7-⑥:潮時
ラウルは自室のソファで頭を抱えていると、部屋がノックされた。立ち上がって返事すると入ってきたのはやはり、セシルを診ていた宮中の医官であるレイフだった。
「セシルは…」
「嬢ちゃんは大丈夫です。しばらくは絞められた跡が残るでしょうが、後は問題ありませんよ。ご安心ください」
「良かった…」
ラウルはほーっと息をつくと、再び座った。
「すみません、こんな夜分遅くにお呼び立てして…」
「何を何を、頭なんか下げんでよろしいですよ。昔からの付き合いじゃないですか」
レイフは笑いながら、ラウルの反対側のソファに腰を下ろす。
「にしても、まさかサアラがねえ。何となく理由は想像がつきますが、一体何があったんです?」
ため息をつきながら、レイフはポケットから葉巻を取り出す。
「…ご想像の通りだと思いますが、恋愛が狂気に向いたと言いますか…」
最近ずっと、深刻で思いつめるような顔をしていたサアラ。理由はセシルの縁談だと容易に想像がついた。自殺でもされたらと心配し、頻繁に声をかけてやるようにしてはいたが、いつも生半可な返事で返されていた。そして、その結果がこれだ。ラウルはため息をつくと、事の仔細を簡単に説明する。
「恋愛ぐらいで、ここまで思い詰めるとは…。そこらへんの色恋に夢うつつを抜かしている女ならともかく、まさかサアラがそうなるなんて」
レイフは葉巻の煙をため息に乗せて吐く。ラウルだって驚きだ。まさかサアラがここまでするなんて。
寝る準備をしていたラウルの部屋に、急に小間使いの者が来て遠慮がちに言うには、「セシル様がお部屋で…おそらくサアラと揉めているようなのですが」とのこと。それを聞いた瞬間、これは確実にサアラがやらかしたと悟った。ラウルが鍵束を引っ掴み部屋へ向かえば、やはり鍵は閉められていた。血の気の引く想いで鍵を回したものだ。結果、危ない所だったもののセシルは助かったのだが、もう少し遅かったらこんなどころの騒ぎではなかった。
「ところで、その小間使いの者は、部屋の中の話を聞いてはいなかったのですか?」
「即刻口封じだ」とグサッとナイフを突き立てる真似をするレイフを相手に、ラウルは苦笑する。
「セシルを先生に診てもらっている間に、私の部屋に呼んでそれとなく確認しましたが、しらを切っていましてね。…端から王子の手先だとわかっていたので、そのまま捕らえて地下室に転がしていますよ」
彼はつい三週間ほど前から、セシルがリザントに行っている間にこの屋敷に仕え始めた者だった。表面上は王の側近の紹介で入ってきたのだが、その者が王子の寝室に出入りしているという情報を、王宮に女友達のいる侍女たち(女の情報網はすごいと常々思う)から得ている。前々から思っていたが、セシルの正体にあの王子は勘付いているのだろう。縁談の話が急に出てきたのも、この際それを明らかにするための、王子の策略かもしれない。
とにかく、セシルの正体を知ったであろう者を、そのまま自由にするわけにはいかないと捕らえた。ラウル一人じゃ無理なので、同じくセシルの事情を知る屋敷の者たちと共に。セシルの事情を知るのはサアラだけではなく、屋敷の中でも長年使えている上に、信頼のおける数名の使用人が知っている。レイフも普段は宮中に仕えているが、そのうちの一人でセシルが怪我や病気の時にお世話になっている。ちなみに、王子の手先を捕らえた凶器はナイフではなく、背後から不意を狙った料理長のフライパンだ。
「バカですねえ、呼びになど来ず、さっさと盗み聞いた情報を持って、王子の元へ行けばよかったものを」
「さすがに、ターゲットが殺されたらまずいと思ったんじゃありませんか。それに、あの小間使いも自身が疑われていることに薄々気づいていたようですし。あえて私を呼ぶことで、自身が怪しまれずに済むと思ったんでしょうかね」
ふうとラウルが息をつく。そのまま会話が終わり、落ちる静寂。ラウルは心の隅から隅までやるせない気分を湛え、レイフが持った葉巻の煙がくゆるのをじっと見ていた。
「もう潮時じゃないですか、坊ちゃん?」
ふと、レイフが諭すように言う。
「……」
ラウルはうつむいたまま、何も答えられなかった。
「嬢ちゃんがこんな身分にいなかったら男として生きて行けたと思うんです。だけど王家の人間である以上、これ以上男の人生を歩むのは無理だと…。もう、公表せざるを得ないんではないんですか?」
「……」
セシルが女であることを公表する。セシル当人の気持ちはさておき考えてみる。世間はおそらく大騒ぎになるだろう。騎士団を退団せざるを得なくなるし、好奇の目線と中傷にさらされるかもしれない。ラウルも隠していたことを責められるに違いない。ただ、事情が事情だし、彼女は国に貢献している部分が多いため、女という事実を隠していたことで具体的な罰を得ることは無いだろう。
それどころか、諸手を挙げて王の取り巻き達は喜ぶに違いない。そして、確実に王太子妃としてセシルを差し出さねばならなくなる。
「そりゃ解りますよ。私だって娘をあの王子に嫁がせるとしたら、絶対嫌ですからね。
表面上は好青年とはいえ、性格は得体が知れなくて気持ち悪いし、男女畜生問わずベッドに侍らせてパーティなんて。それに娘が加えさせられたらと思うと、家族を連れて亡命してでも逃げたくなりますよ」
レイフは一人娘が、王子に良いようにされるのを想像して怖気を覚えた。
「だけど、それもこんな身分じゃ、無理でしょう?」
「…ああ。…せめて私の体が強ければ」
ラウルはうなだれる。ラウルも現国王と同じく、脆弱な魔法しか使えない。と言うのは、決して魔力が弱いからではなく、体が弱く吸収した魔力に耐え切れないからだ。もしも体さえ強ければ、立場も強かったはず。そうすれば、セシルを王子から守る力になれたのに。
うつむき拳を握る深刻なラウルを、しかしレイフはこともなげに見て軽い調子で言い放つ。
「魔法なんか使えなくたって、坊ちゃんが嬢ちゃんを孕まして結婚したらいいんじゃないですか?」
ラウルは吹いた。自分の唾を飲み込むところを間違えて咳込む。
「……な、何を突然…げほっ、か、からかうにもほどがある!」
しかし、レイフは至極真面目な顔でラウルに向き直る。
「からかっていません。相手が動けない状況をつくれと言っているんです。女と公表する前に嬢ちゃんと頑張って子供をこさえてしまえばいいんです、本当は従兄弟同士なんですし問題ないでしょう?その上で公表と同時に「実は愛し合っていました」なんて妊娠+結婚の宣言でもしたら、相手も動くに動けませんよ。子供までできている女を、それでも無理に王宮に入れようなんてしたら、周りの批判もありますし、疑念の目で見られるでしょうから。血の衰退の秘密がばれる虞のある行動なんてしませんよ。なめられ過ぎて縁談すら来ない坊ちゃんにとっても、結婚も跡取りもできて一石二鳥ですよ」
「……」
ラウルは突拍子もない話に、最後の余計な蛇足以外、なるほどと相槌を打つ。ただ問題なのは、自分は彼女をそんな対象に見たことがない。見られるかどうかかなり怪しいし、彼女にとってもそうだろう。それに、仮にその案を受け入れたとしても、
「だが、その場合、わかっていて子供をつくった私の立場が…」
出産時期で、王宮にセシルを入れないために子供をつくったことがばれる。それを責められて何をされるかわからない。
「そ・こ・が、私の仕事だっていうんです」
レイフは待ってましたと言わんばかりに、ウインクをして見せる。
「王の取り巻きがうるさく言い始めたのはここんところの2.3週間でしょう?誰かが急に思いついたのを…たぶん王子でしょうが、よく吟味もしないうちに早速実行し始めたんでしょうね。とにかく、1.2ヶ月程度の差なら、私が立場を利用してごまかしてあげます。もっと前に出来ていた風に装ってあげますよ。それに、万一ヤバかったら、赤ん坊と嬢ちゃんは病気とか産後の肥立ちが悪いとかで別荘で療養させていることにして、本当に出産するまで世間から隠せばいいんです。……あっ、そうそう。結婚してからはとっとと、欲しい子供の人数を産ませ終えてください。その後、一度嬢ちゃんが流産したことにして『二度と子供が産めない体になりました』ということにしないと。あなたが事故に見せかけられて暗殺されて、未亡人の面倒を見てあげるなんて名目で王宮に連れて行かれる可能性があるから、それを無くしておかなければなりません…とにかく、坊ちゃんは明日から死ぬ気で毎日、嬢ちゃんと熱い夜をお過ごしになられてください。若いんですから、すぐにできますよ」
「……」
結婚しても暗殺されてセシルを奪われる可能性があるなどと怖いことを言われたが、考えてみれば十分ありうる事態である。
「まあ、もしかしたら、リートン家の再興のために嬢ちゃんを妻にするつもりで、女である事実を隠させていたなんて深読みする奴も出てくるかもしれません。そうでなくとも、あなたの立場をあの手この手で追い込んで、嬢ちゃんを手に入れようとするかもしれませんが」
気の毒そうにレイフはラウルを見る。
「だけど、今考えうる限り、それしか方法はないな…」
ラウルは力なく頷いた。自分のことが危なくなるのなら、その時はその時だ。後で考えよう。まずはとにかくセシルの保護だ。ただ…
「……」
セシルと情交を結ぶなんて。ラウルはセシルと共にする夜を想像して…セシルを押し倒した瞬間に顔面にパンチが飛んでくるのが視えて、慌ててやめた。
そんなラウルを見て、レイフは最初からわかっていたのかふふっといたずらっぽく笑った。
まさか、この状況でからかっただけだったのか?ラウルはレイフを睨む。しかし、レイフは、真面目に向き直ると口を開く。
「最初っからこんなこと無理だとわかっておりましたよ。だから、もう一ついい方法をお教えしましょう。偽装結婚をすればいいのです」
「偽装結婚…」
「一端嬢ちゃんが坊ちゃんの子を妊娠したことにして、結婚してから後々流産したことにでもすればいいんです。あまり早期に流産ということになれば怪しまれるから、お腹に詰め物してある程度たってからということにして。それがきっかけで子供が産めない体になりました、なんて筋書を書けば、奴らもあきらめがつくでしょうしね。坊ちゃんが跡取りが欲しいのならば、妾でもとって産ませればいいことだし」
「…」
「とにかく、どちらを選ぶにしても、明日からすぐ行動を始めなくては。公爵に婚約を受けたとの連絡が行ってから明かしたのであれば、恥をかかされたと恨まれる可能性もあるし、あなたの立場にもっとひびきかねない」
「そうだな…」
ラウルは親指を口に当てて考える。とりあえず、というか、確実に後者を推し進めるしかない。さっそく、明日、セシルの目が覚めたら協力を頼もうと思う。
「ただ、問題は…」
あいつが自分が女であることを受け入れられるか、ということだが。
しかし、迷っている時間もないことが、ラウルの気をさらに重くした。
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