第112話 守護のアイテム

 王都ドレイスデン、グローセル地区。ここにグローセルの聖女と謡われるツェベライ伯爵の娘ユリアーナが住んでいた。

誰にでも等しく手を差し伸べる慈愛の心、万人に愛される美しい容姿、これらをもって人々はユリアーナを聖女と呼んだ。

最近までユリアーナは三日とおかずに社会奉仕活動に精を出していた。

それは炊き出しであったり、兵士への慰問であったり、貧しい子供たちを救うための基金を集めるチャリティーパーティーだったりと多岐にわたっていた。

ところがこの十日間というもの、それらの活動がぴたりと止んでいるのだ。

噂では聖女は体調を崩しているということだった。


 屋外は気持のよい朝を迎えているというのに、ユリアーナの寝室はカーテンが閉め切られたままで薄暗かった。

ユリアーナ付きのメイドであるカリーナはお嬢様を起こすべく寝室へと入った。

既に起床している気配はあるのだが、まだベッドの中にいるらしい。

ヒノハルが戦場へ旅立ってからこちら、ずっとこの調子で部屋に引きこもっているのだ。

耳をすませばベッドのシーツの下からユリアーナのはしゃいだ声が聞こえてきた。


「もう起きなければなりませんよヒノハルさん。それともこちらに朝食を運びますか?」

「――」

「うふふ、甘えん坊さんなのですね。もう。いいですわ、ぜんぶ私がして差し上げますから、ヒノハルさんはそのままでいて下さいましね」

「――」

「またそんなところを触って……あんっ」


ユリアーナが話しかけているのは日野春公太の軍服である。

断罪盗賊団の精鋭が王都警備隊南駐屯所から盗み出してきたものだ。

ユリアーナはこの軍服と共に床に入り、恋人同士の痴態を夢想している。


「はぁ……。ヒノハルさん、私のそばにいれば安全ですからね。私に全てを任せて下さればいいのです。んっ……」


切なげな喘ぎ声を挟みながらユリアーナは言葉を繋いだ。


「だいたい警備隊などというところにいるからいけないのですよ。この屋敷に、この部屋にいて下されば危険なことなど何もないのです。ずっと……私のそば……に、いいっ……」


昨日、ユリアーナは第一補給部隊帰還の報を聞き城門まで迎えに出ている。

だが、肝心のヒノハルはそこにおらず、帰ってきた知己は副官のエマ・ペーテルゼンだけであった。


「……そもそもヒノハルさんを危険な前線に送るという行為が間違っているのですよ。はうっ……。最初は補給部隊と聞いていたから、私も渋々ながらお認めしました。でも、実際は最前線のローマンブルクへの駐留……。こんなことなら拉致監禁してでも貴方をお守りすべきでしたね。もし貴方になにかあったら……。まったく、軍部の無能どもがあっ!!!」


激昂して起き上がったユリアーナの体からはらりと軍服が落ち、大きな胸があらわになった。


「お嬢様、そろそろご起床されてはいかがですか?」


普段通りにカリーナは声をかけた。


「そうね……もう少しだったけど、軍部の馬鹿どもの顔が脳裏に浮かんだら冷めてしまいましたわ」

「お可哀想なお嬢様。ヒノハル様が心配で集中が出来なかったのですね」

「もう大丈夫よ」


さきほどまでの感情の迸りが嘘のようにユリアーナは落ち着いた声で答えた。


「今日はヒノハル様にお手紙をお出しになるんでしょう? お手紙だけでは寂しいから何か他のものも入れなくてはなりませんね」

「そうでした!」


小さく叫んでユリアーナはベッドのわきへ降り立った。


「カリーナ、支度をします」


常軌を少しだけ逸した聖女の、新たな一日が始まろうとしていた。




 クララ様がヒポクラテス兄弟を召喚できるのは五回までという取り決めだった。

だけどこのままいけば五回目は来ないで済みそうだ。

昨夕、ポルタンド王国軍は全軍に撤退命令を下した。

ザクセンス軍は国境地帯までこれを追撃し、ついに戦線をナイセル川まで押し戻している。

つまり元の状態に戻ったということだ。

両国ともおびただしい犠牲を出しながら得るものは何もないという虚しい結果に終わったわけだ。


「どうやら1年間の休戦協定が交わされるようだ。外交官たちは既にドレイスデンを出発している」


会議から戻ったクララ様が今後の想定を教えてくれた。


「特別医療部隊はどうなりますか?」

「おそらくは解散だな。あれはヒポクラテス兄弟の召喚と医薬品を前提とした部隊だ。継続的に召喚できないとなれば存続は無理だ。それともコウタは戦場に残りたいのか?」

「滅相もない」


これ以上こんなところに留まるのは嫌だ。

救えない命はいくらでもあり、悲しみと憎しみと狂乱が濃密な空気になっているようなこの場所からは一刻も早く逃げ出したかった。

ただ、衛生兵の導入に関しては一考の余地があると思うんだよね。


「衛生兵については私も導入を具申しておいた。後は上層部が決めることだ」


出来るなら一人でも多くの兵士の命が助かって欲しい。


「失礼します。ヒノハル曹長にお手紙をお持ちしました」

シュナイダー伍長が入ってきて封筒を手渡してくれた。

送り主はカミル・ホイベルガー? 

だれだっけ。

しばらく考えてようやく名前の主に思い当たる。

たしかユリアーナ・ツェベライの護衛騎士リーダーだ。

俺の麻痺魔法をくらっておしっこを漏らしちゃった人だな。

あいつが俺に何の用だろう? 

中身を開いてみると更に封筒がありその筆跡には見覚えがあった。

手紙の主はユリアーナか。

わざわざホイベルガーの名前を使ったのは偽装工作のためのようだ。

何を言ってよこしてきたのやら。


「ありがとうシュナイダー伍長。もう下がってもらって構わない」

「はっ」


シュナイダー伍長が部屋を出てから聖女からの手紙を取り出した。


「ユリアーナ・ツェベライ嬢からです」

「ほお……」


クララ様の目がすっと細くなる。


「邪魔なようなら私は退室しておこうか?」

「それには及びませんよ」


ユリアーナからの手紙をわざわざクララ様に読ませる気はないが、俺にやましい所はない。

その場で封を開けた。

手紙を引っ張り出すと何かがはらりとテーブルに落ちた。

これは……髪の毛? 

長い金髪がクルクルと巻かれ水色の絹のリボンでとめてある。

……えーと。

なんか短くて縮れている毛が混じっている。

これも金色だ。

ゴミが混じっていたのかなぁ……。

アイツのことだから絶対にむしって入れたんだとは分かっているが……。


「……はぁ」


ため息でもつかなくてはやっていられない。


「ツェベライ殿は本気のようだな……」


リボンで束ねられたブツをみてクララ様がおっしゃった。


「はぁ?」


思わず間の抜けた返事を返してしまう。


「知らんのか? 乙女の恥毛(ちもう)は守護のお守りなのだ。……戦場に旅立つ想い人に送ると言われている」


そういえば日本にもそんな風習があったと何かで読んだな。

戦国武将が奥さんの毛とか春画を持参したとか、戦時中に徴兵された兵士が恋人の毛を戦地にもっていったとかいう話だ。

性器崇拝の名残とか、「タマ(玉と弾)にあたらない」という語呂合わせなんて説もある。

ばったばったと人が死ぬ戦場ではそんなものにでさえ頼りたくなるのかもしれない。

でも俺にとっては全然ありがたくないぞ。

興奮もしないし……。

俺は雰囲気を大事にする派なのだ。

手紙は俺の身を案じている文面から始まり、自分がいかに俺を愛しているかを切々と書き連ねてあった。

俺ははっきりと「アンタなんか大嫌いだ」と告げたはずなんだけどな……。


「これはこのまま送り返しますよ」


水色のリボンをつまんで封筒に戻す。


「コウタ」


意を決したようにクララ様が俺の目を見つめてくる。


「どうされました?」

「コウタが必要だというのなら、その……私の――」

「結構です!」


部屋が気まずい沈黙に包まれた。

これはヤバい。

フォローしておかなければ。


「私はいつだってクララ様のおそばを離れません。だからそういったものは必要ないのです」

「そうか……」


生真面目すぎるのもなんだな。

ストレートに対抗しなくてもいいんですよ。

それともこの世界ではそれほどおかしな行為ではないのかもしれないな。

でも、もらっても困るプレゼントってあるよね。

例えそれが愛する人からの贈り物であってもさ。

大体どうしろっていうんだよ? 

ポケットに入れておいても邪魔だろう? 


 ローマンブルクの西方に日が沈もうとしていた。

今日の夕日はやけに目に染みるなぁ……。

ドレイスデンへ帰れるのは嬉しいのだが、ユリアーナとの物理的距離が近くなることを考えるとげんなりしてしまう。

とはいえ、彼女も貴族の娘なのだからそろそろ婚姻の話も出てくるだろう。

そうなれば自分とは距離を置くはずだ。

その時の俺は聖女の本質をまだ理解できておらず、随分と脇の甘い考えでいた。

そんな危機感のなさが後の不幸を生むとも知らずに。。

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