第2話 クソガキ

 目的地である例のお屋敷にたどりついたあたしは、二階の窓から見えるあいつを見上げた。

 アオギリの木の葉の向こう、部屋の中で二人の人間の頭が上下しているのが見える。


 寝台の上であいつは、このお屋敷のご令嬢を膝に乗せて、最中だった。


「ちょっと、ギール! 早く、帰れっての! 今日は城に行く日でしょうが!」


 あたしは構わず、ヤツに声をかけた。


 そう。こいつこそ、あたしの人生の唯一の汚れ。

 兄弟子だけど、あたしより年下のクソガキ。


 諸悪の根源、クソガキギール。


「ちょ……ちょっと……まっ……ねえっ……さん、も……すぐ……おわ……るか……ら」


 こっちに背を向けていたあいつは振り返ってへこへこしながら、あたしの方を見下ろし、そう返した。

 ヤリながら、話しかけるなっての。汚らわしい。


「ちょっと、ギール! あたし、まだよ」


 ヤツの膝の上で揺れてたこのお屋敷のご令嬢が怒ってヤツにしがみついた。


「昨日散々したじゃん。まだ、満足しないの?」

「だから、あたしは一回も終わってないってば。ギールばっかりじゃない」

「ごめん。君が最高だから。我慢できなくて。……今も」

「あっ……んっ……」


 揺さぶりを更に激しく再開するヤツに、あたしはぶち切れた。

 この、クソガキャ。


 あたしは、右足からサンダルを脱ぐとヤツの頭にめがけて投げつけてやった。

 見事、あたしの投げたサンダルはヤツの頭に命中した。


 それと、ヤツのはちょうど同時だったらしい。


 動きが止まったギールは、不満そうなご令嬢を膝からおろすと、満足した笑みを浮かべて窓の下のあたしを見下ろした。


「少し待って、ねえさん。井戸で洗ってくるから。下に、来て」


 その顔は、フェルナンドの芸術家たちがこぞってモデルに起用したがるほど、馬鹿みたいに整ってる。

 ふん。

 こいつの顔だけは、あたしも上出来だと認めるわよ。信じられないくらい、綺麗なんだもの。


 ギールは枯れ草色のローブに頭を突っ込むと、部屋の奥へと消えていった。

 後に残された彼女は、不満たっぷりのご様子で窓の下のあたしに目をつけた。


「……ギールに聞いたわ。あなたね。キエスタから来た猫。褐色の処女」


 重たげな胸を惜しげもなくさらしてご令嬢はあたしを見下ろした。

 あなたも隠しなさいってのよ。


 ああ、もうめんどくさい。

 私、こういう女の会話にどう返せばいいか、分からないもの。


「そんなに美女なのに、勿体無い。お相手は神だけで身体が満足するの?」

「あたしは聖職者だもの。処女で当たり前よ」


 あたしは胸を張って言ってやった。


「そんな行為に耽らなくても、あたしの毎日は満足しっぱなしよ。ご心配なく。毎日、文字と知識の洪水に溺れそうなくらいだわ」

「……この良さを知らないくせに」


 彼女は、面白がるように窓辺にもたれた。

 ピンク色の乳房の先を自らの指で弾いてから、もう一度あたしを見る。


「処女の考えね。……お気の毒」


 なんとでも言いなさいよ。

 あたしは、何も気にしないわよ。


 あたしは彼女を無視して、ヤツがいる井戸に向かった。

 ほんと、この国の女性は淫らよね。婚姻前に、男と(しかも婚姻の相手ではない相手とよ)身体を交わすなんて。

 キエスタじゃ考えられないわよ、信じらんない。

 少しぐらい、恥じらいの心を持てってのよ。

 やっぱりこの世で一番進んでるのは、我がキエスタ南部のパウル王朝ね。

 男女の仲は、順番が大事よ。

 キエスタ南部じゃ女性は慎み深く、男性とみだりに会ったりしない。

 キエスタの男女は、思いを秘めた詩の文をお互いに何回か交わして、それからやっと会うわ。

 それにひきかえ、この国は情緒がないったら。キエスタ文化を見習えってのよ。


 イライラしながらあたしは、お屋敷の裏の井戸へとまわった。

 そして井戸のそばで佇むヤツを見て、あたしは頭痛がしそうになった。


 ……ちょっと。

 なんでこいつまたローブ脱いで全裸なのよ。

 訳わかんない。裾をめくりあげて、ちょちょっと部分を洗えばいいだけじゃないのよ。


 背後からきたあたしに、ギールは彫像のように美しい裸体を朝日にさらしてこっちを向いた。


「どう、ねえさん」


 どう、じゃないわよ。

 これであたしにそれ見せつけんの何回目よ、このクソガキ。


「……あたしのとうさんの半分ね」


 あたしは腕を組んで、を冷ややかな目で見下ろして言ってやった。


「……ホントかよ」


 ギールはおどろいた顔をしてあんぐりと口をあけた。


 ふん。

 なめんじゃないわよ。

 あたしのとうさんは、ナニもかもでかくて有名なヤソ人よ。ジェルダ人並みなんだから。

 まあ……半分、てのは言い過ぎたわね。三分の二が正しいかしら。


 ギールは井戸の水で顔を洗うと、桶を置いた。


「あー、スッキリした」


 いいから早く、ローブ着ろってのよ。

 あたしは庭の木にひっかかっていたローブをはぎとると、ヤツに渡した。


「ありがと、ねえさん」


 微笑んでローブを受け取るギールは、悔しいけど、奇跡のように美しい。

 肌は高級娼婦のように滑らかで白く、顎で切りそろえた髪は絹糸みたいに柔らかで薄い茶色。

 細身の筋肉質の身体は、彫刻家のテドーが絶賛してたわ。あたしも、つい見惚れるわよ。

 そしてこいつのツラ。

 悪魔としか思えない。

 女のように繊細な造りで。でも確かに男の硬質な色味で。

 見る者すべてを虜にする色欲の権化よ。

 誰もがヤツに微笑んでほしいと思うだろうし、女なら自分に触れてほしいと思うだろうと思うわ。


 でも、こいつの中身は。


「ねえさん」


 ローブを着るなりヤツはあたしに抱きついてきた。


「いつになったらオレと寝てくれんの」


 そう言って、あたしのお尻をさわさわとなでた。


 ええ、サル以下よ。こいつの中身は。

 まったくのサル以下!


「離しなさいよ、汚らわしい」


 言う前にヤツのおなかに膝蹴りしてやったあたしに、ギールは身を折ってうめいた。


「そんなことより、あたしが言った宿題はできたの? 文字は覚えて書けるようになったんでしょうね」

「ううん。あんなの、無理。半分ぐらいかな」

「なに言ってんのよ! この国の文字は26しかないのよ!」


 あたしはキレて叫んだ。


「キエスタ文字なんて70もあんのよ!なに甘えたこと言ってんのよ!」


 だいたい、文字ひとつ覚えるのに何日かかってんのよ。あたしなんて、三日でマスターしたわよ。

 そう、こいつは兄弟子のくせに読み書きもろくにできない。

 本ひとつ、いえ、ページひとつ、読むことすらできないんだから!


「ねえさんが夜部屋に来て、教えてくれるんなら、覚えられるよ」


 にこ、とヤツは腹を押さえながらあたしを見上げて微笑んだ。


「お返しはベッドで。サービスするよ」


 あたしの頭の血管が一本くらい、切れたかもしれない。

 あたしはヤツを蹴っ飛ばしてやろうと、右足を上げた。

 ヤツにめがけて蹴りだした瞬間、ヤツが脚に抱きついたから、あたしは後ろにバランスを崩して倒れた。


「いたっ」

「……ごめん、ねえさん」


 当然のようにあたしに馬乗りになって見下ろすギールを、あたしはにらみつけた。


「さっさとどきなさいよ」

「サンダル、履かせてあげる」


 素直に身を離したギールは、あたしの右足を持つと、先程ヤツの頭に命中させたサンダルをあたしの足につっこんだ。


「ねえさんの脚、きれい。足首すごく細い」


 そう言ってギールは美しい形の指で、つつ、とあたしの足の甲からすねをなぞりあげた。

 ……いちいち、いやらしい触り方すんじゃないわよ。


「すごく、きれい。食べたい」


 ギールはあたしのくるぶしに口づける。


「汚いわよ。あたし、水浴したの三日前だもの」


 あたしは足を振り払って、立ち上がった。


「ねえさんは水浴しなくたっていつもきれいだよ」


 ギールは地面に座ったまま、にこにこと笑った。

 そんなわけないじゃない。

 キエスタにいたときは、毎日二、三回水浴びしてたわよ。まあ、あそこは暑いからだけど。

 この国の人間が無頓着すぎるのよね。毎日、水浴びしなくても平気だなんて。二、三日水浴びしないと私なんて気持ち悪くてたまらないわよ。


「またいっしょに水浴しようよ、ねえさん」

「二度とごめんよっ!」


 ええい、腹の立つ。

 あのことをまた、思い出しちゃったじゃない。


 あたしは記憶から消したくてたまらない出来事が頭に蘇ってうんざりした。



 ――トーラ先生のところに弟子入りして間もないころだったわ。

 なにもかも分からなくて初めてのことだらけのあたしにギールが言ったのよ。


『アネッテさん。神の前に人は等しく平等。男も女もありません。わたしたちは、男女の間の垣根を取り払わねばならないのです。わかりますね』


 へえ。そうか。そうよねえ。

 あたしは、素直にそう思った。

 そのころはまだ、ギールの本性なんか知らなかった。美形の年下の兄弟子、としか思ってなかったのよ。


『男女差の意識を取り去るために、わたしたちは男女共同で水浴をすることにしています。弟子同士、上も下もありません。お互いの身体を清めあって、ともに神に仕えるこの身を讃え合うのです』


 ……ええ、あたし。

 この言葉を信じちゃったわよ。

 信じるに決まってるじゃない!


 まんまとギールに騙されて、いっしょに川へと行ったわよ。

 すっぽんぽんになって、二人で川に入ったわよ。


『お前ら、なにやってんだ!』


 て、気付いたメイヤ兄さんが来てくれなかったら、あたしはもう少しでヤツのナニを洗わされるところだったわ! おぞましい。――


「早く、帰るわよ。兄さんたちがあんたを待ってる」

「はぁい」


 ギールは気の抜けるような返事をして立ち上がったあと、わずかに眉をひそめた。


「なによ?」

「うん……根元ちょっと痛い」


 知らないわよ、そんなこと。


「あんた、いつかそこ、腐れ落ちるわよ」


 あたしはあきれてそう言ってやった。

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