無題


「永遠について飽かず思いめぐらすには、身を横たえていなければならない。永遠は、久しいこと東洋人たちの主たる関心事であったが、その東洋人たちは水平の姿勢を好む人たちではなかったか?

 横になったとたんに、時間は流れを止め、分秒はもはや数えられることがない。歴史とは種族の産物である。(シオランは司馬遷を知らなかったらしい……引用者)

 垂直に立つ動物となった以上、人間はわが身の前方を、空間においてだけでなく、時間においてさえ、凝視する習慣を身につけねばならなかった。〈未来〉の起源は、実に惨憺たるところにある!」



 頸を体の上に持った動物である人間とその諸器官のヒエラルキーの顚倒についてバタイユはよく書いているがシオランも上のように面白いことを書いている。直立二足歩行という人間身体の特徴が絶えず前方に進むという時間意識を涵養したとか。無関係な引用……


「……その透明の眼が丸々と見開かれた放射状に広がる私の髪の中で、視神経を通過する言葉を失う脳に襲いかかる信号が興奮のまたたきの中でぶよぶよした脳子の内側で星を散らし、逆さにした頭蓋から脳があふれ散らばった眼らによって私が脳子であるようなひとつの分解、私の自我と基体の解体……」


 ……シオランは一々理を巻き込まないぶん誠実といえば誠実である。あるいは正直といえば正直と修正する必要があるか。



「限界つきの心痛などというものはない。」



「クライストの書いたものは、彼が自殺したことを考えずには、一行たりとも読むことができない。あたかも彼の自殺は、作品に先立つものであったかのようだ。」


 これはよく起こる現象でたとえば芥川龍之介も作品批評に自殺にいたるまでの精神衰弱の亢進というものを言いデビュー以来の一連の作家論の領域でさえ同じ図式で物を言う風潮は根強い。



 最後にもう一つ、同じくシオラン『生誕の災厄』中のアフォリズムからの引用――


「楽園の外に生きているのだと意識しなかったことは、ただの一瞬もない。」

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