第176話小平 渚

 私はあの日、自らの幸運に歓喜した。


 大好きだったお婆ちゃんが亡くなったと言うのに、涙すら流さずに両親も親戚の叔父さんも皆が目の色を変えてお婆さんが残した遺産の話をしていました。

 80まで生きれば大往生ですよ。

 そんな声が聞こえてきますが、だから何だと言うのか。

 生きていて欲しかった人に旅立たれ、悲しんでいる者だっていると言うのに――。

 それが常套句だと言うのは幼い子供では無いから知っているつもりです。

 でも一粒の涙すら流さずその言葉を口にされると、それが本音なのだと思えて仕方がありませんでした。

 お婆ちゃんの家からは遺産相続に関しての書類は見つからず、直ぐに長男である父と次男である叔父、長女である叔母達が相続の分配の話をしだします。

 まだそこにお婆さんの肉体が残っているのに――。

 私は前世とか魂とかそんなオカルト的な話は半信半疑ですが、それでも亡くなったお婆ちゃんの魂はまだ近くにいる様な、そんな気がしていました。

 火葬が終わった頃にお婆さんが生前雇った弁護士が、唯一残された遺言状を持って我が家にやってきました。親族全員が集まったのはそれから1週間後。

 皆の立会いの下、弁護士がお婆ちゃんの遺言状を読み上げます。

 その内容を聞いた両親、親戚中、皆の顔色が変わります。

 その内容は《私が死んだら私が飼っている子猫ちゃんの面倒をお願いね。その子を引き取った者に遺産の全てをあげるわ。万一、私亡きあと子猫ちゃんが消えたらその時は野良猫と野良犬を養っている団体に全額寄付しますからね》といったものでした。

 親戚中の顔色が変わるのも頷けます。

 お父さんなんて遺産が入ってくる事を見込んで、貯金をすり減らし高額のお葬式をあげたんですから。少しでも長男の分配が多くなる様に企んで――。

 高校2年の私には、父が長男だから全てを取りまとめているんだと思っていました。

 でも子猫が見つからず、焦りだした親戚が偽の子猫を用意しその資格を失った時に全てを知りました。

 父が漏らした一言によって――。

 父は偽の子猫を用意した妹を罵りました。

 そして言ったのです。

 こんな事なら高い金を積んで立派な葬儀を行うんじゃ無かったと……。

 お婆ちゃんが亡くなった時の遺産相続の通常の流れでは、長男も次男も長女も子に変わりは無くその分配の割合は同じ。父が目論んだのは少しでも割合を高くしようとしただけ。

 俺の方が母の面倒を見ていたのだと。

 俺が葬儀に関しての面倒ごとを代わりにやってあげただろうと。

 お婆ちゃんを失って悲しみに暮れていた私には父の、いや違うわね。大人達のそんな浅ましさを見て何処かに消えたいと。そう思ってしまった。

 別に死にたいと思ったわけでは無いの。

 ただもっと綺麗な人達のいる場所に行きたい。

 そう思っただけなの。

 私は、お婆ちゃんが遺産相続の条件として残した件の子猫に会ってみたくなった。人生の酸いも甘いも嚙分けたお婆ちゃんが最後に残した課題の子猫だから。

 遺産相続に興味は無かったけれど、子猫が何処にいるのかの予想は付いていた。

 前にお婆ちゃんの家に遊びに行った時に、その子の話を聞いていたから。

 私はお婆ちゃんが子猫を拾った河原に赴き、子猫を探しました。

 白色に灰色が混ざったアメリカンショートヘアによく似た子猫を。

 気が付いた時、私は辺り一面が色とりどりの花が咲き誇る花の絨毯の中にいました。

 超常現象など信じませんが、実際に自身の身に起こればそれは別です。

 直ぐにライトノベルに出てくる異世界転異だと思い当たりました。

 何故、異世界だと思ったのか?

 だって――日本にはあんなカラフルでぷよぷよした生き物は居ないもの。

 昔クラスで流行したRPGに出てきた魔物が近くを這って進んでいました。


 ここでなら好きに生きられるかもしれない。

 両親の嫌な所も見なくて済む。

 現代日本の知識を使えば生活するにも困らないだろう。

 そう考え冒頭に戻る。


 スライムを倒すのには抵抗は無かった。ゲームの中では初めての街で最初に戦うチュートリアルの一面を持つ魔物だったから。

 それが狼、ゴブリン、オークに変った頃には私はそれらに負けない強さを持っていました。全てゲームと科学の知識を利用して――。

 現代地球には無かった魔法。

 次々に魔物を殺すだけで簡単に手に入る魔法。

 しかも魔法は想像力によって違った効果を齎す事を知ると、水魔法と光魔法を駆使して光学迷彩を覚えたりもしました。

 そんな強さを手に入れても私は冒険者になろうとは思えず、昔お婆ちゃんに教えてもらった納豆をこの世界に流行らせようと決意し行動を開始します。

 最初に納豆が完成した時には、涙が溢れてくる位嬉しくて喜びました。

 これで米と醤油があれば、きっと受け入れられる。

 そう期待を胸に抱いたのも束の間――。

 私は王都に異臭を振りまき大衆に苦痛を敷いた罪で拘束されました。

 確かに腐った豆が納豆ですが、それが日本の朝食に一般的に出されるものなんですから不味い筈はありません。そう何度説明しても、腐った豆を食する気が触れた女扱いをされてしまいます。

 ここが日本では無い事は知っていました。

 それでも味覚には共通する物が多かったから私は油断していました。

 日本でも腐った食べ物を食べていれば変人扱いされます。

 腐った食べ物でも受け入れられているのは時代を掛けて受け継がれてきたものだからです。それに気づいた時、私は幽閉されていた塔から逃げ出しました。

 どうやってなんて質問は野暮ですよ。

 私、魔法は得意なんですから。

 逃げ出してからは各地を転々と渡り歩き、弟子を取りエルストラン皇国の客分として現在にいたります。

 あれ――そういえば何で私、エルストラン皇国で戦っているんだろう。

 そうそう。悪政を敷き私を幽閉した憎っくきアンドレア国を滅ぼす為だったわね。確か――。

 今一曖昧な記憶を頭を振る事で消し飛ばすと、私はお婆ちゃんが最後に親しくしたこの子猫と対峙します。


「君はこんな国の奴等を助けると言うの? 無実の罪の者を幽閉する様な愚かな国の奴らを」

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