第2話 見習い陰陽師 真備

「じゃーなー真備まきびー」

「おー、また明日」


 新しく出来た友人と、古くからの友人との挨拶を終え、のんびりと今朝も歩いてきた自宅までの道のりを歩いていく。

 つい先月までの中学校生活とは違う制服を身に纏い歩いた道と、真新しい高校の制服を纏いながら歩くこの道は同じはずなのだが、何処か何かが少し違う気がする。


 そんなわけがないけど、と自分自身で浮かんだ考えを否定して思わず小さく笑う。


 道すがらに今日新しく増えた友人の顔と名前、電話番号など、ケータイのアドレスを整理するものの、「歩きながらケータイをいじるんじゃありませんよ!」と聞き慣れた声が聞こえた気がして、ふと立ち止まる。


 中学からの友人も同じクラスに何人かおり、明日からの本格的に始まる高校生活も楽しくなりそうだ、と新しく買ったスマホをポケットにしまえば、さっきまでは気が付かなかったが、ふわ、と惣菜が出来上がる空腹を誘う匂いが鼻先をくすぐる。

 活気が溢れる夕飯前の商店街は、魅惑的な匂いがそこかしこから流れてくる。


 自分を小さな頃から知ってくれている馴染みの店などの前を時々、誘惑に負けそうになりながら歩いていれば、ふと、明らかに違う匂いを発するモノがあることに気づく。


 その匂いの元は、かなり遠くの反対側から歩いてくる、背格好のおかしなヤツでまるで何かを引き擦るように、ヒョコヒョコとオカシな歩き方をしている。

 買い物途中の主婦達の間を平然とすり抜けるも、誰もソイツへは目もくれないし気づく気配も無い。


 ソイツの少し先にある肉屋の前で、カリッカリに揚がったばかりの揚げたての唐揚げが、香ばしい匂いと湯気をあげている。

 ピタ、と足を止め、肉屋の店先で唐揚げをジィと見つめるソイツを無視し、歩いていこうと決め、一歩足を踏み出す。



[     ]



 適度に距離を置きながら背後を通った俺に、背格好のおかしなソイツはニタリと笑いながらコチラを向き何かを呟いた、と思われる。

 めんどうなヤツか……と心の中で小さくため息を吐き、そのままソイツを無視をして自宅への残りの道へと進む。



 多分、というより、アレは確実に『妖怪』の一種だと、自分の経験と直感と体感がそう告げている。


 自分の生まれた家が神社兼祓い屋という名目の陰陽師の家系のせいなのか、小さい頃から妖怪やら怪異に付きまとわれる、襲われるという一般的な男子とは少しかけ離れた環境でずっと育っている。

 つい最近16歳になった今では、多少の妖怪くらいで驚くことも少なくなるという、謎の経験値も積んできた。


 だが、こんな風に妖怪に出会った時ばかりは自分の家が町外れ。しかもその上、山の中腹であることを恨んだりするものの、高校生にもなって、弱小妖怪に追いかけられてビービーと泣くわけにもいかないし。


 途中、コンビニで飲み物を買いがてら、鞄の中の頼みの綱でもある爺ちゃん直筆の札の枚数を確認するも、こんな時に限って1枚しか入っていない。

 はぁ、と小さくため息をつくも、念のため、と自身が練習で書いた札を含め、数枚を制服のポケットへと捩じ込む。

 そしていつの間にかつかず離れずの距離で、付いてきていたヤツは心なしか、最初よりも大きくなっている気がする。



[神 社]

[ コド……モ ]


[オレ、聞イタ]

[オマエ、マダ弱イ]



 少しずつ妖怪が話す言葉が増えてきており、いい加減うるさい……と思いながら、コンビニで買った炭酸飲料のペットボトルを開ける。

 ぷしゅ、と良い音をたてた飲み物を飲もうと口に近づけて、ふと、今、自分が立っている場所が、とある場所だということに気がつく。


 ここは、この町の最北の十字路で、数メートル先は自分達の土地、背後には住宅街という交差点のど真ん中。


「いや、でも、まだ昼間だし」


 妖怪の出やすい時間ではないはず。

 そうは思いながらも、ふと、自分の手が、止まる。



 ーー 往魔が時の交差点には注意しないといけませんよ。ぼっちゃん

 ーー 往魔が時は、出やすい、というだけの時間です。

 ーー アナタは、もう少し自覚をしないといけません



 ふいに、今朝も小言を言っていたアイツの声が頭の中に響く。

 そして、気がついたことが、もうひとつ。



「音が消えた」


 風の音や、聞こえてくるはずの町の音がしないのだ。


「……ッやられた……」


 今、自分の立つ此処が、現実世界とは違う、と理解した次の瞬間、むわとした重みのある空気があたり一面に広がり始める。

 ぞわりと背中を何かに撫でつけられるような感覚が走る。

 厭な感覚に、バッと背後を振り向けば、案の定、ずっと付き纏っていたヤツがニヤァッと気味の悪い笑い顔をしながら、コンビニで見かけた時よりも一回り大きくなり、宙に浮いている。


[オマエ、神社ノ]

[コドモ]

[オマエ、弱イ!!]


 ーー 答えてはいけませんよ


 いつもいつも、耳にタコができるほど口煩く言うアイツの声が頭をよぎる。


[オマエ、ウマ……イ]


 ブワッと突風とともに徐々に重くなっていた空気を全身に叩きつけられる。


「ゲホッ、ゴホッ」


 耐えきれない臭いと空気の重さに思わずせき込めば、しつこい目の前のヤツが嬉しそうな表情を浮かべ、口元を歪ませた。


[喰ウ、喰ウ、喰ウゥゥゥ!]


 ゴォォ!と大きな音を立て、巨大化した図体でヤツが俺のほうへと向かってくる。

 チィッ、と大きく舌打ちをするものの、舌打ちしたところで状況が改善する訳でもない。


「あー!! もう少し貰っとけば良かったぁっ!」


 ポケットの中の爺ちゃんの札をヤツに投げつけながら小さく呪を呟き、少しでも家に近づこうと駆け出すものの、あと数メートルというところで、バリッと大きな音を立てて、札の術が壊される。


「おい、嘘だろ! 爺ちゃんのじゃっ」


 驚きで動きが止まった俺の目の前に、無情にもひらり、と戻ってきた札を手にし、俺は愕然とした。


「てこれ、父さんのじゃんんン――ッ?!」


 未だ現役の憑き物落としの十ニ代目の爺ちゃんは、所謂、はらい、と呼ばれる悪い妖怪の退治をしている。

 けれど、父さんは爺ちゃんの跡を継ぎ、十三代目ではあるものの、ウチの家系の中でも最も呪術力が低い、らしい。一人前に札をしっかり書くことも出来ない俺が言うのも、ものすごく失礼な話だが、ハッキリ言って、父さんの札じゃ低級妖怪しか倒せない。


 そしてそれは今も昔も、現在進行形で切羽詰まるほどに身に沁みて体感している。


 だが、それ以上に父さんの札が壊された今まさに体感をしていることが、もうひとつ。


 それは


「カタコトの言葉だから、中級以上っ!」


 ズボンに捩じ込んでおいた自分が練習用に作った札も投げつけ、せめてもの足止めに、と距離をとり続ける。

 だがそれも、ヤツが暴れる度に、ビリビリと空気の振動を体感するほどにヤツには効いていないらしい。


 ―― きちんと練習しておかないと困るのは自分ですよ? ………十四代目……


 ―― 中級妖怪は言葉を覚えるのです。ですが、十四代目、それに答えてはいけませんよ


 ―― まずは護符を書けるようにしておかないと!ご自分の手で書く護符は効力が………って! 聞いてますか! 真備様! 少しは白澤の話もきちんと聞いてください真備様!



「………あー! もう! 本当になっ!! チッ」


 バリンッ、と一枚目の札が破られる。

 足止めに投げつけた複数枚も、長くは持たないだろう。

 いつもいつも周りに口煩く言われる言葉ばかり思い出しても、現状回避が出来るわけじゃない。

(何分なら持つか)

 チリッ、と頬に走ったほんの少しの痛みに、手の甲でぐい、と拭えば、赤い筋が手の甲に走る。


 ―― いいですか? 坊ちゃん。

 ―― それと……アナタの血は


 本来ならあと少しの距離でつくはずの敷地までの距離が、時間を追うごとにに重く伸し掛かる空気のせいで、なかなか足が進まずに、やたらと遠くに感じる。


 バリバリッ、という音とともに破られるのは、複数の札。


[グゥオォォォォォォ!]


 咆哮をあげ、暴れる度に、ビリッ、と嫌な音が響き渡る。

(………あと、少しっ……!)

 伸し掛かる空気を振り払うように腹に力を入れて上半身を起こす。

 ヤツに捕まったところで腕とか脚とかもぎ取られたり、全身の血を吸われたり、最悪の場合は、まぁ、死ぬんだろうけど。

 とにかくとりあえず俺に良いことなど何一つも無い。


[オ前! 喰ウ!]

「だぁぁぁ!腹減ってんのはこっちだっつーのー!!」


 とにかく神社の結界に触れること。しつこくアイツにそう教わってきた。

 だが何というかやはり弱小の父さんと見習いの俺の札だ。


[逃ガサナイィィッ]

「やっぱ効かねえぇー!」


 バリンッ! と大きな音を立てて、最後の札たちが、一斉に破られる様子を目撃し、思わずそう叫んだ瞬間、ゴォォォっ、と激しい風を巻き起こしながら、ヤツがものすごい速さで近づいてくる。


「っ! やばっ?!」


 灼けるような熱さの妖気と、息苦しさに、身の危険を感じながらも走り始めた次の瞬間。


『だから、いつも言っているでしょう?』


 その言葉とともに、先ほどまでの灼けるような熱さも重たかった空気も、まるで嘘のように、一瞬にして声の持ち主によって塗り替えられる。

 ひやりとした空気が身体に溜まっていた熱と、肺の中の重たかった空気をも塗り替えていく。

 ふわ、と周囲に広がったほんの少しの甘さを含んだ木蓮の香りも、この空気も、どれもこれも、とてもよく知っている。


 この声の持ち主を、俺は生まれる前から、ずっと、知っている。


 彼の名は ――


「往魔が時の交差点には注意しないとイケませんよ、坊ちゃん」


「………ぬえ

「とりあえず、お説教は後でたっぷりとしますから。しっかりと掴まっていてください」


 ニッコリ、と、俺が『鵺』と名前を呼んだ者が笑顔を浮かべるが、端正な笑顔すぎて、妖怪と対峙したものとは違う意味で、つぅと冷や汗が背を流れる。

 けれど、妖かしの空気にあてられたせいで体力を大いに消耗した俺は今、鵺に掴まったままで、まともには動けないでいる。


「坊ちゃんに手を出そうなんて、100万年早いんですよ。この雑魚妖怪が」


 ゾク、と背に走る寒気は、先ほどの妖怪に感じたものとは、比べものにならない。


 俺を抱えた手は、いつもと変わらない。

 けれど、放たれた言葉と、ぐったりとした俺をちらりと見た鵺の切れ長な目には、まったくと言っていいほどに、温度が感じられない。

 そして、冷徹な表情と声を向けられた妖怪が、ビクッと大きく体を揺らした。


 それから。


 ただ、一振り。

 ぶわっ、と小さな扇を横に払っただけ。

 ただ、それだけ。


 それだけで、ついさっきまで居た切り離された世界と目の前の俺を喰おうとしていた妖怪は消えている。

 そして、手を伸ばせばすぐ届く位置で薄いヴェールのような神社に張られた結界がゆらゆらと揺れている。


「あー、疲れたぁー……」


 鵺に掴まっていた手を離し、大きく息を吐きぐったりと肩を落とした俺の頭を、鵺はペシンと扇でこづいた。


「疲れたーじゃないですよ、坊ちゃん!」


 ガサリ、とぶら下げた買い物袋を持ちながら、鵺は仁王立ちで怒っている。


「私たちがいるから良いものの、どうするつもりだったのです? あなたはまだ1人では祓えないでしょう!」


 俺に言い募る鵺の目元は、もとより朱色をさした目元なのだが、怒りのせいで朱色がいつもより鮮やかに染まっている。

 そして、風が吹いていないにも関わらず、鵺の金色の長い髪が、ふわり、と宙を舞っている。

 薄紫の着物をキッチリと着こなしている姿はまるで、どこかの茶道家のようだ。

 その上、金色と茶色のグラデーションがかったの長い髪と目元の朱色、透けるように白い肌と、すらりとした身長。

 何だかムカつくぐらいの人目を惹く容姿を持つ目の前に立つコイツ、鵺は、人では無い。

 ガサガサと手に持った大きなビニール袋の中を手探りで探す姿は、そこらの人間より人間らしく見えるが、鵺はれっきとした妖怪だ。


 鵺自体は、伝説上の妖怪といわれ、頭は猿、手足はとら、体はたぬき、尾は蛇、声は虎鶫とらつぐみに似ている、と言われている。


 けれど、俺の知っている鵺は、「まったく! 坊ちゃんは! だからいつもちゃんと鍛錬しなさいと言っているでしょう!」などと、商店街とスーパーで買ってきたであろう夕飯の材料が入ったビニール袋を漁りながら、ブツブツと文句を言う目の前のコイツなのだ。


「何処らへんが、伝説なんだか」

「何か言いましたか?」

「いや、別に」


 ボソ、と呟いた言葉すら聞き漏らさずに、バッとこちらを鵺の視線が突き刺さり、首を左右に振りながら答えれば、「まったくもう……っ」と鵺はまたスーパーの袋へと視線を戻す。



【その鳴き声は聞くものの心を蝕み、そのものの魂を取り殺し、喰らうともされる】


『坊ちゃんに手を出そうなんて、100万年早いんですよ。この雑魚妖怪が』


 あの時、そう放ったあの声なら、確かに取り殺されそうな気も、する。

(けれど、俺の知っている鵺とは、少し違う気がする)

 そんなことを考えながら、鵺を見上げれば「どうしました?」と心配そうな視線をこれでもかと、全身に向けられる。


「……いや」

「坊ちゃん。頬、怪我してますね」


 ピタリ、と頬に触れた鵺の手は冷たい。

 この心配性な手からは、やはり、伝説の妖怪、なんてことは思いつかないが。

 それでも、この目の前に立つコイツは、『鵺』という妖怪、そのものなのだと、ふとした瞬間に再認識させられる。


 例えば、それは ――………


「やっぱり坊ちゃんは、きちんと鍛錬しないとダメですね………もう、何でこんな傷までつけて……」


 ブツブツと頬を膨らませている鵺の目元は、朱く染まったまま、チリ、と身体に小さな痛みが走る。

 その小さな痛みは鵺が俺に触れる度に、静電気のようなものがチリ、と身体に走っていく。

 雷と関係のある鵺の機嫌が悪い時は大概、こんな感じだ。

 そしてさっきから怒りを抱えたままの鵺に、今ここで何を言っても火に油を注ぐようなものだ。

 だが、しかし、これだけは言っておかねばいけない。


 ―― あの札が


「爺ちゃんのだと思ってた札が父さんのだったんだよ。仕方ないじゃん」


 俺の実力不足も然ることながら頼りの札が殆ど頼れない札だったと分かった時の俺の衝撃も半端じゃない。


「あぁ……なんていうかそれは………えぇ、仕方ないですね」


 鵺も、そこのところは不運だと思ってくれたらしく、冷たくなっていた空気にほんの少し暖かさが戻り、俺は小さく安堵の息を吐いた。

 ガサガサと、袋を漁っていた手を止め、鵺が小さな饅頭を一つ、俺の手のひらに乗せた。


「だから白澤が、早く自分の護符はきちんと自分で書きなさいと、いつも言ってるんです。坊ちゃん」


 そう言って、ピン、と俺にデコピンを食らわせた鵺は、「帰りますよ、坊っちゃん」と言って、ついさっき、俺を襲っていた妖怪を払った小さな扇を取り出して、俺たちの目の前の空気を一撫でした。



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