10-⑩:『女』と『子供』が妬ましい。

「気がついたら、朝になってた。男たちはもういなくて。お母さん、裸のままで床にへたり込んで泣いていた。その頃のオレ、チビだったから、お母さんが男達から何をされたかなんて想像もつかなかったけど、とてもひどいことをされたってことだけはわかった」

「……」

 ロイは気の利いたことを何も言えず、セシルの話を黙って聞いていた。


「それから、お母さん、おかしくなっていった。オレを家に置いて、夜な夜などこかへ出かけていくようになった。それでも、最初の内は「ごめんね、お仕事なの」と、泣くオレを寝かしつけてから行ってくれていた。オレ寂しかったけど、次第に我慢するようになった。だって、お母さんが夜に働いてくれているおかげで、食べ物がたくさん食べられるようになったから。だけど、だんだんとお母さん、変になってきたんだ。常にいらいらとするようになって、オレに手をあげるようになった。そのうち酒を飲んで暴れるようになったし、ひどい時は酒瓶で殴られたりした」


 セシルは、淡々と話している。その言葉にあまり感情は含まれてなかった。本当に記憶を話しているだけだという感じだった。


「そんなになっても大事な母親だと思っていたよ。きっとお仕事が大変で疲れているんだろうって思っていたし、オレを殴ってそれで機嫌が良くなるのならそれでいいと思ってたところもあったな。…これ、お前と一緒だな」

「ああ…」

 ロイは頷く以外のことができずに、ただ頷く。


「お前も、もう察しがついていると思うけど、お母さん、夜な夜な兵士たちの駐屯所に行って、体を売っていたんだよ」


 セシルは膝を抱えると、その上に頬を乗せた。


「きっかけは強姦だったんだと思う。その後も自主的に体を売りに行ったのは、奴らに何か脅されていたのか、それとも体が汚されたことであきらめがついて売春を始めたのか、本人が死んだ今となってはわからない。だけど、占領下では女の仕事なんて敵兵に対する売春ぐらいしかなかったからな、結局オレを抱えて食べていくには仕方がなかったんだと思うよ」


 セシルはふうと息をつく。


**********


 母親から受ける虐待の毎日の中で、セシルは自らの出自も知った。


「私はね、本当はリトミナ王家のお姫様だったのよ!なのに、馬鹿な平民に恋して、あんたを孕ませられて家を出るしかなくなったのよ!」

 酔っぱらって顔を赤くしたエレナが酒瓶を片手に、セシルを足蹴にする。


「あんなやつになんで惚れたのかしら。…家族を捨てるような男に!…どうせ、女に騙されてほいほいついていったんだ!あいつの妹も、どっかのお貴族さんに騙されて、子供孕まされた呑気なやつだったから!」

 セシルは背中と頭を蹴られながらも、悲鳴も上げずに歯をくいしばって耐えていた。


「…そもそも、兄上があんな女を哀れに思って拾ったのが悪いんだ!グレタなんていなけりゃ、あんな馬鹿男に出会うこともなかったのに!それに、あんたさえできなければ、今頃はこんなに苦労することもなかったのに!」

「…ごほっ!」

 腹を思いっきり蹴られ、セシルは胃液を吐いて悶絶する。


 しかし、これだけ痛めつけられても、セシルにとってはもう慣れたものだった。どのみち一時間もすれば、酔いが回って眠りに落ちるのだ。そこまでの我慢だ。



「…」


 そして今日も嵐は過ぎ去った。セシルは口元の血をぬぐいつつ起き上がれば、エレナは小汚いベッドに倒れ込むようにして眠っていた。


「……かぜ引いちゃうよ」

 セシルは涙がせきを切らないように目元に力を入れながら、エレナに布団を掛ける。


「大丈夫。いつかきっと、お母さんきっと元にもどるから。今はおしごとでつかれてるだけだから」

 セシルは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。しかし、そのつぶやきは心に何も安堵を生み出してはくれず、ほの暗い空間に虚しく響いただけであった。



 そして実際、セシルの未来へのかすかな希望を打つ消すがごとく、現実はさらなる悪化しかしなかった。


 日増しにエレナの風貌はひどくなっていった。落ちくぼんだ目を何かに憑りつかれたかのようにぎらぎらとさせるようになり、銀色の髪の毛は薄汚れて広がり、さながら山姥のようであった。エレナを相手にする兵士も減り、「ババア」とののしられるようになり、稼ぎも減った。

 過酷な現実から逃避するため、男から求められることに自身の自負と存在意義を感じるようになっていたエレナにとって、女としての美しさがなくなることは自身のみじめな境遇を思い出させる忌まわしい出来事であった。


 そして、エレナはふと気づく。過酷な生活にやつれて美しさを失っていくみじめな自身と、その自身の稼ぎのために年相応の女の子らしくふくふくと可愛らしく成長していくセシルとの違いに。それは、さらに自身をみじめにさせる現実だった。そして、その現実にエレナは我慢できずに爆発した。


「なんで私ばっかり男に汚されて、あんたはおきれいなままでいられるの?なんで私ばっかり、こんなひどい目に合わなくちゃならないの?」

「…っ!」

 セシルは頬を殴られて、床にしりもちをつく。


「なんで、同じ女に産まれて、同じ地獄にいるのに、こいつは子供ってだけで守られているの?なんで、私は親ってだけでこいつを守らなきゃいけないの?」

 ごすごすと、セシルは顔を踏みつけられる。ヒステリーを起こしわめき騒ぐ様は、まるで幼子の癇癪のようだった。


「なんで、なんでなんでなんで私ばっかりみじめな目に合わなきゃならないの。なんで、みじめな目にあってまで、こいつなんか養わなきゃならないの!なんで自分の美しさを捨ててまで、こいつを美しく育てなきゃならないの!なんでなんでなんで!」

 いつもにも増して蹴られながらも、セシルは声をあげないように必死で歯を食いしばる。しかし、それがさらにエレナの神経を逆なでした。


「あんた内心でせせら笑ってんでしょ?!内心で男に身を売って金をもらってくる母親を軽蔑して見下してんでしょ?!自分に暴力振るう母親が、身も心もぼろぼろになってざまあみろって思ってんでしょ?!」

「ちがう」

 セシルは今まで虐待を受けてきた中で、初めて言葉を発した。黙っていることが母を勘違いさせ、怒らせたことを悟ったからだ。しかし、それはさらにエレナを逆上させることになった。


「何が違うの!!」

 エレナはセシルの頬を蹴りとばした。折れた歯が床に飛ぶ。


「あんたなんか!あんたなんか!」

 エレナは机の引き出しを乱暴に開けると、裁ちばさみを取り出した。切っ先をセシルに向ける。


―殺される


 セシルはそう思い、床を後ずさった。しかし、髪の毛をわしづかみにされる。


「…いやだ!いやだああ!」

 エレナは暴れるセシルを足で床に押さえつけ、髪の毛を毟る勢いで切っていく。


「私より、もっとみじめになればいい!」


 一通り切って気が済んだのかやっと解放されたセシルは、呆然としながら床に散らばった銀の髪の毛を見た。


「恨むなら自分を恨みなさいよ」

 その声に顔をあげれば、母は冷たい目線で自分を見下していた。

「あんたが女に産まれてきたのが悪いのよ」

 母に、子供であることと女であることを嫉妬されているなどと、幼いセシルは理解もできなかった。




 その日以降、過激になった母親からの暴力に、セシルは耐えきれず、度々家を飛び出すようになった。しかし、行くあてもない上、あたりをエレスカ兵がうろうろとしていて恐ろしく、結局お腹も空いて家に帰れば、さらに暴力を振るわれるという悪循環に陥っていた。


 そして、ある日、セシルは母に腕をつかまれ、引きずられるようにして外へ連れて行かれた。行き先はエレスカ兵の駐屯所の一角にある、薄暗く汚い小部屋。そこには数人の男達がいた。セシルは訳が分からないまま、そこに放り込まれた。


「……」

 知らない男たちが下衆びた笑みを湛えて、セシルに近づいてくる。


「お母さん、お母さん、出して!出してえええ!!」

 セシルは恐怖にドアを叩き叫ぶが、開かない。


「お嬢ちゃん、大丈夫だよ。おじさん達、お母さんのお友達だから。君と一緒に遊んでほしいって頼まれたから、わざわざこうしてみんなで来てあげたんだ」

 気持ち悪い笑みを浮かべて、セシルに両手を広げる中年の男。気色悪さに、セシルは後ずさるが、後ろは開かないドアで逃げ場はなかった。


「お嬢ちゃん、おじさん達と遊ぼう。なあに、そんなに怖がらなくてもいいんだよ。とても楽しいことをするんだから」

「いやだ、いやだいやだ」

 セシルは近づいてくる男達を、ガタガタと震えながら見た。男たちはそんなセシルの様子を楽しみながら、じりじりと近づいていく。


「いやだあああ!」

 男達の隙間から逃げ、窓をめがけて駆けた。しかし、あっという間に捕まる。セシルは暴れるが、男達にかかえられ、部屋の奥のベッドへと、あっという間に放り投げられた。


「いやだ!やめて!はなせえええ!」

 服を脱ぎつつ、のしかかってくる男達。手を伸ばしてくる男達を、セシルはパニックに任せるがまま、手当たり次第にひっかいた。しかし、あっけなくセシルは押さえつけられて、服が引きはがされる。


「ひいいいい!」

 セシルの素肌が、男達の脂ぎった手でべたべたと触られる、舌でなめられる。男たちの、生臭い荒い息。


―いやだいやだきもちわるい


 泣き叫び抵抗する。ふと見れば閉められたはずのドアが開いていた。そこには女がいた。他の誰でもない、自身の母親だった女が、満足げにせせら笑っていた。


「嫌だ、ですって?私にはこれと同じことをさせておいて、自分だけはのうのうと暮らしていたくせに?これからはあんたに稼いでもらうわよ」

 それでもセシルは救いを求めるかのように、女を見た。しかし、女は腕を組むと小ばかにするかのようにセシルを見る。


「こんなことをするのが嫌なら男に産まれてくりゃあよかったのよ。あんたが女に産まれてきたから悪いのよ、自分の責任じゃない。子供でも一応は一人の人間なんだから、責任ぐらい自分で取りなさいよ。っていうか、本当言うと子供なんて男でもいらなかったわ。あんたには、そもそも産まれてきて私の人生を狂わせたこと自体の責任を取ってほしいわね」


 しかし、女は「まあ」と腕を組みなおして、開けたドアに体をもたれかけさせた。


「お母さんだって本当はわかってるわぁ、子供が責任なんて取れない事。だけど、そんな御身分が腹立つから、せめてあんたの女の幸せは全部奪い取ってやる。あんたが私から奪ったみたいに」


 訳が分からない。だが、虐待の中で度々繰り返されてきた「女」と「子供」という言葉に、自身が女であることと子供であることが母の気に障っていることは理解できた。



―だけど、


 セシルは口腔内に気持ち悪い感触が入り込んだのに、餌付いた。男の舌だった。


―あたしが悪いの?ほんとうに?


 セシルは、涙でにじむ視界の中で思う。


 お母さんが変になったのも、あたしがこうなったのも、あたしが子供で女だからなの――?



「じゃあね、また迎えに来るからそれまでせいぜい遊んでもらいなさい」

「やめて、あやまるから。あやまるから許して」

 しかし、女は嘲るような表情をして、振り返っただけだった。ドアがぱたりと閉まる。


―許してくれないんだ


 セシルは絶望に抵抗をやめた。男たちの気持ち悪い満足げな笑みが、静かになったセシルに向けられる。


―あたしが悪いの?ほんとうに?


 セシルの寄る辺を無くした思考は、得られるはずのない救いを求める。誰に問うともなく、心の中で問いつづける。

 すると、心の奥底からそんなわけないと、理性じみた返事が返ってきた。


―悪いのは、お前をこの世に産んだ母親だ。そして、お前をこんな風にした運命だ


 幼いセシルに詳しいことはわからなかった。しかし、それだけで妙に納得できた。


 一人の男が舌なめずりをして、のしかかってくる。しかし、もうセシルの目にその男は映っていなかった。

 彼女の目は絶望の光を湛え、憎々しい自身の運命を、世界を見ていた。



 もういい

 どうでもいい

 みんな、ぶち壊してしまえばきれいさっぱりする

 みんな、みんな死んでしまえ

 みんな、みんなみんな消えてしまえ



 セシルは体の内側からわき上がった力を、叫ぶがままに爆発させた。

 視界が白に染まる。巻き上がる暴風は、男達に断末魔も許さない。

 それでもセシルは止まらない。散々何かを叫んで吠えて、言葉にならない感情を吐きだし、どこを走っているのかもわからず駆け続けた。



「……」

 そして、セシルが気がついたときには朝だった。

 セシルは黙ったまま立ち上がり、あたりをぼうっとした心地で見渡した。

 街は瓦礫の山と化していた。

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