第11話

 化粧室に入った沙参は洗面台の前に立っていた。


「クソ!なんなんだ?」


 沙参は悪態をつきながら自分が映っている鏡を叩いた。左手に抱えているたれ耳うさぎのぬいぐるみが小さく震えている。


 壮大な夕日を見て感動した清々しい気持ちはすっかり消えて、表現しようのない重い感情が心の中を占める。

 振り払いたいのに振り払えない感情に苛立ちがつのる。


「何故だ?何故、こんな気持ちになる?どうすれば、いいのだ?」


 一人、自分の感情と格闘している沙参のコートの裾を何かが引っ張った。


「なんだ?」


 沙参が足元を見ると、泣きながらうつむいている男の子がいた。


「どうした?親とはぐれたのか?」


 沙参の問いに男の子は泣くだけで答えない。沙参はため息を吐きながら男の子と視線を合わせるように屈んだ。


「おい、泣いてるだけでは分からないだろ」


 沙参は優しく言っているつもりなのだが、口調のためか冷たく聞こえる。

 だが、そんな冷たい言葉に負けず、男の子は泣き止んで俯いていた顔を上げた。その顔を見て、沙参が反射的に一歩下がる。


 顔を上げた男の子の瞳は金色に輝いていた。





 鴉はスピネルに注いでいたワインボトルをテーブルの上に置いて内ポケットから携帯電話を取り出した。


「どうしたの?」


 スピネルが軽く聞くが黒い瞳は真剣だ。携帯電話を見たときの、鴉の微妙な表情の変化を読み取ったらしい。


 オニキスが足元に置いているリュックを足で近づける。


「沙参が裏口から出て行った」


 鴉は事実だけを言ったが、スピネルはその裏に隠された意味を瞬時に理解した。


 沙参が一人で勝手に、しかも裏口から店を出て行くことは考えられない。もし考えられるとしたら。


「つまり、誘拐されたってこと?」


「だろうな」


 鴉の言葉で三人が一斉に立ち上がる。同時に店にいる客も全員立ち上がった。全員が金色の瞳をしている。


 オニキスがリュックから煙草のような細い棒を取り出して床に投げた。一気に白い煙が噴出して視界を塞ぐ。


「店に入ったときは全員普通だったわよね?」


 スピネルは裏口に向かって走りながら鴉に確認する。


「ああ。どうやら、食事に混ぜられていたようだな」


 裏口につながるキッチンに入ると、金色の瞳をしたコック達が包丁や棒を手に持って襲い掛かってきた。


「どうして気付かなかったのよ?」


「俺達が食べたものには入っていなかった」


 三人は軽い動きで攻撃を避けながら走る。オニキスは車の鍵を取り出しながら二人を見た。


「なに?薬でも入ってたの?」


 オニキスの言葉に鴉がスピネルを見て呆れたように言った。


「このことも話していないのか?」


「必要なかったから」


 スピネルのあっさりとした言葉とともに三人は裏口から店を出た。人通りのない、薄暗い裏路地が延びている。もちろん、沙参の姿はない。


「連れ去った形跡は残っていないか」


 鴉が予想していたように呟く。


「発信機は付けてないの?」


 スピネルの言葉に鴉はGPSを見た。地図が表示され、赤い点が点滅しながら移動している。


「付けているが、外されて本人とは違うところへ移動させられているだろう。一応、追跡はさせるが期待しないほうがいい」


 スピネルはオニキスを見ると真剣な声で言った。


「急いで車を持ってきて」


 オニキスは無言で頷くと軽く地面を蹴った。そのまま体は宙を舞い、民家の屋根の上に着地する。そして、車を止めている駐車場に向かって軽やかに走り出した。


 その動きに鴉が驚くことなく平然とスピネルに訊ねる。


「能力はそのまま引き継いでいるのか?」


「ハーフだから一族と比べれば多少は落ちるわ。でも、それを補(おぎな)うだけの教育はしたつもりよ。元々、頭もいいし」


「その割には知らないことが多いな」


 鴉の指摘にスピネルは一瞬、黒い瞳を伏せた。


「必要のないことを知る必要はないもの。そう、そう。水陸両用のセスナを一機、お願いね」


「これ以上、首を突っ込むつもりか?」


 滅多に表情を顔に出さない鴉が露骨に嫌な表情をした。そこに一台のジープが二人の前に止まる。


「当たり前よ。ほら、乗って、乗って」


 スピネルは鴉をオニキスが運転してきたジープの後部座席に無理やり詰め込む。


「どこに行くの?」


 オニキスの質問にスピネルは助手席に乗りながら言った。


「飛行場に行って。そこからモン・トンブ島に行くわ」


 車がゆっくりと発進する。夜とはいえ道には観光客が多く、スピードが出せない。


「モン・トンブ島?隣のセルティカ国にあるんだよ。今からすぐ入国できるの?それに島には許可がないと入れないよ」


「まあ、そのへんは後ろの人が印籠を使って、どうにかしてくれるわよ」


 その言葉に鴉は憮然とした表情でスピネルに聞いた。


「印籠とは、なんだ?」


「権力の象徴、見せれば一斉にみんな平伏す、印籠(あれ)よ。悪党こらしめたあと、最後のシメに出てくるでしょ?お年寄りに人気の長寿番組で結構有名だと思うんだけど」


「どうして他国のテレビ番組を知っているんだ?いや、そんなことは、どうでもいい。権力といっても限界はある。なんでも押し付けるな」


「ダメなときは私が交渉するわ。あ、それとも始めから私が交渉しようか?」


「……」


 数秒の沈黙の後、鴉は諦めたように携帯電話を取り出して連絡を取り始めた。その姿に、オニキスは鴉がスピネルの性格をかなり深くまで理解してしまっているほど付き合いが長いことに同情しながら話を続けた。


「どうやって島に入るの?あの島は小さすぎて飛行機は着陸できないし、対岸に着陸しても潮が満ちてたら渡れないよ」


 モン・トンブ島は周囲を海で囲まれているが潮が引いたときには島に続く道が出来る。その景観を守るため、交通設備が発達した現在も島に続く橋や道路は建設されず、移動手段は潮が引いたときに出来る道か船しかない。


「水陸両用のセスナで行くわ」


「でも、オレは操縦出来ないよ」


「あ、そういえば操縦方法を教えてなかったわね。いいわ。今回は私が操縦するから、隣でしっかり見て覚えて。免許は後でどうにかするわ」


「わかった」


 それだけで納得するオニキスに鴉は携帯電話を収めながら聞いた。


「モン・トンブ島がどういう所か知っているのか?」


「観光パンフレットに載っているようなことでしたら」


 モン・トンブ島は千年以上前、大司教が神からのお告げによりピラミッド型の山の山頂に礼拝堂を造り、その後、約五百年の歳月をかけて山頂から下へと中心部の山を包み込むように建物が建設された。

 その景観は海に浮かぶ一つの城のようで、歴史の中で聖域として長年保護されてきた。現在では礼拝堂や建物が歴史的に重要とされ、遺産として島全体が保護されている。


 予想通りの答えに、鴉はスピネルを見ながら呆れたように言った。


「これも教えてないのか」


「分かりきったこと聞かないでよ。これから教えるんだから」


 そう言うとスピネルは一息ついて話し出した。


「簡単に説明するからね。私達は普通の人より運動能力が高いし、寿命も長い。けど、それだけじゃないのよ。私達の血は普通の人に飲ませると、飲ませた人の瞳が金色になって血の持ち主の意のままに操れるようになるの。さっき突然、襲ってきた人達の目も金色だったでしょ?誰かに操られて私達を襲ってきたのよ。で、人を操ることのできる血を持つ私達一族は保護という名目でモン・トンブ島に閉じ込められて管理されてるの。だから血の持ち主も、あそこに行けば分かるはずよ。以上、説明終わり」


 説明といえない説明で一方的に話を終わらせたスピネルに鴉が口を挟んだ。


「それは説明といえるのか?」


 だが、スピネルはあっさりとオニキスに言った。


「充分でしょ?」


 出生の秘密以上の衝撃の事実に一番ショックを受けていなければいけないオニキスが慣れたように笑って頷く。


「必要以上のことを知る必要はない。真実が知りたければ自分で確認しろ。だろ?」


「その通り。それに他に知りたいことがあれば鴉が教えてくれるわ」


「勝手に決めるな」


 鴉の言葉を無視して、オニキスはバックミラーで鴉を見ながら頭を下げた。


「不束者(ふつつかもの)ですか、よろしくお願いします」


 まるで鴉に嫁ぐような言葉に、スピネルがお腹を抱えて笑う。鴉はしばらく絶句した後、いまだに笑っているスピネルを睨んだ。


「変な言葉を教えるな」


「いいじゃない。面白いんだから」


 緊張感の欠片もない雰囲気のスピネルに、鴉はため息を吐かずにはいられなかった。

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