第20話

 廊下に出ると、ランプの明かりは消えて窓から朝日が差し込んでいた。空は青一色になり、海面は碧く光り輝いている。


 沙参は前を歩く執事に声をかけた。


「レグルスに仕えて何年になる?」


「私の一族は代々オシスミィ領主に仕えてきました。私も物心ついたときには城で働かせて頂いております」


 執事のワザとずらした答えに沙参はある確信を持ちながら再び質問をした。


「私は|レグルス(・・・・)に何年仕えているのか聞いたのだ。レグルスは何歳になる?お前がこの城で働く前からレグルスは領主をしていたのではないか?」


 沙参の質問攻撃に執事は一呼吸おいてから答えた。


「そのようなことはございません。レグルス様は今年で二十八歳になられます。私は二十八年、レグルス様に仕えさせて頂いております」


 沙参は執事の話し方にどこか引っかかるものを感じながらも、本当の目的である質問をした。


「ほう、ではレグルスが生まれたときから仕えているということだな。なら、レグルスの本当の目の色を見たことがあるだろ。何色だ?」


 沙参の質問に執事の歩調が始めて乱れた。だが、そこは年の功。すぐに歩調を戻して何事もなかったように答えた。


「そのことにつきましてはレグルス様のプライバシーに関わりますので、申し訳ございませんがお答えできません」


「見たことがないのか?」


「申し訳ございませんが、お答えできません」


「金色だったか?」


 沙参のしつこい質問にも執事は丁寧かつ穏やかに答える。


「申し訳ございませんが、お答えできません」


 変化のない執事の言葉に、沙参はついに諦めた。


 しばらく無言で歩いていると、執事は足を止めた。そのまま沙参が目覚めた時にいた部屋のドアを開ける。沙参が部屋の中に入ると、執事はローテーブルの上にある手のひらサイズのベルに視線をむけた。


「御用がありましたら、そちらのベルを鳴らして下さい。失礼します」


 そう言って執事が一礼をして部屋から出て行く。

 部屋に一人残された沙参は改めて周囲を見回した。沙参の入れられてきた棺桶は撤去され、見るからに歴史のある古いアンティーク家具が並び、部屋全体が高級感を通り越して気品で溢れている。


 大きな窓を開けてテラスに出ると、目の前には広大な草原の先に森が広がっていた。そして微かな潮の匂いと波の音がした。

 とりあえず波の音がする方へ歩いていくと、長いテラスの端で一面に広がる碧い海が見えた。


「ここからも見えるのか。すごいな」


 食事をしていた部屋からも海は見えたのだが、こうして直接見ると迫力が違った。遥か足下で白い波が高々と打ちつけ、海風と潮の匂いが全身を包む。しばらく、この景色を楽しんだあと、沙参は部屋の中に戻った。


「簡単には逃げられないか」


 無事に城から抜け出しても、周囲は姿を隠す物のない広大な草原だ。逃げる途中ですぐに見つかる。かと言って、断崖絶壁の海に飛び込んでも、上陸できる岸まで泳げるかは分からない。


「仕方ない」


 沙参は誘拐されているとは思えないリラックスした態度でソファーに寝転ぶと、そのまま黒い瞳を閉じた。もちろん、たれ耳うさぎのぬいぐるみは胸の上にある。


 温かな日差しの中、ウトウトと現実と夢の狭間の微睡を楽しむ。

 少しずつ眠りに落ちていく、この瞬間が沙参は好きだった。この瞬間を邪魔する者は殺す、と公言しているほどだ。実際、このことを知らず沙参を起こしにきた人が全治一ヶ月の重傷を負ったこともある。


 そんな至福の時間にもかかわらず突然、沙参の黒い瞳が開いた。

 次の瞬間、一瞬でソファーから飛び起き、猫のような俊敏な動きで窓の側の壁に背をつける。そのまま視線だけで外の様子をうかがった。


「なんだ?」


 全身が何かを感じ取っているのだが、それが何なのか頭で理解出来ない。徐々に近づいてきているのが手に取るように分かる。


「なにが起きてるんだ?」


 沙参が左手に抱いているたれ耳うさぎのぬいぐるみから懐刀を出そうとした時、こちらに向かって飛んできている一台のヘリコプターの姿が見えた。

 ヘリコプターから数本のロープが垂れ下がり、何かを運んでいる。運んでいる物がかなり重いのか、貴重なのか、ヘリコプターはゆっくりと高度を下げながら慎重に飛行していた。


「あれか」


 太陽の光を反射して形はよく分からないが、ヘリコプターの大きさと比べて二メートルぐらいの物であることは分かった。

 ヘリコプターが轟音と共に、この部屋から死角になっている城の入り口に向かって高度を落としながら進んでいく。


 沙参は反射的に部屋のドアを開けようとしたが、鍵がかかっているため開けられない。次に目に入ったローテーブルの上にあるベルを急いで鳴らした。


「いかがされました?」


 ドアの前で待っていたのかという早さで老齢の執事が部屋のドアを開ける。


「どけ!」


 沙参は開いたドアの隙間から無理やり身体を滑り出して廊下に出た。

 執事が何か言っていたが、無視して走り出す。いや、無視というより聞こえていなかった。今まで感じたことのない恐怖にも似た感情。だが不思議と逃げようとは思わなかった。ただ、この感情を沸き起こしている物を確認しないといけないという一心だった。


 ヘリコプターの轟音が遠ざかっていく。沙参は広い城の中をひたすら走るが、まるで迷路のような複雑な構造になかなか目的地に近づけない。


「くそっ。なんだ、この城は!」


 不快な感覚のするほうに走るが行き止まりだったり、まったく違う方向に続く廊下だったりと思うように進めない。しばらく迷子のように走っていると、前方から人の声が聞こえてきた。


 沙参は足を止めて廊下の角から人の声のする方を見る。廊下の突き当たりにある部屋のドアの前で金色の瞳をした数人の男達が話しながら、こちらに歩いてきていた。周囲には身を隠せるようなところはない。


 ……三人か。どうにかなるな。


 沙参はたれ耳うさぎのぬいぐるみから懐刀を取り出すと、素早く飛び出した。

 男達が沙参に気付いて銃を構える。だが突然、沙参が男達の視界から消えた。跪くように片足を床につけた沙参が右手に持っていた懐刀を床に突き刺している。


「|魔方陣展開(セット)」


 沙参を中心に青白い光を放つ幾何学模様の魔方陣が浮かび上がる。男達が状況を把握する前に沙参は次の言葉を唱えた。


「|浄化(エン)」


 沙参の言葉に、男達は電気に痺れたように動きを止めて一斉に倒れた。


「……ふぅ…………」


 沙参はため息を吐きながら床から懐刀を抜いて立ち上がる。そして倒れている男達を跨ぎ、ドアの前まで走った。


「ここか」


 ドア一枚を隔てても分かる。背中を駆け上がる悪寒とともに、冷たい空気が全身を包む。


 沙参は深呼吸をするとドアノブを握った。ゆっくりと力をいれてドアを開けると、目の前に銀に近い白髪が見えた。


「ようこそ」


 作られた黒い瞳が微笑みながら沙参を迎える。だが、それよりも部屋の中央にある物に意識を奪われた。

 ガラス張りの天井から降り注ぐ太陽の光に包まれて|それ(・・)は立っていた。


「これは……なんだ?」


 透明な水晶の中には、沙参と同じ粉雪のような白髪に半分しか開いていない黒い瞳をした、今にも動き出しそうな少女がいる。


「……すごい力だな」


 沙参は少しだけ全身に力をいれた。気を抜くと全ての力を水晶に吸い込まれそうになる。

 元々この水晶は周囲の自然の力を少しずつ吸い取り、封印されている者の生命を維持している。そのため、封印されている者にとっては死ぬことの許されない半永久的な牢獄なのだ。


 レグルスは水晶の中の少女から視線を外さず、沙参に声をかけた。


「この封印を解いて下さい」


「……断ると言ったら?」


 水晶を壊すには封印を解くしかないが、封印をした術者と同等もしくは、それ以上の力がないと解くことは出来ない。


 だが、はっきり言って沙参にこれだけの封印を解く自信はなかった。下手をすれば全ての力を吸い取られるだけでなく、命も吸い取られてしまう。


 そんな沙参の考えを知るはずのないレグルスはキッパリと言った。


「貴女ならできます。いえ、貴女にしか出来ない。この世界で魔法を使えるのは、貴女ただ一人なのですから」


「だからといって何でも出来るわけではない」


 そう言って、沙参はたれ耳うさぎのぬいぐるみを持っている手に力を入れた。


 古代、己の力を魔法という形に転換して意のままに操る一族がいた。その一族は、その異形な力から歴史の中で人間に迫害され絶滅しかけた。

 だが、ある時より突然変異によって白髪の人が産まれることがなくなると同時に、魔法を操る力もなくなった。そして迫害されることはなくなり、一族は平穏に過ごしている。それがモン、トンプ島で暮らすスピネル達の一族だ。


 一方、迫害されることなく東の国で過ごしていた一族も独自の魔法を使っていた。ただ、争いのない中で魔法は無用となり、ある一つの魔法以外は失われていた。それから幾人もの人が失われた魔法を甦らそうとしたが成功する者はいなかった。


 それを、自分の血について調べるついでに。と、ついで扱いで現代に再び魔法を甦らすことに成功したのが沙参だった。ただ、その魔法を使いこなせるのも天賦の才を持った沙参だけだった。


「時間はあります。ごゆっくりどうぞ」


 その声に沙参が振り返った時には、レグルスは部屋から出ていた。もちろん鍵はしっかりとかかっている。他にドアや窓などはなく、外に出られそうなところはない。


「……どうするか…………」


 沙参はため息を吐きながら顔を上げて水晶の中の少女を見た。

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