4-⑤:黒歴史はほじると、必ず返ってくる。

「はあ…」

 今しがた、国王との話を終えたラウルは頭に片手をやりながら、城の廊下をとぼとぼ歩いていた。


「もう嫌だ。家帰って寝たい」

 事件後からほとんど寝ていない。というか、ほとんど家にすら帰っていない。国内だけではなく、国外への対応。普段の倍どころか5倍ほどの仕事に、ラウルはほとほと参っていた。


 過重労働反対。残業代上乗せしろ。いやそれより寝させてくれ頼むから。


「……」

 それに、気がかりで寝られないこともある。

 ラウルはクマを飼った目をこする。

 これまでの麻薬事件にマンジュリカが関わっていたことが確定した事もそうであるが、ウェスタイン公爵家のことと、後セシルを助けた男に関してのことが気がかりなのである。


 公爵本人はカーターがセシルに殺されたことに関しては、一切気にしていないどころか、殺されて助かった風である。ただし、彼は公爵家に責任を負わされたことに関して不服の色を表し、かといって国王に突っかかるわけにもいかない。せめて周囲の人間からの理解を得ようと思ったのか、王宮でラウルを含め貴族や高官に会うたびに取り繕い言い訳をし、挙句の果てに第二婦人を家から追い出している。ただ、そこまでしても周囲の白い目にかわりはないが。

 あまりにも特殊な件のため、彼や公爵家の処分については、今のところは保留されている。しかし、息子が犯した罪とはいえ、あれだけの混乱を引き起こしたのだ。近々、軽くはない処分が下されるはずだ。


 ただ、いくら窮地に追い詰められているとはいえ、彼には危険性はない。問題は追い出された第二婦人の方だ。寝込んでいたセシルは知らないだろうが、カーターを失った直後の彼女は錯乱して、次の日家に乗り込んできた。サアラと運よく様子を見に帰ってきていたラウルが門前払いし、家の警備の者に相手の家まで送り届けるようにと半ば強制連行させたが、般若の顔でセシルを殺してやると何度も叫んでいた様は夢に出てきそうで―実際、うとうとすれば出てきて眠れず―いい迷惑だ。

 その後、家に送り届けられた後に追い出されたらしい彼女は、災いの火の粉が降りかかるのを恐れた実家からもそっぽを向かれたそうで、今や行方不明となってしまった。


―だけど、これで終わりにする人じゃないだろうからなあ…


 あんなに狂気に取りつかれていた彼女が、このまま何もしないで引き下がるわけはない。闇にまぎれてセシルの背中を狙ってくるかもしれない。最悪の場合、野放しにしていれば、マンジュリカに利用されてしまう可能性もある。

 さっさと見つけ出して目の届くところに置いておかなければ。だが、人に頼んで、王都を含め周辺の地域での捜索をしているが、未だに音沙汰がない。


 後、前者に比べれば頭痛の種は小さいが、レイン・ランドルの件である。

 第二婦人の追跡の傍ら、セシルの件の口封じをするために彼の捜索行っていた。彼にセシルを助けてもらったお礼をしたかったのもあるが、調べているうちに不可解なことがわかってきた。


 国内の居住者の同姓同名を当たったものの、赤毛の20代くらいという男に見合うものはいなかった。外国からの観客であることを疑い、出入国管理の記録を当たればリトミナの属国トリスタンからの入国者に確かにそれらしき男がいて、事件の1日後には出国している。そして記載されていた住所の屋敷は、無関係の老人が住む家であった。


 ラウルは、トリスタンもしくは他国がトリスタンを装い諜報活動していた可能性を疑った。リトミナに恨みを持つ国はもちろんある。サーベルンは当然、属国領の国々の中にもそのような国はある。ただ、引っかかるのは、自分が目立つ危険を冒してまで、敵国の王族を助けるほどのお人よしが、諜報員にいるだろうかということだが。


―まさか、恩を着せてセシルからいろいろ聞き出そうとしているのか?


 今後セシルに接触してきたのなら、その疑いはほぼ確実になるだろう。もしもそんなことがなかったら、彼はただの、身分を偽った密入国者か、何らかの犯罪者の類だったということになる。そうだったら、通りすがりの人を命がけで助けるだけの心根が残っているということで、更生させてやりたい気もする。

 ただ、どちらにしろ、堅気ではない人物であることにかわりはないので、見つけ次第消すしかない。



 これらに関しては国王に報告してある。60近い王は、でっぷりとした体を玉座に預けていらいらと聞いていた。直後に癇癪まじりの声音で、時同じく副魔術師長追跡の件の報告に来ていた近衛の者に次の指示やらを―愚王である彼が飛ばせるわけもなく―政治顧問団に今後の方針を求めていたが、もとはと言えばお前のせいだろう。今年はよしておけばよかったのに武闘会なんて開催するから。それに、自身はその御身分のおかげでこんな有事だというのに、寝食欠かさずとれるんだから。多少国の威光を傷つけられたぐらいでイライラしないでほしい。そんな上司というか一国の主に文句の一つどころか、100個でも言いたい。



「自分でも少しは動けよ……あだっ」

「…っ!」

 ふらふらと歩けば犬も棒に当たる。いや人間なので棒ではなく、人間にぶつかったようだ。相手の方がたくましい体つきをしていたようで、細身のラウルは床にしりもちをつく。

 ぶつかった相手に謝ろうと見れば、これまた同じく目の下にクマを飼った第一騎士団の団長―ワイアットだった。

「すまない、ふらふら歩いていたもので」

「いやこちらこそすみません」

 差し出された手をありがたく取り、ラウルは立ち上がる。


「…今から帰るのかい?」

「帰るには帰るんですが、セシルの顔を見たらすぐにここに飛んで帰ってくることになりますね。毎日毎日そんなんですよ」

「…俺も待ちに待った帰りだが、うらやましいな毎日帰れるなんて。俺なんてあの日から嫁と子供の顔も見てないんだぞ…」

「これが王族との違いか」と団長は、冗談交じりに言ってくるが顔色が悪いので笑えない。気まずい沈黙の後、お互いに、はあとため息をつく。


「…セシルは、どうだ?」

「体の方はまだまだですが、意識はしっかりしています。後ひと月と半ほどすれば大丈夫だと先生が言っていました」

「良かった」

 ほうっと息を付き、団長が胸をなでおろす。

「たく、あいつ、あんな無茶しやがって。おかげでカイゼルなんてもうぴんぴんしてんだぞ。ムカつくから早速仕事を押し付けてやったけど」

「あれでも一応は病み上がりなんですから、お手柔らかにしてあげてくださいね…」

 苦笑するラウル。ただ、内心では小気味よく思う。


 セシルに体を治してもらったおかげで、カイゼルは事件翌日から元気にしていて、早速団長に仕事を割り振られた。この間、仕事の合間にセシルの見舞いに来た時には、体調を崩したアメリアを看病する暇もないと、寝込んでいるセシル相手にぼやいていた。病人にわざわざぼやきに来たのにラウルは腹が立ったので、さっさと仕事しろと追い出したのだが。


「…助けてやれたらよかったんだがな…」

「助けに行けても、我々では太刀打ちできないのは目に見えていますよ」

 ラウルたちは、貴族や来賓の者を外へ誘導し終わったと同時に、使っていた通路がふさがれたのだ。完全に外から遮断されて、2人は中に入る手段を持っていなかった。やっとセシル達に会えたのは、暗くなった後だった。


「人間を不死身の化け物にする力か…8年前ならともかく、あんなのができるようになったんなら、マンジュリカを倒すのは難しいぞ」

「…ですね」

「…完璧に、あいつの討伐はセシル頼みになるな…」

 関わらせないようにしようと思っていたんだが、と団長が頭を抱える。

「そうですね…」

 今までの国王の求めに、理由を付けてセシルやカイゼルを麻薬事件から遠ざけてくれていたのは団長である。だが、もう守ることはできないだろう。

 マンジュリカに太刀打ちできる人間は最早セシルぐらいしかいない。奴にあれだけ力を見せつけられれば、明白だった。セシルだけを蚊帳の外へ逃がすことは、もう無理な話だ。あれだけの魔法の力を持っているセシルを私情で関わらせないことは、きっと周囲も国王も許さないだろう。と思ったところで、ラウルははっと顔をあげる。


「まさか、マンジュリカはセシルの誘拐に失敗しても、こうなることを見越して…?」

「俺もそう思っている。セシル達を戦いの場に引きずり出すための計画…。あの襲撃は二段構えの作戦だったのかもしれない」

 ラウルに団長は苦しげに頷く。

「…俺があいつを騎士団へ入れたのは間違いだった…。あの時、マンジュリカが生きていた時の可能性を考えておくべきだったんだ…。あの時、君の父親の言いつけを守って、戦いと一切関係を絶たせていれば、普通の生活ができただろうに…」

「…弱気になるなんて、らしくないですよ。それに、セシルが騎士になってなくても、あいつはセシルを狙ってきたでしょうよ。むしろ、騎士になって強くなったから、今回退けることができたんじゃないですか。強くしてくださった団長に感謝してますよ」

 ラウルは団長に微笑んだ。団長は少しだけ顔をあげた。


「きっと父も感謝してますよ。いい部下をもったって」

「ラウル君…」

 団長は感激したのか、目が潤んでいる。ラウルはついでに背を叩いてなだめてやる。

「あのひきこもりがこんなに立派になって…」

「っ!?いつの時代の話ですか!というか、今その話するとこですか?!」

 ラウルと団長はお互いに、団長が第一騎士団で騎士をしていた時代から知っている。若い頃の団長が仕事等で、ラウルの家―当時第一騎士団の団長だったラウルの父の元へ、よく来ていたからだ。



 当時のラウルは虚弱で、何かと部屋に引きこもっていた。詳しく言えば虚弱だけが原因ではない。

 リートン家は、祖父の代から武勲で有名な家だった。しかし、そこに長男として産まれたラウルは生まれながらに虚弱で、周囲は皆ラウルのせいでリートン家は断絶するだろうとため息をついていた。周囲の憐れみの視線と冷ややかな扱いにラウルは耐えきれず、自身の生まれと無能さを責めながら家に引きこもっていたのだった。

 そんな自分にとっては、優しい父親だけが頼りだった。父さえいれば、何もいらない。そんな毎日を送っていたある日、ラウルはセシルに出会った。


 ラウルは安寧の地に突然やってきた弟に戸惑い、恐怖した。自分とは違い、体が丈夫で魔法と武芸の才能もあるらしい弟。きっと彼は父の愛を奪っていってしまう。そして、自身は父に捨てられてしまう。

 そして、ラウルは思いつめるあまり、セシルが屋敷にやってきた数日後の夜中、丁度屋敷をうろついていたセシルを階段から突き落とそうとしたことがある。しかし、ラウルが手を突き出す前に、セシルが気づいて振り返ったので未遂に終わっていた。


 きっと仕返しされると、ラウルは慌てて部屋に逃げ帰ろうとした。しかし、ラウルが部屋に逃げ入る直前で、セシルは彼を捕まえた。そして、セシルはドアにしがみつくラウルを引きはがし、そのまま何を思ったか夜中に外に引っ張り出した。


 そして、近所の原っぱまでラウルを連れ出すとセシルは言った。「枕が変わったから寝られない。オレと適当に遊んでオレを適当に疲れさせろ、そうしたら寝られると思うから」と。

 ラウルは誰かと遊んだことなどなかったから、遊びなど何も知らない。そう言えば、セシルはなんだかうれしそうな顔をした。まるで仲間を見つけたかのような。


 そして、セシルは「じゃあ、オレと並んでここで寝ろ」と言った。

 意味が解らないながらも、ラウルは慌ててセシルの言葉に従った。なぜなら、そうしないと殺すとでもいうかような目で睨まれたからだ。

 最初の間はびくびくしながら必死になって目をつぶっていたが、やがてそんな妙な状況にも慣れてきて、ラウルは恐る恐るセシルに話しかけてみた。すると、存外普通に会話が成り立ったので、今度は楽しくなってきた。父以外の誰かと普通に会話ができたのは、それが初めてだったからだ。


 ただ、日の出前、寝てしまったセシルをえっちらおっちら背負って帰って、理不尽にも自分だけが父に怒られたが(目覚めた後でセシルも怒られてはいたが)、今となっては良い思い出だ。その日以来、セシルに何かと外に引っ張り出されて駆けまわっているうちに、ラウルは心身ともに次第に丈夫になり、今ではあの頃の虚弱さなど見る影もない。


 何年後か後にラウルは、あの日のセシルの真意が何だったのか聞いてみたことがある。するとセシルは、「あの頃は理由は知らなかったけど、お前、見るからに追い詰められてたから、なんか事情があるんだろうなって思ったんだ。だからとりあえず話してみようと思ったんだ」との立派な答えが返ってきた。たった8歳の彼に気を利かされた過去など、兄となった今では、思い出す度に赤面して恥ずかしい限りだ。



「さすが、俺の部下だ。あんな重症だった根暗をここまで成長させるなんて…」

 うっうっと多少演技くさい嗚咽を出しながら、団長は腕で目をこする。

「お願いですから黒歴史ほじくらないでください…後、団長殿も成長しましたね。嫌味な孤高の一匹狼だったあの頃は見る影もありませんね」

 ラウルが仕返しと言わんばかりに、にまにまと笑いながら肘でこづけば、これまた団長もうっとつまった。



 若い頃の団長は仕事はできるが冷淡な青年で、そのくせプライドは高かった。そして、正直なのは良いが相手に対して思った事を隠そうとしないため、大抵の人の目には嫌味な人間として映り、印象が悪かった。

 ラウルも彼が家に来るたびに、おびえて部屋に逃げ込んでいた。ラウルの父もほとほと困っていたようで、幾度か注意しているものの、本人は正直に言っているだけのつもりだから、一向に改善しなかった。


 だが、セシルが家に来てからは、その態度が気に食わなかったセシルの仕掛けるいたずらに度々調子を狂わされて、いつの間にかくだけた性格になってしまった。後で父から聞いた話なのだが、当時彼の人間関係も冷めたもので何かと敵視され、揉めることが多かったそうだ。だが、セシルと交流するようになってからは軟化して、今や中身は気前のいい上司となっている。部下からの信頼も厚い。



「…こほん。何の話かな、ラウル君?さて俺は帰るとしよう」

 団長は急に回れ右をした。ラウルはがしっとその腕をつかむ。

「…ああ、そういえば、あの時面白かったですよね」

「…な、なんのことかなあ」

 覚えがあり過ぎてどれの時か分からないながらも、とぼけて団長はあさってを向く。


「あら、お覚えではないんですか?ほら、客室のテラスの椅子のことですよ。背もたれからお尻のところに、超強力な接着剤塗られてたんですよね、工業用の。父と話した後いつも通りにそこに座って本を読んでいたら、いつの間にか服の中にまで薬液が染みてたんですよね。普通、もっと早くに気づきそうなものですが。結局半日、足を切った椅子をくっつけて湯船につかっていましたよね、半泣きで。結局どんな気持ちだったんですかあれ?」

「…お前、部屋に逃げ帰ったと思ってたのに、全部見てたんだな…」

 仕事柄大抵のことには動じない団長が、たこさん宜しく顔をかああと赤くする。



 ラウルは思い出す。「武家に生まれたのに剣も握ったことがないなんて、団長もこんな子を跡取りにせずとも、再婚して新しく子供をつくればいいのに」などと言って、歯に衣着せぬ勢いでラウルの精神をえぐっていた当時の団長。セシルがラウルと仲良くなって後、初めて彼と会った時「養子をとったと聞いたから期待していたのになんだ。体つきはそこのひきこもりと同じかそれ以下だな」と団長は言ったのだ。弟を馬鹿にされたのに、ラウルは怖くて何も言い返せなかった。だが、セシルはニコニコと人当たりの良い笑顔で「あはは、そうっすか。ご期待に添えなくて残念っす」と受け流し、颯爽と手を振りながらどこぞへ駆けていった。あんな対応ができる弟を羨望の目で見つめながら、ラウルはとぼとぼと自分の部屋へ帰ったものだ。


 だが、それから約数十分後、セシルを呼ぶ父の怒りの声が上がることになる。



「ええ、全部見ていましたよ」

 浴室の扉の隙間からちゃんと見ていましたよ。

 たんこぶを付けたセシルが性懲りもなく『ねえ今どんな気持ち?ねえガキの罠にあっさり引っかかっちゃって、今どんな気持ち?』と挑発して小躍りする前で、団長は立ち上がることもできず半日湯船につかっていたのだ。トイレにもひとりでは行けず、屈辱に耐えつつ、介助役に付けられたセシルに手伝ってもらっていた。

 ちなみに、ラウルの父は彼のラウルに対する態度を知っていたようで、あえて介助役にセシルを押し付けたようだった。さすがの団長も悔しさと恥ずかしさで泣いていたので清々したものだ。しかもその後、風邪をひいて一週間寝込む羽目になったらしい。


「…生意気にもなったなラウル君。良くない傾向だ。ひきこもりを克服したのは良いが、セシルに似てきているぞ」

「あらあ?似て当たり前ですよ?兄弟なんですから」

 あの時のセシルとそっくりなにまにま顔をしているラウルに、団長は拳を握りしめてうめく。人の黒歴史をほじるからほじりかえされるんですよ団長殿?と心の中で言っておく。


「とにかく、俺は帰る!」

 先程までのうなだれた様子はどこへやら。団長は、顔を怒りとも恥ずかしさとも取れない血の気で染め、どすどすと床を踏み抜く勢いで歩きラウルを置いていった。


「ははは…本当にあの頃とは変わったなあ」

 自分も彼も。根本からセシルのおかげでがらりと変わった。その目に映る世界も彼の存在があったおかげで。


―ただ…


「あいつ自身の根本は、何も変わってないんだよな…」

 きっと今度は、自分たちが変えてやる番なのだろうが。

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