第16話 大丈夫

 結局、大きな困難も無く数日でルブラス山を抜けることができた。山を抜けてしばらくして、遠くに魔導都市が見えてくる。

 魔導都市は王国の中でも有数の大都市だけれど、名前ほど魔導に特化した様子は無く、あくまでも普通の、大きな都市、という景観だ。街の中心に魔導学校があるから魔導都市と呼ばれているに過ぎない。

 東は海、西は山と天然の要害に挟まれているおかげで、昔から戦争の被害に被ることも稀だった。なのでシエスの故郷の城都市と違い、街が壁に囲まれていることもなく、警備はそこまで厳重でもない。魔導学校がなければ、ごく普通の港街だっただろう。


 街道を歩いていくと、畑が目に付くようになってきた。もうすぐ収穫の季節だ。畑の手入れをしている人たちもちらほらと見つかる。

 魔物も少ないのだろう。魔導学校の上級生は生徒だけでギルドに登録できたはずなので、専業の冒険者は少なくても、魔物の討伐のための人員には事欠かないはずだ。


 魔導都市に来るのは久しぶりだったが、名前の割にどこか牧歌的な雰囲気が残るこの街のことが、僕は好きだった。


「もうそろそろ着くな」


 前を歩くガエウスが言う。


「依頼は魔導都市までの護衛、だったよな。報酬は魔導都市で貰えんのか?」


「ああ。直ぐに渡すよ」


「そうだな……いや、渡さなくていい。その金で、そのまま酒場に行こうじゃねえか!ちと盛り上がりに欠けたが、嬢ちゃんの初めての冒険だろ。盛大に祝わなきゃな」


 ガエウスはこちらを振り返って、にんまりと笑う。自分が飲みたいだけだと思うが、恐らく初めての冒険を祝いたいというのも本気だろう。僕も賛成だ。

 そもそも酒場には別の用事があって行くつもりだったし、何よりシエスには、少しでも普通の生活というのを知ってほしかった。酒場でのどんちゃん騒ぎは冒険者にとっての普通で、シエスの目にどう映るかは分からないけれど。


「シエス、魔導都市に着いたら、酒場で食事にしよう。それでいいかい?」


「ん。お腹、減った」


「なら丁度良かった。でもその前に、ガエウス、まずは宿を取って、旅の汚れを落とそう。流石に山から帰ってそのまま行ったら、冒険者からも蛮人扱いされてしまうよ」


 直ぐ酒場に飛び込むつもりだったのか、ガエウスが嫌そうな顔をする。


「……しゃあねえな。まあいい。パパっと済ませようや。今日は俺の奢りだ!じゃんじゃん飲むぞっ」


 ガエウスはまた前を向き直し、上機嫌に歩き出す。


「……元々は、ロージャのお金」


 シエスが不満そうに呟いている。

 まあ気持ちはわかる。でもガエウスはしっかりと護衛を成し遂げた。だから僕は報酬を支払う。そうやって得たお金をガエウスは僕たちのために使ってくれると言うのだから、僕には何の不満も無かった。




 夕方、無事に魔導都市に着いた。

 直ぐに適当な宿屋を見つけて部屋を押さえた。追加でいくらか払って、水を用意してもらう。山に入ってからは流石に水浴びもできなかった。特に綺麗好きという訳でもないけれど、自分でも気付くくらいの嫌な男臭さを放置できるほど無頓着という訳でもない。

 手早く水を浴びて、三人で酒場に向かう。以前も利用したことのある酒場を見つけて、扉をくぐると、まだ夕方というのに酒場は盛況なようだった。主な客は冒険者のようだけれど、ちらほらと魔導学校の生徒らしき若者も目に付く。魔導学校の生徒は四六時中学校に籠もって勉学に励んでいると思い込んでいたが、そうでもないようだ。シエスも酒場に通うようになるんだろうか。想像もできなかった。


 先に僕の用事を済ませておこう。

 酒場の主と話す必要があるので、僕は注文を伝えてくると言って、二人を席に残して酒場の主が立つ方へ向かった。

 僕が席を立つ時、シエスは少し付いてきたそうな眼をしていたが、シエスと一緒だと少し話しにくいことを話題にするつもりなので、あえて無視する。


 酒場の主に注文を伝えつつ、城都市で何か目立ったことは起きていないか、尋ねる。

 酒場は人の溜まり場であるとともに、情報の溜まり場でもある。本来、情報収集は斥候役であるガエウスの仕事なはずなのだけれど、ガエウスは「詳しいことを知らねえ方が、冒険が刺激的になるだろ」とか言って、完全に仕事を放棄していたので、前のパーティでも僕がこうして、潜るダンジョンや次の街に関する情報を集めていたのだ。

 面倒な仕事だけれど、パーティで一番弱いのは僕だった。思いがけない危険に出くわした時、一番死にやすいのは僕だ。生き残るためにできることは、全てやっておく必要があった。


 酒場の主は直ぐに僕の意図を察して、それとなく情報料を要求してくる。僕は銀貨を一枚放って、先を促す。


「城都市ね……しばらく前に、領主の娘と側付きの侍女だか執事だかが死んだって噂になってたな。避暑地への旅行中に盗賊に襲われたんだと」


 シエスの義母はシエスもろとも死んだことにしたらしい。もうシエスに政治的な価値は無く、放置しても問題無いと踏んだか、もしくはまだ密かに殺すことを考えているのか。まだ分からない。


「まあ城都市には別の後継ぎもいるから、然程盛り上がってもいないな」


 他にも少しだけ探りを入れたものの、そもそもが遠い街の噂だ。シエスに追手が来るかどうかはまだ分からず、従ってしばらくは引き続き警戒を続ける必要があるだろう。魔導都市は大都市だけれど、警備が厚いという訳でもない。暗殺者の一人や二人、紛れ込むのは容易だろう。


「ありがとう。よく分かった」


 僕は話を切り上げようとした。丁度酒も出てきた。そろそろガエウスに怒られてしまう。


「礼ついでに、どこかで何か、面白いことは起きてないか。知ってたら教えてくれよ」


 酒場の主が尋ねてくる。


「そうだな……そういえば、先日ルブラス山を通ったけれど、様子がおかしかったよ。山頂近くに、何かいるようだった」


「なんだ、そりゃあもう魔導都市じゃ有名な話だよ。なんでも、あの山には最近、突如巨人が現れて、もう何度か冒険者が襲われてるらしい。この間、都市軍とギルド共同で討伐隊が組まれてたよ。丁度向かってる頃じゃないか?」


 どうやら魔導都市は既にあの魔物を討伐しようと動いているらしい。討伐隊とは入れ違いだったのかもしれない。

 もし既に討伐されているなら、それはそれで僕としては助かる。ガエウスには悪いけれど、結果が分かるまではこのことは黙っておこう。今すぐ山に行くぞとか言われたら困る。


 僕は酒とシエス用の果実水を手に、席に戻った。




 シエスにとって初めての酒場は相当に刺激的だったらしい。こんなに多くの人を見るのは初めてと言って、きょろきょろと周りを見回し続けていた。

 そんなシエスに、ガエウスはあろうことか酒を飲ませたらしい。いつの間にか甘いお酒を頼んでシエスの飲んでいたものとすり替えるという手の込みようである。僕もまさか、身内に刺客がいたとは気付かなかった。


 ガエウスがやけにニヤついているのを見てようやく気付き、直ぐにシエスから酒を取り上げたけれど、シエスは既に酔ってしまっていた。顔が赤い。それでも無表情なのは変わらないのが少し面白くもある。彼女が無表情なのは、辛い過去によるものと思っていたけれど、もしかすると生来のものなのかもしれない。

 大丈夫かと心配していると、ガエウスが何かシエスに耳打ちしている。何かを聞いたらしいシエスはおもむろに立ち上がった。やはり酔っているようで少しフラついている。と思ったら僕とテーブルの間に身体をねじ込み、僕をじっと見下ろし始めた。シエスは小さいが、僕は座っているので、僕がわずかに見上げるくらいの差になっている。どうしたんだろう。


 しばらく見つめ合ったあと、シエスはぐるりと向きを変え、僕の前にぽすんと座った。僕の席に、僕とテーブルと間に、である。そして果実水をぐびぐびと飲み始める。

 僕には訳が分からないのでじっとしているしかなかった。ガエウスは何も言わず、ただニヤついているだけだ。……あの顔、昔、僕がユーリと話している時にも良くしてたな。

 僕からシエスの顔は見えないけれど、耳まで赤くなっているようだ。


 よく分からないけれど、ガエウスの差し金だろう。ただシエスも別に嫌々した訳ではなさそうなので、そのままにしておいた。

 シエスに声をかける。


「シエス、大丈夫?」


「……ん。少し暑いだけ」


 シエスが肩越しにこちらを見る。少ししか飲んでいないはずなのに、顔まで赤い。シエスはお酒を飲めない体質だな。


「これまでお疲れさま。魔導学校に入れるまでは、まだ油断できないけれど、それでもここは、街の外にいるよりはずっと安全だよ。安心して」


「……心配は、してない」


 シエスが顔を前に向け直す。少し、俯いてもいる。

 ふと不安になる。まだ、自分の命なんてどうでもいいと思っているんだろうか。だから心配もする必要が無いと、そう言いたいんだろうか。


「……ロージャは、傍にいてくれる?」


 シエスが、ぼそりと呟く。


「……?ああ、傍にいるよ」


「なら、大丈夫。ロージャがいるなら、大丈夫」


 僕は少しの間、呆けてしまった。彼女は何と言った?

 シエスを見る。彼女の顔は見えないけれど、耳は心なしか、さっきより赤くなっている気がする。

 ガエウスはいつの間にか違う席にいて他の客と飲んでいる。


 シエスが僕の手に、小さな手を重ねる。


「……守ってくれて、魔導を教えてくれて、ありがとう、ロージャ」


 酒場は満員で、喧しいはずなのに、シエスの小さな声がはっきりと聞こえる。

 

 僕は相変わらず、人の気持ちを読むのが下手だ。シエスはもう、死にたいだなんて思っていない。ようやく分かった。シエスは前を向き始めている。


 そしてそれを支えたのは僕だ。


 彼女を救うと決めた動機は、フラレた辛さを紛らわすためで、不純以外の何物でもないけれど、それでもシエスからこうして親愛を向けられると、たまらなく嬉しかった。

 僕にもまだ、誰かを守ることができるのかもしれないと、そう思えた。




 僕は照れくさくなって、何も言わずシエスの頭を撫で揺らす。

 シエスは何も言わず、頭をじっと、僕の胸に預けていた。

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