第18話 化物

 ナシトに連れて行かれた先は、魔導学校の主棟、それも恐らくは最上階だった。

 もちろん僕はこんなところまで入ったことは無い。通路の窓を覗くと、遥か下に小さくなった家々が見える。こんなに高い建物を昇ったのは、初めてかもしれない。


 ちなみに最上階までは階段での移動だった。魔導学校なので、魔導で動く昇降機でもあるのかと思っていたが、意外にも階段だった。

 最上階まではかなりの長さがあり、ナシトもガエウスもすいすいと昇っていたが、シエスには相当に苦行だったようで、最上階に着いた今、僕の横で、肩で息をしている。変わらずの無表情ながら、汗が止まらないようだ。途中で背負ってあげればよかったかな。

 ナシトがある部屋の前でようやく立ち止まったので、僕は膝をついて、手でシエスの汗を拭ってやる。シエスは何も言わないが、そっと目を閉じて、頭を僕の手に預けてきた。僕の手が冷たくて気持ち良いのかもしれない。


「ロージャ、中に来てくれ」


 部屋の中からナシトの声がした。いつの間にか、僕とシエス以外は部屋に入っていたようだ。ナシトはここに着くまで、僕が何を聞いても何一つ答えてくれなかった。部屋の中で、一体何が待っているというのだろう。

 シエスから手を離し、立ち上がって部屋に入る。いずれにせよ、話を聞くともう腹を括ったのだ。




 部屋の中には、先に入ったナシトとガエウスの他にも先客がいた。

 恐らくはこの部屋の主なのだろう、髪と髭が真っ白な老人が、人の良さそうな笑顔で部屋の中央に座っている。その横には、明らかに顔色の悪い中年の男性が立っていた。

 中年の男の方は見覚えがある。たしか、魔導都市のギルドの関係者だったはずだ。この街のギルド長、だったかもしれない。

 僕とシエスが部屋に入ると、老人が口を開いた。


「ほっほ、これはまた面白い組み合わせじゃの。魔導学校へようこそ、ご客人」


「校長、提案があります」


 どうやらこのご老人がこの魔導学校の校長であるようだ。こんな形で気軽に訪問していい相手ではない気がする。僕は直ぐに挨拶を返そうとするも、ナシトが間髪入れずに話を始めてしまう。


「ここに第二等冒険者のガエウスがいます。彼をギルド代表として派遣すれば、ギルドの名分も――」


「待て、待て待て、ナシトや、流石に色々とすっ飛ばしすぎじゃて。こちらはどなたさんで、どうしてわざわざこの不便な校長室まで連れてきたのか、きちんと説明せい」


 魔導学校の校長は、変わり者で有名だったはずだ。王国でも相当な地位にある魔導の権威であるはずなのに、良く魔導都市の酒場に出没し、酔ってはおかしな魔導を披露していると聞いたことがある。

 その彼が、ナシトにはかなりまともな指摘をしていた。

 話がまだ読めず、そんな下らないことくらいにしか目が行かない僕をよそに、ナシトが改めて何か続けようとした瞬間だった。

 顔色の悪い男が、僕たちの方にずんずんと近付いてくる。肩を掴まれた。


「ガエウスっ?本当にあのガエウスかっ!?」


「あァ?ガエウスは俺だ」


 僕をガエウスと思ったらしい男の言葉を、ガエウスが訂正する。


「君がガエウスかっ!助かる、これでなんとかなるかもしれない!ナシトくん、彼らには僕から説明しよう」


 そう言うと、男は少し息を整えた。顔色も少し良くなっているように見えた。ガエウスの登場が彼をどう救ったのだろうか?まだ良く見えてこない。


「すまない。少し取り乱した。私は、トスラフ。魔導都市のギルドを管理している者だ。手短に話そう。実は今、困ったことになっていてね」


 やはり彼が魔導都市のギルド長だったようだ。ガエウスは静かに話を聞いているが、どこかつまらなそうな顔をしている。


「ルブラス山に巨人が現れた話は知っているかな」


「あァ、ありゃあ巨人だったのか。道理で揺れると思ったぜ。キュクロプスでも出たのか?」


「いや。そんな生易しい話じゃない。あれは、スヴャトゴールだ」


 スヴャトゴール。

 聞いたことの無い名の魔物だ。時々ダンジョンに現れる巨人族は、大抵がただのジャイアントで、稀に強大なキュクロプスが出てくるくらいだったはずだ。


「スヴャトゴール。大昔に滅んだはずの、巨人族の主。それがどうしてか、いきなりルブラス山に現れた。大きさは、キュクロプスなんて比較にならない」


 トスラフさんの言葉を聞いた途端、ガエウスの纏う空気が変わる。眼がギラつき始めた。明らかに、冒険を見つけた時の眼だ。


「それで?困ったってのは?」


 ガエウスが促す。


「スヴャトゴールはまだ山から下りる気配が無いが、あれが平地に下りてきたら大変なことになる。大昔の伝承によれば、奴らは獰猛で残忍な上に、魔導すら操るというからね。つい先日、我々ギルドと魔導都市の軍とで、討伐隊を派遣したんだ」


 トスラフさんの顔色がまた悪くなり始めている。僕にもだんだんと予想がついてきた。背筋がざわつき始める。




「巨人を倒すには、魔導に頼るしかない。だからギルド側からは、冒険者登録している魔導師主体で募集して、選りすぐりを派遣したんだ。そうしたら――全滅した。文字通り、一人も帰ってこなかった。都市軍も含めてね」




 やはり、嫌な予感は正しかったようだ。

 山を越えた時、ガエウスを説得した時に僕が想像していたよりも遥かに、ルブラス山の魔物は、化物であったらしい。




「……それで?俺に、何の用があンだ?」


「派遣した冒険者には、第四等の冒険者も多くいたんだ。それが全滅して、今、魔導都市付きの冒険者は完全に萎縮している。全滅したから、スヴャトゴールについての詳細も分からないんだ。なんで魔導師が巨人に鏖殺されたのか、原因も分からない。そこに飛び込んでいくような実力と胆力のある冒険者は、今この都市にはいない。もうすぐ第二回の討伐隊派遣なのに、冒険者が集められていないんだ」


 意外なことに、ガエウスはまだ大人しくしている。である第四等冒険者を全滅させるような魔物の討伐なんて、そうそう無いはずだ。間違いなくこれは、冒険だろう。


「なら、ここの校長先生にでも出てきてもらえば済む話じゃねえか。大魔導師なんだろ?」


 ガエウスが校長に話を振る。ガエウスが冒険に飛びつかないなんて、どうしたんだ。何を企んでいるんだろう。

 校長はガエウスのぞんざいな口調も気にせず、なぜか楽しげに答える。


「儂はもう山登りなんてできんよ。それに儂らの本分は魔導師の育成でな。ここにおるのは教師と生徒であって、彼らは武力では無い。協力するにも限界がある。しかし街の危機に何もせん訳にもいかん。加えてトスラフにもこうして泣き付かれてしまっては、の。だから、そこのナシトと幾人かを特別に派遣することにした。それが精一杯じゃ」


「ナシトが行くなら、それで十分じゃねえのか」


 静かなガエウスが不気味だが、確かに、ナシトは凄腕の魔導師だ。彼がいれば、そうそう大事にはならないようにも思う。

 そんな僕らに、トスラフさんは眉をへの字にして、弱々しげに答えた。


「……ギルドの面子の問題だよ。都市軍が、次は前回より等級の高い冒険者を出せって、うるさいんだ。全滅したのは、こちらの質が低かったから、らしい。馬鹿馬鹿しい言いがかりだけど、領主直轄の都市軍に睨まれたら、ギルドはこの街でやっていけなくなる」


 結局は、大人の悩みのようだった。


「それに、もしギルドから誰も出さずに討伐してしまったら、恐らく領主は今後、ギルドを廃止しようとするはずだ。冒険者稼業なんて不要だ、必要な仕事は都市軍で片手間にでもできる、と言ってね」


 トスラフさんの話を聞く限りでは、当代の魔導都市の領主は、あまり冒険者に好意的ではないようだ。

 確かに、冒険者がいなくても街は回るかもしれない。しかし冒険者とは、体のいい口減らし先でもあるのだ。魔導都市には農民も多い。ギルドを潰せば、農家からあぶれて、しかし就く職も無い貧民が増える、かもしれない。詳しいことは分からないけれど。


「だから、情けない話だけれど、ガエウスくん、君が必要なんだ。第二等冒険者である君がギルドからの派遣として出てくれれば、私たちの体面も保たれる。どうか、受けてはくれないかな」


 トスラフさんが締めくくる。

 なんだかややこしい話だが、結局は魔物討伐にガエウスの力を借りたい、ということか。



「……話は分かった。だが、俺からも条件がある」


 ようやくガエウスが口を開く。何を言うつもりなのだろうか。


「討伐には、ロージャも連れて行く。こいつがいねえと、恐らくサクッと終わっちまう。それだと、冒険にならねえからな」



 一瞬、ガエウス以外の全員が固まる。

 まさかそんなことを言うために、ここまで興味の薄いフリをしていたのだろうか。


「……ええと、そのロージャというのは、そちらの方かな?彼が君のパーティなら、むしろこちらからも同行をお願いしたいくらいだけれど」


 トスラフさんが困惑したように言う。


「……ンだよ!そうなのか!またてっきり、第三等以上じゃねえと同行させねえとか言われンのかと思ったぜ!」


 ガエウスががははと笑う。確かに、過去にそういうこともあったな。その時はガエウスが、絶対に僕を連れて行くと激昂して大変だった。あの頃の反省があるのだろう。

 でも今回はそもそも第四等以上の冒険者がいないから問題になっていたのであって、やはりどこか抜けているガエウスだった。




 ガエウスは安心したのか、早速、トスラフさんと報酬の話に入っている。そこで、これまで沈黙を保ってきたナシトが僕に話しかけてきた。


「ロージャ。俺からも、同行をお願いしたい。それが、条件だ」


「……?」


「校長。この子が、今からの魔導学校入学を希望しています」


 ナシトがシエスを校長に紹介している。

 僕には、ナシトがなぜ僕の同行を条件にするのかわからない。ナシトとガエウスがいれば戦力的にも問題無い気もするし、そもそもガエウスが行くなら、僕も行くのは確定だ。仲間なのだから。

 いや、僕がガエウスを説得してガエウスだけを派遣する可能性も、ナシトの中には残っているのか。でもナシトはガエウスのことをよく知っているはずだ。こいつの『不運』が要るんだ、と言って…僕を連れ回したがることも。何か別の理由がありそうだ。


「今からの入学、かの。ふむ。……ほう、これは……」


 校長がシエスを見つめる。目つきが徐々に真剣なものになる。


「……これは、驚いた。とんでもない子がいたものじゃ。むしろ、直ぐにでも入学させんとまずい気もするが……ナシトが何やら、考えているようでな」


 校長は僕に向き直ると、いたずらっぽく片目を瞑る。風変わりというよりはなんだか、お茶目な校長だ。


「ロージャとやら。今回の討伐を手伝うのなら、この子の入学を許可しよう」



 思わぬ形ではあるものの、シエスが魔導学校に入学できる道が見えた。そのためには、想像もできない危険に飛び込む必要があるけれど、まあ、僕の人生というのはずっとそういうものだった。


 横を見ると、シエスが僕を見上げている。眼が少し、揺れている。僕は安心させたくて少しだけ笑いかけると、直ぐに校長に向き直る。


「受けます。シエスを、よろしくお願いします」


 残る問題は、山の化物、スヴャトゴールを討伐して、無事に帰ってくることだけ。

 生き残れるかは分からない。不安だらけだ。けれど、今はシエスのために、できることをしたい。命を張るにはそれで充分に思えた。

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