第23話 聖なる山

 魔導都市を出て、ルブラス山へ続く道を進む。魔導都市からはもうだいぶ離れて、都市と山の中間あたりまで来ただろうか。今は、いくつかの森が点在する平地を進んでいた。

 直ぐに、何かが低く重く響く音が聞こえた。巨人が地を踏む音だろう。足音だけで空気を揺らす魔物。その大きさを想像して、少し嫌になった。

 もうかなり近付いているようだ。直に、地面も揺れ始めるだろう。


 進みながら、互いの戦力を確認することにした。背中を預ける仲間のことを何も知らないのは、流石に不安すぎる。

 本当なら、どのような連携ができるかまで話し合いたいところだけれど、今回は時間が無い。互いの邪魔にならないような位置取りを確認し合うのが精々だろう。


「私は、剣術を修めています。ただ盾の心得はありませんので、前衛で遊撃を担わせて頂ければ。魔導も扱えますが、魔素の許容量は然程でもありませんので、魔導を軸に攻めることは難しいかと思います」


 ルシャさんがまず話し始める。

 本当に、変わった使徒だと思う。魔導が扱えることを隠しもせずに、奇跡と呼びすらもしない。自分から話し始めたのも、何も隠すつもりは無いという意思の表れ、かもしれない。

 お付きの聖職者たちは魔導を扱えないが、弓に長けているということだった。彼女たちは、討伐のためというより、ルシャさんの護衛と言った方が正確だろう。あまり当てにしない方が良さそうだ。


「……それと、あと一つだけ。私は、傷を癒す『奇跡』を扱えます」


「ルシャ様、それは――」


 急にお付きの聖職者たちが慌て始めた。


「良いのです。この方々には、知る権利がある。……詳しくは言えませんが、魔導とは少し異なる技法で、多少の傷であれば直ぐに癒せますので、何かあれば、お役に立てると思います」


 何か、引っかかる説明だった。

 使徒の言う奇跡というものは、教会が奇跡と主張しているだけで、結局は魔導と変わりない、というのが教会以外での共通認識だったはずだ。

 ただ彼女の言う癒しの力は、魔導とは違うという。すると、本当に『奇跡』という力が存在するとでも言うのだろうか。それとも、それすらも教会の建前なのか。

 まあ、今考えることではないな。傷を癒す魔導もあったはずだし、傷を癒せるというのは僕たちにとってはむしろ有益な力で、それで十分だった。ガエウスやナシトも、口を挟む気はないようだ。ガエウスあたりは、本当にどうでも良いと思っていそうだけれど。

 討伐の後に、機会があれば聞いてみよう。


 ルシャさんの後で、僕やガエウス、ナシトが順に、簡単に自身のできることや役回りを話す。

 結局、ガエウスは魔導を併用した弓術で、主に敵の撹乱と不意打ちを。ナシトと他の魔導師たちはもちろん魔導による遠距離攻撃を。ルシャさんは一撃離脱を繰り返しながら、隙を見て魔導を打ち込む遊撃を。そして僕は、最前線に立って敵の注意を集め、ひたすらに攻撃を引き付ける守りを、それぞれ担当することになった。敵が単体なので、ガエウスとルシャさんの役割は実質同じだけれど。

 運良く、ルシャさんがユーリと似た役回りだったので、戦い方は以前のパーティとほとんど変わらない。僕が、今も大地を揺らすあの巨人を相手に、うまく注意を引き付けられるのかという不安は残っているものの、そこは、僕の鎚と『力』を信じるしか無い。


 そういえば、僕自身よく分かっていない、この力についても、今のうちに説明しておくべきだろう。ルシャさんだって隠し事無しで臨んでくれている。こちらも信頼の証として、というのは言いすぎだろうけど、正直に話しておこう。


「一つ言い忘れていました。僕は魔導を使えませんが、何故か、『靭』に似たものだけは発現させることができます。僕自身、何故こんな力があるのかは、良く分かっていないのですが」


 なんだか頭の悪い説明になってしまって、恥ずかしい。


「……魔導では無い、力、ですか?」


 僕の要領を得ない説明を聞いて、ルシャさんが少し、怪訝そうな声で聞き返してきた。ルシャさんはまたフードを被ってしまっているので、表情は分からない。


「ええ。まあ、効果は『靭』と同じようなものなので、『靭』の魔導だけ使える、と言っても良さそうですけど。ただ、魔素を吸っている感覚は無いです」


「……」


 ルシャさんはそれきり、黙ってしまった。

 ふと思う。もしかすると、ルシャさんの『奇跡』というのも、僕の『力』と似た、得体の知れない何か、なのだろうか。だとすると、彼女と話すことで、この力の正体についても、何か糸口が掴めるかもしれない。


 そう考えているうちに、遠くの森の先に、巨人の姿が見えてきた。まだこちらには気付いていないようだ。



 物思いに耽りかけたのを打ち切り、口を開く。


「もうすぐ接敵します。僕が正面から行きます。ガエウスとルシャさんは脇の森を経由して迂回して、奴の目を避けて近付いてください。ナシトは、距離を取りつつ近付いて。そちらに背を向けるように誘導するから、そこに何か撃ち込んでほしい」


 言ってから、気付く。いつもの癖で、指示を出してしまったけど、誰が指示役をやるかなんて決めてなかったな。


「……鈍っては、いねえようだな。安心したぜ」


 ガエウスがにたりと笑う。

 ナシトとルシャさんも、頷いてくれた。良かった。出過ぎた真似をしたかと思った。照れ臭くなるけれど、こらえる。


「……よし。行こう。武運を」


 そう言うと、ガエウスとルシャさんが別方向に駆け出した。僕も、歩調を早めて、ナシトたちと距離を取る。





 しばらく進む。巨人はもうはっきりと見えている。想像はしていたけれど、実物を見るとやはり、その大きさに圧倒される。

 近くの森の、背の高い木よりもさらに大きい。魔物というより、歩く災害といった方がしっくりくる大きさだ。最早人の手に負えるようなものには見えない。

 格好は、他の巨人族と同じように粗末な腰布一枚だ。棍棒のようなものも持っていない。ただ膝まで届くかのような長い顎髭を揺らしながら、悠然とこちらへ向かっている。


 向こうもようやくこちらに気付いたようだ。眼がこちらを向く。瞬間、スヴャトゴールはこちらの腹の底まで震わすような、恐ろしく低い叫び声をあげた。まだ少し距離があるのに、声だけですごい圧力だ。

 スヴャトゴールはこちらに向けて駆け始めた。身体の動作は緩慢なのに、歩幅が大きすぎてあっという間に近付いて来る。

 今のところ、小回りはきかなそうなことだけが救いだった。


「展開」


 僕は鎧と兜、鎚と盾を全て発現させる。鎚は背に回す。まずは相手の出方を伺う。

 盾の持ち手を握る手に、もう汗が滲み始めた。ここからはもう、怖いだとか、考える余裕すらない。ただ死なないために、動き続けるしかない。


 スヴャトゴールが、走りながら腕を振り上げる。次の瞬間にはもう拳が迫っていた。

 風を切る音が凄まじい。これは、受けられそうにない。受け流そうにも、盾で触れただけで僕の腕ごと吹き飛んでしまいそうだ。

『力』を意識する。避けるだけならば横に跳んでもいいけれど、背をナシトの方へ向けさせる必要がある。僕は正面、奴の股下へ跳んだ。

 一瞬で巨人の下を抜ける。僕の立っていた場所に巨人の拳が落ち、爆発でもしたかのように地面が弾け飛ぶ。とんでもない力だ。余波の風だけで、身体が浮きそうになる。

 スヴャトゴールはこちらを見失っているようだ。好機だった。考える間も無く、盾を背に回して鎚と持ち換える。

 がら空きの左脚に向けて、横薙ぎに鎚を振りかぶる。まずは一撃。最初から全力で、ありったけの『力』を込める。


 鎚を当てた瞬間、まるで鋼の塊、いや鋼の山にでもぶち当てたような、鈍い音が響いた。なんだ、これは。僕は思わず笑ってしまった。硬すぎる。『力』のおかげか、反動は弱く手は痺れていないけれど、今までで一番、硬いものを叩いたという確信があった。

 参ったな。これは、僕の出る幕はないかもしれない。

 スヴャトゴールはこちらを見ている。全くの無傷のようで、そのまま脚で僕を払おうとしてくる。一旦、大きく後ろに跳んで距離を取った。巨人がこちらを向く。


 その瞬間、スヴャトゴールががくりと揺れた。見ると、先程より一段、背が低くなっている。巨人の足元を見ると、両脚が脛の半ばまで、地面の中に埋まっていた。

 そして突然、スヴャトゴールが大きな呻き声をあげた。背中に手を伸ばしている。こちらからは見えないけれど、恐らく、ナシトが魔導を放って、背に何か突き刺したようだ。


 好機と見たのか、横の森からも矢が続けざまに飛んできた。スヴャトゴールの顔に当たる寸前で、爆発する。巨人が低く叫びながら少しうずくまる。


「んだァ?歯応えがねえぞ、でけえの!そんなもんじゃねえンだろっ!」


 ガエウスがスヴャトゴールに発破をかける。姿は見えないが、森から狙撃しているようだ。


 確かに、想像していた通りの大きさと馬力ではあるものの、想像よりもずっと打たれ弱い。魔導も問題無く効いている。伝承を信じるならば、この程度であるはずが無い。何か、おかしい。




「ロージャっ!」


 ナシトが叫んでいる。あのナシトが叫ぶなんて、珍しい。十中八九、悪い知らせだ。


「その巨人、魔素を吸っているぞっ!ここ一帯の魔素が消え始めた!」


 魔素を吸う?ただ魔導を使うために吸っているのではではなく?どういうことだ。

 ナシトの言葉を飲み込めないでいるうちに、巨人が吠えた。吠えながら、淡く発光を始めた。巨人の輪郭がぼやけて、よく見えなくなる。

 魔導を発現させているのかもしれない。僕は身構える。



 発光が収まると、そこには、全身を鎧と兜で固めた、途方も無く巨大な、兵士が、戦士が立っていた。

 手には、長大な両手剣を持っている。


 スヴャトゴールが魔導で武装したのだということを理解するのに数瞬を要した。ただでさえ馬鹿みたいに硬いのに、今はさらに鎧を纏っている。

 魔物の癖に慎重すぎやしないか。知性があるのか無いのか、判別の付かない状況だった。


「ロジオンさん!皆さんっ!気を付けてください!今、私たちは魔導を使えません!」



 森から姿を現したルシャさんの言葉に、ようやく、事態の拙さを理解した。


 聖なる山、スヴャトゴール。

 奴は一帯の魔素を吸う魔物なのだ。魔素を吸って、ただ自身で魔導を扱うだけでなく、魔素を吸い尽くすことで敵の魔導を封じる。

 僕たちは魔導抜きで、正に身一つで、あの巨人に立ち向かわなくてはならない。


 とんでもない苦境だった。

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