窓のない屋根の下で

大和ヌレガミ

第1話 地方都市のフリーター

 時代は九十年代後半、就職氷河期とよばれていたころの話。


 同世代の友人たちは就職していないことに緊張感もなく、これから先、延々と不況がつづくことも知らないで、どこか呑気だった。


 未来はたぶん明るい、どうとでもなるという根拠のない楽観さを持っていて、バンドをやったり演劇をしたりしながらバイトを転々としている友人たちも珍しくはなかった。


 そんな時代の、たくさん経験したバイト先でのちっぽけな出会いと別れの物語です。まぁ、物語というには大袈裟すぎるけれども。


       ※


 22才のとき、オレはヨーグルト工場でアルバイトをしていた。

 田舎にありがちな田園地帯の真ん中にぽつりと立っている類いの工場で、駅前から出ている送迎バスに乗って通っていた。当時の時給はおよそ九百円。


 職場では毎日、朝礼があった。

 十人くらいの労働者たちは円陣を作る。みんな上下ともに真っ白な作業着を着ていて、白い帽子の下からネットがはみだし、耳にかぶさっていた。

 井原主任の手にはプリントのはさまったバインダーがある。そのプリントでは、作業着姿の男が脚立を用いて高いところの資材を取ろうとしていた。そばには別の男がフォークリフトを運転している。

「えっと……これを見てなにか気づいたことはないかな?」

 井原主任が周りを見渡して言った。

 その絵を見て各々がコメントするのだ。

「えっと、脚立の天板の上に乗っていて、転落の可能性がある」

「ヘルメットのヒモをちゃんと締めてない」

「床が濡れていてフォークリフトが滑る可能性がある」

 井原主任が他にもなにかないかと見渡す、オレと目があい、彼は微笑した。

「ん、と、じゃあ、脚立の止め具をちゃんとはめていない」

 オレもあわてて付け加えた。

 井原主任はわざと勿体ぶり、少し考えたフリをする、そして。

「よし、じゃあこれでいくか。高所作業中は足元に注意して作業しよう! ヨシ!」

 『ヨシ』の部分で右手をピストルの形にして降りおろすのだ。そしてそれに全員が続く。

「高所作業中は足元に注意して作業しよう! ヨシ!」

 これが安全確認というやつだ。

 毎朝、ラジオ体操をやったあと、安全確認をし、解散して持ち場につく。


 オレの仕事は計ることだった。ホワイトボードに貼り出された配合表を確認し、アイスやヨーグルトを作るのに必要な原料、ココアパウダー、小麦粉、合成着色料、フレーバー、食塩などをハカリにかけ、必要な分を容器に入れ、台車に用意する。そんな仕事だ。

 所属していた処理科ではバイトはオレ一人。社員の人たちはオレの計った原料をタンクにぶち込む肉体労働をしていた。社員は二十代が二人に、あとは四十代か五十代で、三十代は一人もいなかった。


 一人で作業するのは淋しい反面、お気楽な仕事だった。昼休みには畳の上で昼寝ができたし、アイスやヨーグルトも無料で食べることができた。だが、私用で休ませてくださいと言うと(月に二、三回、お笑いライブの舞台に立っていた)森本レオ似の副主任が露骨に困った顔をした。その顔がじつに悲劇的だったので、バイトを休むたびにオレは罪悪感にさいなまされた。これから夏が近づき、さらに忙しくなるというので、オレは六月末でバイトをやめることにしたのだ。


「こちら前田君、じゃあヤマト君、ちゃんと教えてあげてね」

 オレの後釜になる男は六月の頭に入ってきた。ということは約一ヶ月間、彼と仕事するのだ。そんな前田君はよりによってコミュ障といっていいほどに無口だった。 

 

 最初のうちは教えることがたくさんあり、私語をする時間も必要性もなかった。だが、三日もすると仕事に慣れてくる。注文の多いバニラアイスくらいなら、彼一人でもすぐに資材を用意できる。すると次の注文がくるまで時間が空く。時間だけじゃない、計量室というところはとても広い、小学校の体育館くらいの広さと天井の高さがある。そんな中に二人きりだ。空間も空く。

 なんとかこの隙間を埋めねばならない……。

 趣味は? 家に帰ってなにしてるの? 好きなアイドルは?

 いろんな質問を投げかけてみるが、どれにもソツない返事だ。気まずい……。

 興味の沸かない相手に話しかけなければならない。しかも相手は25才。オレの兄貴より上だからなおさら気を使った。

 前田くんは属性のよくわからない人で取っつきにくかった。肩まで伸ばした黒髪はダックスフントの耳のようだ、かといってオタク風ではなく、髪質は異様にサラサラしていた。そして180センチ近い長身で、上半身も筋肉質だったが体育会系気質ではなく、声はボソボソと聞き取りにくかった。

 オレの周りには22年間いなかったタイプ学校やサークルではどういう立ち位置だったか全くイメージできないし、どう接すればいいかわからない人だった。 


「ヤマト君、だいぶ先の話になるけど30日って来れる?」

 ある日、副主任がオレに聞いた。

「はい、その日は舞台も無いし、大丈夫ですけど、なにかあるんですか?」

「あぁ、この日はね、前田君が休ませてくれって言ってきたから」

 あの、謎の前田君が休むなんて、どんな用があるんだろうか? コンサート? 彼女とデート? ボクシングの試合? よし、質問が、話題がひとつ出来たぞ! さっそく前田君に質問だ!

「30日って休むんですよね? なにか予定とかあるんですかあ?」

 ここから話題が広がるといいな。

「あ、もしかして彼女ッスかぁ? コノ! コノ!」

 オレは肘で彼をつついてみた。だが、返ってきたのは予想もつかない答えだった。

「うちの家……ガイア教なんで、それで集会が……」

 気まずい空気の中、ヴォンヴォンと工場の機械音は響いていた。オレは急いで肘をもどした。彼はバツの悪そうな顔をしながらも、少し義務的な感じでこう続けた。

「もし……興味があれば……一度顔を出してみてください……」

「あ……う、うん、うんうんうん」

 オレは否定とも肯定ともとれる笑顔でお茶を濁した。このときばかりは日本人でよかったと心から思った。アメリカ人のように力強く「ノー!」などと言おうものなら、物語はここで終わっていただろう。ジャパニーズスマイルってやつは便利だ。

 その後もオレは根気強く、彼の内面を発掘、開拓しようと努力を続けていた。そして、そんな努力も終わりを告げた。

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