8-⑧:優しい人ほど、後が怖い。

「…」

 朝日がまぶしい。いつもより数段まぶしい気がする。セシルはううとうめくと、布団をかぶってもぐりこむ。しかし、その布団がいつものよりやたら薄くて、頼りない。服も何だか薄い気がする。肌がスースーする。


「…?」

 違和感が積もり積もって、セシルは眠たい目をあきらめて開けた。すると飛び込んできたのは、見知らぬ部屋の光景。


「は…?」

 驚愕しつつ、セシルは首を180度ゆっくりと動かす。どこからどこまで、一切身に覚えのない光景。

 セシルは思わずベッドから飛び降りる。すると、その前には丁度姿見が置いてあって、自身の驚愕の顔を映し出していた。首元には見覚えのない銀の鎖に蒼い宝石のついたチョーカー。そして、袖なしのフリルのついた寝巻を着ていた。手足には火傷の手当がされているのか、包帯が巻いてあった。


「なんで、女の格好してんだ…?いや、それよりもここはどこ?」

 セシルはもう一度部屋を見回す。広くて結構高そうな調度品ばかりが置いてある。おそらく貴族の屋敷の部屋ようなところだと思うが、様式がリトミナとは違う。


「そう言えば、オレ、城にいたはずなんだよな…」

 離れで戦い…その後、医務官に呼び出されて、階段から突き落とされた。すると見知らぬ礼拝堂に居て、そこで気を失ってしまってから気付いたらここにいた。


「あの医務官が何かしやがったのか」

 奇妙な出来事が起こる直前、そばにいたのはあいつだけだ。

「……」

 マンジュリカの手先か?しかし、直感的に違うような気がする。

 それに気になるのは、

「女ってばれたな、たぶん」

 セシルは鏡で自分の姿をもう一度見て、唇をかむ。見るからに女物の服を着せたということは、気づかれたということだ。セシルは公表する前にこんなことややこしい事に、と苦々しく思う。


「…あれ?ばれたってことは…」

 セシルははたと気づく。知られたということは、あの本物ではない医務官に体を見られたということになる。

「うぐううう~」

 恥ずかしさと悔しさに、セシルは体を抱く。泣きたい。けれど、今はそうしている時間もない。


「とにかく外に出ないと」

 理解が追い付かないうちに、こうもころころと場面が変わっていくと混乱する。まず現在地を把握しようと窓に寄る。しかし、窓に触れた途端、バチンと激しい音を立てて手に電気が流れる。

「いってえ!」

 セシルは痛みにしびれる手を振る。何やら仕掛けをしているらしい。


「この分だとこっちも…」

 セシルは部屋のドアに駆け寄ると、無事だった反対の手でノブを握った。瞬時に電流が流れる。

「ひいいい!」

 セシルはあまりの痛さに床を転がった。


「くっそお」

 どうやら逃亡防止に仕掛けられているらしい。ひりつく手にふうふうと息をかけて冷やしながら、セシルは立ち上がる。

「こうなったら魔法でぶっとばして…あれ?」

 魔力を出そうとしたはずなのに、湧かない。当然、手から何も出ない。そんなはずはないと思い、再びいきむが同じだった。


「くっそ…なんなんだよ!」

 セシルは焦る。こんなわけのわからない場所にとっ捕まったうえ、魔法も使えないなんて。

「まさかこれが魔力封じか」

 セシルは首のチョーカーを外そうとした。しかし、継ぎ目がない上、全然千切れない。

「くっそ」

 普通の魔力封じなら魔力が体表に出て炎等に具現することがないように、体内に封じ込めるものである。だから、血で魔法を扱うタイプで、しかも魔力を吸収して魔力封じ自体の魔術式を破壊できるセシルには通用しないはずだった。なのにこれは、破壊出来るどころか自身の魔力が全く湧かない。

 散々引きちぎろうとして無駄だとわかると、セシルはぜぇぜえと息をついて座り込む。


―コンコン


「…!」

 部屋がノックされる。咄嗟にドアの前から飛びのき、セシルは身構えた。


「…目覚めていたんですね」

 ドアを開けて部屋に入ってきたのは、灰色の髪を肩まで伸ばした男だった。どこかで見たことがあると思いよくよく見れば、髪型や髪の毛の色は違えどあの医務官の顔だ。変装していたのだろう。

「お前は…」

 一体何者だとセシルは言いかけて、言葉を失った。その男に続いて入ってきた人物を、驚愕の表情のままセシルは見つめる。

「お前、なんで…」

 レイン・ランドルが立っていた。思わず助けを求めようとしたが、レインはばつが悪そうに目をそらす。それで味方ではないことに気づいた瞬間、パズルのピースが埋まったかのようにセシルは理解する。


「……まさか、あの時からこうすることを狙っていた…」

 呆然とつぶやくセシルに、レスターは違うと言いたかった。しかし、言っても信じてくれないだろうと思い、開きかけた口を閉ざす。それをセシルは肯定だと受け取ってしまう。


「…ははは…やられちまったな、こりゃ」

 へたりこんでセシルは力なく笑う。あの時に自分が狙いなどと気づきもせず、それどころかあほみたいに信じていた自分。もう一度会いたいなんて馬鹿な考えを持った自分。その馬鹿な願いはこうして報いとなって帰ってきたんだろうと自嘲する。


「…もうお手上げだな、こりゃ……ってな!」

「…!!?」

 それはそれ、いまはいまだ。セシルは敷物の端をつかむと、思いっきり引きぬいた。丁度その上にいたレスター達はバランスを崩す。引き抜いたそれをひっくり返った2人の上にすかさず被せ目隠しすると、走り出す動作の中で目についた丸椅子を引っ掴み、窓に思いっきり殴りつける。派手な音を立ててガラスが割れ、窓枠が壊れる。


「さいなら!」

 セシルは飛びだした。体が宙に浮き、これで自由になれると思った次の瞬間、


「「…!?」」

 セシルの目の前に出現したのはレスターの顔。2人の視線がかち合った瞬間、お互いに驚愕する。セシルはそのままぽすんと、尻餅をついていたレスターの上に抱きつくようにして落下した。

 状況が理解できずに驚くセシルより、一瞬早く我に返ったレスターは慌ててセシルを取り押さえる。


「何すんだ!離せえ!」

「残念でしたね。もう少し動作が早ければ逃げられたかもしれないのに」

 とはいえ、セシルは敵方のレスターでも思わず感心する動きを見せていた。あれ以上速く動けと言われても、人間じゃ無理だろう。ノルンの魔法が、特殊すぎるのだ。こんな相手を敵に回したセシルを哀れに思う。



「あっ…?!」

 突然セシルの抵抗が緩まった。疑問に思えば、セシルは何故か泣きそうな顔で、顔を真っ赤にしていた。足元を気にしているのか、もじもじとさせている。不思議に思いセシルの足元を見ると、すべすべとした白くて綺麗な太腿と、その付け根には可愛らしいレースのついた白い下着…。


「……」

 レスターは咄嗟に頭を戻す。すると、さらに顔を赤くして涙目になっているセシルと目が合ったので、あわてて目をそらす。暴れたから裾がまくれたのだろうが、取り押さえている相手に直してやるなんてそんな隙を見せたら何をされるか分かったものじゃない。可哀想に思うが、いや可哀想だからこそさっさと拘束してから直してあげよう。


「ノルンはやく手錠!足枷も!」

 そう言うことに無頓着なノルンは、平然としたままレスターに手枷を渡す。

「あなたたちが奥様に見つかるから、こんなことになるんですよ」

 ノルンはやれやれと息をつきながら、セシルの足首を無理やりつかみそろえ、足枷をがしゃんと閉じた。うわあ、この男、平然とセシルの下着と足を見ていた。好色めいた気を起こす男ではないのだが、遠慮のなさにこの子の気持ちを考えるといたたまれなくなり、レスターは渡された手枷をしてあわてて裾を直してやる。しかし、セシルに思いっきり睨まれる。


「にしても、どうやらセシル本人で間違いないようです。女性だったので、もしかして用意されていた影武者かもしれないとは思いましたが、あなたを知っているということは本人で間違いないでしょう」

「…そうだな。しかし、驚きだ。セシルが女性だったなんて…」

 レスターがセシルを向けば、床に大人しく座ったままだがむすっとして睨んでいる。

「そんなこと、もうどうでもいいです。これ以上ここに置いておくと、奥様が色々と口出しして話がややこしくなりそうですから、さっさと陛下の元へ連行して、さっさと任務を終えましょう」


「陛下?連行?国ぐるみの誘拐か!お前ら一体何人だ!」

 自分が女であることを知らなかったから、マンジュリカ関係の人間ではないと分かる。ただし、男たちの話す内容から、セシルはどこかの国に捕まったことを理解した。


「…あなた方の大嫌いな、サーベルン人ですよ」

 ノルンは皮肉混じりの声音で返す。


「…サーベルンだと?いったい何の用があってオレを!」

 聞きつつも、セシルは何となくわかっている。おそらく、何らかの交渉を有利に進めるために、人質にしたいのだろう。


「理由は正直な所、陛下から我々も聞き存じておりません。ただ、あなたをマンジュリカの仕業に見せかけて、誘拐しろと命じられただけで」

「見せかけて…?なんで…」


 セシルは意味が解らない。人質にするつもりなら、もっと堂々と私がやりましたと誘拐するはずである。それなのに、何故人のせいにして、こそこそと誘拐する必要があるのか。


「さあ?あなたを突きだせば、我々にも教えていただけると。だけど、私は、あなたに新しい価値ができたと思いますがね」

「…?」

 ノルンが値踏みするようにセシルの体を見る。セシルは気味が悪くて、自由にならない体で何とか後ずさった。

「あなたの魔法は魅力的ですからね。女なら嫌がっても簡単に孕ませることができますし」

「!!」

 ぞくりと震え、セシルははっと気づいた。


 レアな魔法は、親から子へと遺伝する。そしてそうした家系の女は、特に国家で厳密に管理される。極力、国外へ流出しないようにするのだ。なぜなら、婚姻によって、国家間の力関係が変わるかもしれないからである。例えば、差して力のない国にそういった女が嫁いだことで次世代がその魔法を受け継ぎ、彼らが急に力を持つようになり、今までの力関係が崩れることがある。

 実際、吸収魔法は、リトミナの王家の血として周辺諸国の脅威となっている。最近のリトミナ王家では、代々兄弟が早世して一人っ子または二人っ子になってしまっているのであまりとやかく言われないが、過去には国外へ嫁にださないように厳重に管理していた。セシルは今まで男として生きてきたので、こんなことを意識したこともなかったが。


「マンジュリカなんて災いを呼ぶことは欠点ですが、今ならどこの誰が攫ったかもわからない。リトミナの奴らはあなたがあの騒ぎの中でマンジュリカに攫われたと考えるでしょうし、マンジュリカはあなたが自分の意思で身を隠したとでも思うでしょう。その陰で、我々はあなたの血をサーベルン王家に安全に取り入れることができます」

「お前ら…」


 セシルは跳びかかろうとして、できずに床に倒れた。自身の女の体を忌々しく思う。淡々と物語る男にも腹が立つ。しかし、その後ろでじっとこちらを憐れむように見ている赤毛の男にも、憎しみとも言える思いを抱いていた。


「殺してやる…絶対に」

 セシルは歯を食いしばり、睨みつけた。しかし、灰色髪の男は冷たく蔑むように見下すだけ、赤毛の男は目を逸らすだけ。

 絶対に殺してやる。そう怨嗟の声を絞り出そうとした時、



「あなたたち!あれだけ言ったのに、やっぱりいじめているじゃない!」

「…っ!ち、違います母上!」


 セシルがその声にふと目をあげれば、初老の女性が部屋のドアのところに立っていた。つかつかと赤毛の男に詰め寄っていき、襟ぐりをつかんでぶんぶんと揺らす。それを見た灰色髪の男は「奥様…」とつぶやき、聞こえよがしにため息をつく。


「奥様、何度言ったらわかるのですか。そいつは敵方の者なのですよ」

「だからと言ってその子が何かしたわけでもないんでしょう?あなたたちが一方的に攫って来たんだから」

「だから、それは王命で!」

 灰色髪の男は、顔に似合わず感情的になっているらしい。


「王命でもやっていいことと悪いことがあるでしょ!女の子を拘束するなんて!」

「こんなやつのどこが女の子ですか!」

「女の子じゃない、とてもかわいらしい」

 至極真面目に言われた言葉に、セシルは状況も忘れてぽっと気恥かしくなる。


「こいつの化け物じみた魔法を見ていないからそう言えるんです!」

「女の子に化け物なんていうものじゃありません。こんなかわいい子のどこが化け物ですか」

「そう思うなら自分で面倒をみればいい!」

「じゃあ、私が面倒を見ますわ」

 つい言ってしまったらしい言葉に、女性に真面目に切り返され、灰色の髪の男はしまったという顔をした。


「い、今のは違います。取り消してください、つい言ってしまっただけで…」

「取り消しません。あなたたちにこの子を任すなんて見ていられないわ。扱いがひどすぎて、可哀想で可哀想で。ねえ、大丈夫だった?」


 女性は倒れていたセシルを起こすと、髪の毛を撫でて整えた。思わず頷いてしまうセシルに、女性は安心させるかのようにふふっと笑いかけた。


「これからは私がお世話してあげるからね」

 その一方で、「さっさと鍵!」と片手を赤毛の男に付きだしている。赤毛の男は灰色の髪の男と目くばせした後、仕方なさそうに拘束具の鍵を渡した。どうやらこの女性は赤毛の男の母親で、二人は彼女に頭が上がらないらしい。じいーっともの言いたそうに女性を見つめる男2人。状況も忘れてセシルはおかしく思う。


「何見てるの、さっさと出ていきなさい」

 きつい調子で言われ、男2人はしかたなく部屋を出ていく。


「ほら、こんなことされて嫌だったでしょう」

「……うん」

 ガチャガチャと拘束を外されながら、今なら隙を見て逃げられるとセシルは思うが、何だかこの女性を相手に暴力を振るうのはいかがなものかと思えた。


「ほら、着替えを持ってきてあげたの。そろそろ起きている頃だと思って」

 セシルは複雑な思いで手枷の外された手首を見ていると、ずいっと畳まれた服を渡される。

「お、女物…」

 セシルは思わず受け取ってしまい広げて見れば、フリルのついた青と白のノースリーブの服。サーベルンの服は、熱い国のためか露出部分が多い。


「…」

 こんなものを着ろと。この寝巻ですら、スースーして頼りなくて恥ずかしかったというのに。

 とはいえ実際は肩と腕が出ていて、裾丈が少々短くて足首が見えるぐらいである。しかし、あまり肌を出さないリトミナ様式の服ばかり来ているセシルにとっては、十分な露出だった。


「良く似合うと思って選んだのよ。私のお古だけど、一回しか着てないしほぼ新品。サイズも急きょ直したから!ほら着て!」

 にこにこにこと笑顔の圧力がセシルにかかる。セシルは後ずさりつつ、思う。あいつらより、こっちの方が強敵なんじゃ…

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