。


 今日はとうとう、クリストファー様のデビューの日。デビュタントらしく緊張してるのかと思いきや、朝から日課の鍛錬までこなしておりました。もう少し、緊張でもしていれば可愛らしいのに。と、思ったのは秘密でございます。


「緊張されていないのですか?」


 朝の支度の最中に、訪ねてみれば、少し考えた後に笑顔を返されてしまいました。


「うーん、してないと言えば嘘になるけど、そこまでかな。王宮にはほぼ毎日通っていたしね」


 夜会は初めてなれど、王宮に通っていたせいで大分顔見知りも増えたご様子。確かに、それならご安心ですね。


「ああ、でも」


 フワフワの柔らかい髪の毛を整えていると、思い出した様子のクリストファー様と、鏡越しに目が合いました。


「でも?」

「アレクとの賭けに勝てるか、が心配かな」

「は?」


 クリストファー様の言葉に、私は思わず、失礼な言葉遣いになってしまうくらいには、驚いてしまいました。


「……賭け?」

「そう、賭け」


 神妙に頷くクリストファー様を、どんな顔をして見て良いのかわかりません。あなたは何をしていらっしゃるのですか。デビュタントらしさどころの話ではありませんね。


「それで、どの様な賭けを?」


 とりあえず、恐る恐る賭けの内容を聞いてみることに致しました。ここまで聞いて、話を流すことはできませんから。


「今日参加するご令嬢のドレスの色」

「はあ…」

「私はピンクとか赤系が多いと思うんだ。可愛いしね」

「なるほど」

「でも、アレクは水色とか青系が多いだろうって言うから」

「はあ……」


 真顔になる私とは反対に、楽しそうに笑うクリストファー様。無邪気な子供の様です。そんな顔を久しぶりに見たような気がします。


「シシリーはどう思う?」

「どうと言われましても……」


 なんと返事をして良いのか。そんな賭けをしてどうするのかと言った方がいいのか、クリストファー様を応援すべきか。クリストファー様と王太子殿下の中では、それはきっと楽しいお遊びなのでしょう。多分。男の方ってそんなショウモナ……いえ、童心に帰った様な遊びをされるんですね。クリストファー様は女ですけれども。


「ええと、そうですね……つまり、王太子殿下派が多いか、クリストファー様派が多いか、という話でよろしいのでしょうか?」

「ん?」


 クリストファー様は意味がわからない、という風に首を傾げられました。クリストファー様の反応に、私も同じ様に首を傾げることとなります。


「赤薔薇の王太子殿下か、青薔薇のクリストファー様かって話ですよね?ご令嬢の全員が全員、その色を着てくるということはないと思いますが、髪の毛に薔薇をあしらうことも考えられますし、リボンなどに赤か青を取り入れる可能性もございますし」

「……う、うーん、そういう話なのかな?」

「え……そういう話で王太子殿下と賭けをしたのではないのですか?」

「いや、アレクが、「ただ夜会に出るだけだと楽しみがない」と仰ってね」

「では、お互いにお互いの色を選んだのには、全く他意はないと」


 お二人共に自覚がなかったというわけでございますか。クリストファー様はまだ神妙な顔つきで考え込んでいらっしゃいます。


「な、何はともあれ、勝てると良いですね」

「そうだね」


 賭けというくらいですから、何かを賭けているのでしょうが、そこには触れないでおきましょう。藪をつついて蛇を出してはいけませんから。


 サラリと流す。それが良い侍女というものです。クリストファー様もそれ以上気にしていらっしゃらないご様子でしたし。


 と、まあ、朝からそんなことが有ったのでございます。





「それは、また面白い賭けをしているのね」


 王宮に向かった馬車を見送った私は、その足でロザリア様の元を訪れました。少々晩餐には早いのですが、お見送りが終わったことを報告させていただき、ついでにお話相手をさせていただいております。


 ロザリア様は、楽しそうに笑っております。最近、クリストファー様がまるで女性のようには見えなくなったように、ロザリア様も男性だとは思えない、それはもう完璧な淑女です。


 髪が肩まで伸びたので、ますます女性らしくなられたと言いましょうか。


 後ろで結い上げることができるようになれば、外に出ても問題ない。とすら思える程に。


 お二人共生まれてくる性別を間違えたのではないか、というのは旦那様の一人言ですが、クリストファー様とロザリア様を見ている限り、私も同意してしまいそうになります。


「シシリーの情報では、赤薔薇と青薔薇はどちらが人気なのかしら」

「そうですね……どちらも非常に人気が高いですね。勝敗は五分五分でしょうか」

「あら、そうなのね。じゃあ、今日は沢山ダンスを踊ってヘトヘトになって帰ってくるのかしら」


 私がお入れした紅茶を一口飲むと、ロザリア様は上品に笑いました。これを見たら王子様の一人や二人恋に落ちそうですね。


「そうだ、シシリー。昨日、お兄様と一緒にダンスをしたのよ。お兄様とっても驚いていたわ。練習に付き合ってくれてありがとう。セバスチャンにもお礼を言わなくてね」

「そうだったのですね!お二人のダンス、見て見たかったですわ」

「うふふ、お兄様の驚いた顔、シシリーにも見せてあげたかったわ」


 クリストファー様とロザリア様のダンスだなんて、想像しただけでお似合いでしょう。もしも、二人が今日一緒にデビューできていたなら、きっと今頃、注目の的だったに違いありません。


「シシリー、そんな哀しそうな顔しちゃ駄目よ。この取り替えはきっと私達には必要なことだったのよ。私達の病気が治るのが遅かった。ただ、それだけよ」


 ロザリア様は、私の頭をそっと撫でて下さいました。まるでクリストファー様みたいに。ああ、違いますね、クリストファー様がロザリア様を真似たのですから、これが本家本元なのでしょうか。


 クリストファー様より暖かい手が、じんわりと心に沁みます。クリストファー様の手はひんやりとしていて、その存在を主張するようなのですが、ロザリア様はほんのり暖かくて、包み込むような優しさがあります。


「ロザリア様、一つだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「何かしら?」

「なぜ、ロザリア様は、ロザリア様として振舞われているのでしょうか?」

「それは、私は誰にも会わないのだから、『ロザリア』を演じる必要は無いってことかしら?」

「はい」


 ずっと気になっていたこと。クリストファー様は、社交に出るためにも男として振舞わう必要がある。その為に春からずっと、男としての振る舞いを練習してきました。


 でも、ロザリア様は『ロザリア』にならなくても成り立つのです。別邸には、私やクロード、セバスチャンなどしか来ないのですから。無理せず、クリストファー様の『お兄様』であってもよろしいのではないかと、何度も感じていおりました。


「だって、私が『ロザリア』にならなかったら、『ロザリア』が居なくなっちゃうじゃない?」

「いなくなる、ですか?」

「ええ、『クリストファー』が二人いるなんて、おかしいわ」


 ロザリア様はコロコロと笑われましたが、私はロザリア様の仰ることがよくわからなくて、首を傾げてしまいました。


「それにね、私はお兄様を利用しているの。『クリストファー』の居場所を作るために。だから、対価は支払わなくちゃいけないでしょ。それが、ロザリアの振りかしら」

「利用、ですか?」

「ええ、だって、もしもロザリアのまま社交界に出ることになっていれば、クリストファーが病気であることが世間に広まるでしょう?そうなれば、ロザリアは、ウィザー家を継いでくれる婿を取ることになるわ。そしたら、公爵家を継ぐ筈だった『クリストファー』の居場所が無くなってしまうもの。それをあの子は守ってくれている。『ロザリア』を隠してまで、ね」

「でも、クリストファー様は……」

「そうね、あの子は『ロザリア』としてデビューするのは、少し、いいえ、大分難しいわね。だって、男性の手を握ることすらできないんだもの」


 ロザリア様の瑠璃色の瞳の中には、悲しみが満ちているようでした。


 クリストファー様……いいえ、当時のロザリア様は五年前の事件の折に、肩の傷だけではなく、心にも傷を負われました。肩の跡が残るように、今でも男性の手を取ることができないのです。


 唯一触ることができたのが、双子の兄である、クリストファー様。今でも、旦那様の手すら触れることができません。


「だから、私はね。女の子としてデビューできないあの子を利用したのよ。あの子は『クリストファー』としてデビューできて、私は『クリストファー』の居場所を守れるわ」


 なんて、なんて哀しそうに笑うのだろう。それが、ロザリア様の笑顔を見た私の感想でした。


「クリストファー様よりも、演技がお下手なんですね、ロザリア様は」

「え?」

「クリストファー様ならもっと上手に悪ぶりますよ、きっと」


 私も、ロザリア様に笑顔で返しました。きっと、私の笑顔もとても下手くそなのでしょうけれど、仕方がありません。私も演技が下手なので。


「お二人は、お互いの居場所を守る為にこの取り替えを計画したのでしょう?ロザリア様が病気と世間に広まれば、結婚せずにウィザー家に残る事も可能ですもの。取り替えることで、二人はこのウィザー家に居場所を作ったのですね」

「うふふ、だから私もお兄様も、シシリーのことが大好きなのよ。どちらのこともちゃんと、見てくれているんだもの」


 ロザリア様は、もう一度にっこりと笑った、次はとても嬉しそうに。瑠璃色の瞳がキラキラと光って、とても、とても綺麗でございました。


 私はただただ、お二人の幸せを願わずにはいられませんでした。


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