第337話 イネちゃんと活動条件

「本当に声をかけずにシックまで来るなんて思わなかったよ……」

 ヨシュアさんからこんな恨み言を言われたけれど、イネちゃんは元気です。

「いやだってね、まず最初に報告すべき場所があるわけだし、普通はそっちを優先すると思わない?」

「そうだけど、ケイティさんから既にシックに行ったって聞いて本当驚いたんだよ」

 ヨシュアさんは休戦条約の詳細を知った後も、ムータリアスで情報収集に努めていたらしい。

 別れ際に言ったことを律儀にやってくれていたヨシュアさんにはちょっと悪いことをした気もするけれど、イネちゃんとしてはまずはムーンラビットさんのところにお休み終了を連絡して、ゴブリン施設に対しての動きを聞いて把握しておきたかったし、お休みまるまるイネちゃんと一緒にしたリリアを早く家族の元にって気持ちもあったのでここはお互い様ということにしてお話を進める。

「とりあえず、ムータリアスに対して大陸の組織に属する人間が自由に活動できる範囲はカルネルに限定されているわけだけれど、一応抜け道がないわけじゃない。魔王軍側に関しては大陸の人間を受け入れることに対しての抵抗は殆どないから、そっち側で活動する分には問題は起きない。同時にクーデター軍……今は神聖アルスター帝国を名乗っているけれど、実質連邦制に近い形になっていて結構国境警備が厳しく、こっちでの活動はほぼ不可能と思っていいね」

「でも抜け道がある」

 ヨシュアさんが最初に言ったことをイネちゃんが言うと、ヨシュアさんは嬉しそうに首を縦に振った。

「神聖アルスター帝国だって一枚岩じゃない……というか連邦制に近い状態になっている理由には物資不足もあるし、何より先の2つの大きな戦いでその中心母体であるクーデター軍の規模はかなり小さくなっているからね、軍の力による統治は実質不可能みたいなんだ」

「まぁ、元々のアルスター帝国を2分割にした上に、シック侵略軍とカルネル包囲軍の両方ともクーデター一派のものだからね、そこはわかるよ」

 大半イネちゃんを始めとした大陸の戦力がぶっ潰したんだけど。

 となればクーデター……神聖アルスター帝国の上層部は大陸には勝てないが、魔王軍や女王派であるアルスター帝国の面々には勝てるって考えていても不思議ではない。

「それとアーティルさんの率いるアルスター帝国は、帝国制を廃止して正式に連邦制に移行したよ」

「アーティルさんの周辺しかカルネルまで来れてなかったから、何かしらの変更はあると思ってたけど……連邦なんだ」

「ゴブリンを中心とした軍に対して嫌悪感を抱いている人類軍が結構いるみたいでねそれなら魔王軍と仲良くしたほうがマシと思う人が少なくなかったみたいだよ」

「聴いてる感じだとその人たちが不確定要素かな?」

 ゴブリンに頼らなければならない状態を良しとしないのは、状況が見えていないか、そもそも必要ないほどの軍備が整えられているか……こればかりは確認しないとなんとも言えないけれど、1つ確かなこととしてはその人たちは自分たちが人間であるということに誇りを持っているだろうということだね。

 そういう人が、大陸やムータリアスの世界でどういうことをしでかすかということを考えたらちょっと歓迎すべきではない……のだけれど、アーティルさんとしては頼らざるをえないのも事実である以上、これはアーティルさんを責めるべきじゃないし、ムーンラビットさんも何かしらアクションを起こしただろうからイネちゃんがあれこれ言う問題でもない。

 まぁ事が起きたらイネちゃんにお願いとか言って回ってくるんだろうけれど。

「そしてここからが大切なのだけれど、中立を宣言した国が少数だけど存在していてね、そこは休戦条約の上でグレーゾーンだということ。これは僕たちが情報収集のためにいろいろ目立つ感じに動いたけれど神聖アルスター帝国側がなにも手を出してこなかったことから、確実だと思うよ」

 なる程、体験談込みでの可能性か。

 ただヨシュアさんたちがフリーダムに動いたおかげで神聖アルスター帝国側が何かしら手を打っている可能性も否定できないし、何よりこちらが自由に動けたということは相手も自由に動けるってことだからね、そういったリスクも含めて考えるとやはり提案された手は避けたほうがいいよね。

「ヌーリエ教会でも調査は行ったが、カルネル近辺に関しては基本的に軍を退けている。最も、休戦条約で定められた国境の外では相応の軍隊が駐留しているがな」

「一番警戒すべき場所をカルネルに定めているってことは確かみたいだね……となればスパイがカルネルに入り込んでいる前提で?」

「母上はそのつもりで夢魔の専門家以外にも部隊編成を行ったようだ」

 ムーンラビットさんがそのへんを見落とすわけないか。

 夢魔が配置されていないとかなったら絶対裏があると思っていいし……そのへんも含めて腹の探り合いとかでまずヌーリエ教会に勝てる組織はイネちゃんが知っている限りないと言っていいかもしれない。

「はい、お待たせよー」

「母上、調整の方は……」

「流石にこっちの要求そのままってのは無理やったけどな、概ね妥協点に着陸させたんよ。ま、この辺はあちらさんもケツに火がついてるから苦しいが飲み込んだってところやろうけどな」

 ムータリアスの情勢というか、現状をある程度聞いたところでムーンラビットさんが現れた。

「とりあえずイネ嬢ちゃん、当初の予定が通らなくて申し訳ないんよ。でもまぁ、その代わりにゴブリンをぶっ飛ばせる舞台は用意できたんで、請けるかどうか話を聞いてから決めてもらってええよー」

「いやなんかすごく軽く言ってますけど、それって絶対地球でドンパチしてきていいよってことじゃないですよね」

「いろいろ制限があるけどな、流石にムータリアスでやってたような派手な立ち回りはまず無理なんよ。その代わり日本とアメリカではどんなに力を見せつけてもあちらの組織が勧誘だのをやることは禁止ってことになったからな、ビームをバンバン撃ちまくって大丈夫よ」

「日本とアメリカって……それって実質アメリカだけってことじゃないですかね、日本にはオベイロン出現してないし」

「だってなぁ、ヌーリエ教会への救援を国として打診してきたのがまず日本でなぁ」

 どの国もプライドというか威信というか……民間人のことを考えたらなりふり構っていられないという状況でも足かせになったりするのかねぇ。

「一応、最初に繋がった時にうちらがやり返した国は、亡国に近い状態だったのにオベイロンが出現してたから、そっちはヌーリエ教会が自前で対処する形にはなったがな。そこ以外に関しては主権があるわけで、流石にこっちが国境を超えてやらかすわけにはいかんしな。1度実績を作る意味で日本が救援を打診してきて、アメリカとの仲介を名乗り出たわけよ」

「それで、どんな形に落ち着いたんです?」

「日本の自衛隊特殊部隊という形で今回限りやな。それ以降は新しくうちらと協議してもらうことにしたんよ、これならうちらがそのまま駐屯して国土を奪う気がないってわかってもらえるやろうしな……あ、そういうことなんで一応復興支援のほうはやってもらうから、なんだったらリリアを連れて行ってもええんよ」

 完全にカルネルでやったこと……というかリリアが巡礼や修行で行ったことを活かす場を用意したよね、これ。

「ばあちゃん、えっと……」

「ん、戦えるようになりたいん?」

 リリアが首を縦に振る。

 今のやり取りで全部把握できる辺り、読心能力って便利だよね……あぁまぁだからと言って欲しいかと言われたら別にいらないけど。

「別に、リリアなら封印を自力で少しづつ解除していくだけで私程度軽く超えられるんよ?封印も教会で使ってる奴やから今のリリアで十分こなしていけるはずよー」

「で、でも……」

「正直、攻撃魔法を使えるようにならんほうがリリアの場合は抑止力になるんやけどなぁ。下手に攻撃魔法が使えると、何とかできるんじゃないかとか考える馬鹿が押し寄せてくるようになるんよ。これは私の体験談やけどな」

 ムーンラビットさんは遠い目でそう語る。

 うん、なんとなくわからないでもない。

 人って自分の解釈範囲内の出来事を見ると、それは何とかできるって思いがちだからなぁ、例えそれがその1つ以外全部常識外の存在だったとしても。

「それでもやりたいっていうなら止めはせんよ。なんだったら教育係を1人つけてやるけど、どうするん?」

「私は……」

 そこでリリアが悩み始めたところで、イネちゃんが割り込む。

「別に今すぐ決めなきゃいけないってわけじゃないし、今は他に優先すべき出来事も多いから……ほら、地球でオベイロンをはじめとするゴブリンが暴れているとなれば苦しんでいる戦えない人がいっぱいいるわけだし、その人たちを助けながらどちらにするか決めればいいんじゃないかな」

「イネ……うん、そう……だよね」

 そういうリリアの表情は悩みから脱することができていなくて、イネちゃんは胸が苦しくなった。

「ま、そういうことなら現地で決めた直後に動けるよう、教育係にもなれる人材を準備しておくんよ。イネ嬢ちゃんも参加してくれるみたいやし、いやーすんなり決まってよかったよかった」

 ここでイネちゃんは、ムーンラビットさんの作った話の流れに乗せられたことに気がついたのだった。

 いやまぁ、どちらにしろお休みの間地球でニュースを聞くたびに感じていたあのもどかしさを自分の手で解消できる機会をもらえたのなら、それは嬉しいことだったけどね。

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