第7話 桃騎士の涙(上)


 桃井桃子ももいももこ

 まるで昔の少女漫画に登場するような、それが私の名前だ。

 幼い頃の私は、多くの子供がそうであるように、ゲームに興味を持った。

 ただ他の子どもと違い、私の興味はゲームを遊ぶことにではなく、ゲーム機の中身、その仕組みへと向かった。

 画面でピコピコ動くカワイイ動物がゲーム機の中に隠れているはずだと思いこみ、機械を小さな部品に分解し、隅から隅まで調べたが、動物たちはどこにも見つからなかった。


 画面上のカワイイ動物が機械そのものの中にではなく、それに入っているソフトが作る仮想空間にいると気づいた時の衝撃は忘れられない。まだ小学生だった私は、そこに魔法の世界を見た。


 少しオタクがかってはいるが、ごく普通の女子中学生になっていた私を悲劇が襲った。

 両親が乗っていた車に、暴走したトラックが正面衝突し、二人の命を奪ったのだ。

 事故の原因として、トラックのブレーキシステムを制御するプログラムの誤作動が疑われた。


 事故が起こった本当の原因が知りたかった私は、自分が好きだった電子の世界に再び関わることになった。

 事故を起こしたトラックを製造した会社の情報バンクに忍びこみ、そのデータを盗みだした。

 そして、運転手の端末に侵入したことで、事故の前日、彼がほとんど寝ずにそのまま業務に就いたことが分かった。


 事故の原因は、出荷前にすでに見つかっていたプログラムの誤作動を放置したこと、居眠り運転、この二つが重なって起きたことだった。

 私がその情報をネットに流したことで、世間が騒ぎだし、運転手は懲役刑となり、トラック製造会社もそれなりの社会的制裁を受けた。

 

 しかし、私の気持ちは晴れなかった。なぜなら、事後のすぐ後、母が瀕死の床で、私に残した言葉があったからだ。


「桃子、人のために正しく生きるんだよ」


 母の最期の言葉は、ハッキングという手段を使い事故の原因を暴いたことで、なおさら私の心をさいなんだ。  

 

 形だけ専門学校を卒業した後は、なるべく電子機器に関わらない世界で生きようとした。

 しかし、運命はそれを許さなかった。

 様々な人が様々な理由から私の力を求めた。

 断りきれない依頼をこなすうちに、『ピンクウイッチ』という二つ名まである、いっぱしのハッカーになっていた。


 そんな時、私は一人の男と出会った。

 

 ◇


 立花武夫たちばなたけおは、かなり大きな会社の重役で、その会社のネットワークセキュリティキー強化を依頼されたとき、顔見知りになった。彼の父親がその会社のオーナーだった。


 巧みな話術と上品な所作を持つ彼は、私がそれまで出会ったことがないタイプだった。

 軽い食事から始まり、高級レストランでのディナーへと、私たちの関係は急速に深まった。

 男性経験がほとんどない私は、彼にとっていいカモだったろう。


 私が妊娠したと分かった時、彼は少し黙りこんだ後、嬉しそうな作り笑いをした。

 その時やっと、二人の関係が仮そめのものだと気づいた。


 私は子供を自分一人の手で育てると決め、男児「雅文(まさふみ)」を出産した。

 仕事面で順調だった私は、金銭的な余裕があったのと、ある程度在宅で仕事ができることで、なんとか息子と二人生活できていた。 


 息子が三才になったとき、私の前に立花の代理人を名乗る女性弁護士が現われた。

 それが雅文の親権をめぐる争いの始まりだった。


 立花は私が雅文を虐待しているという嘘まで、でっち上げた。

 そして、時おり仕事のために私が息子を託児所に預けるのをつきとめ、安定した家庭環境がある自分こそ、息子を育てるべきだと主張した。


 三年間、必死に法廷で争った挙句、私は裁判に負けた。

 二週間に一度、雅文に会う権利を得たのが、せめてもの救いだった。


 裁判の途中、ハッキング技術で彼の嘘を暴きたいと何度思ったか知れない。

 しかし、その度に母の言葉が思いうかび、私はそれを思いとどまった。


「桃子、人のために正しく生きるんだよ」


 愛する息子に関わることだからこそ、私は自分の技術を封印した。

 雅文が彼の実家に引きとられたとき、身をひき裂かれるより辛かった。

 しかし、広大な敷地を持つ彼の実家で、豊かな生活をさせてやりたいという思いも心のどこかにあった。


 やがて立花が結婚すると、深刻な問題が起きた。

 相手は私でも知っているほど大きな会社に勤める重役の娘で、バツイチの彼女には男女二人の連れ子がいた。

 中学生の男の子と、息子より二つ歳上の女の子は、その母親と一緒に雅文に冷たく当たりはじめた。


 理解できないのは、立花が雅文を手放さなかったことだ。

 血は繋がらないとはいえ、新しい長男ができた今、彼が雅文にこだわる理由が分からなかった。


 雅文に会えないときは、『ネットのプリンス』として話題となっていた『翔太の部屋』を訪れ、心の慰めとした。どこか息子に似た翔太君が、行方不明になった彼の姉に関する情報を集めるために作ったページだった。

 彼の相談に乗ったり、ページ作成の手助けをしたことで、以前から顔だけは知っていた白騎士、黒騎士との関係が始まった。

 やがて緑騎士、黄騎士の姉妹が参加し、プリンスである翔太君を守る五人の騎士が揃った。

 彼らと一緒にいるときは、魔法少女としておバカに徹する。それがとても心地よかった。


 翔太君が尊敬するシローという青年の会社『ポンポコ商会』の社員となった私は、それまでよりずっと生活が安定した。

 個人として仕事を請けおっていた時は、どうしても収入が不安定だった。金銭面だけでなく、職場で仲間の存在を感じられるのも心強かった。仕事もやりがいのあるものが多く、私は自分の技術を心置きなく使っていた。

 シロー君は、異世界から帰ってきたという異色の存在だけれど、若いのに周囲を包みこむような、おおらかさがあった。


 騎士五人揃っての異世界旅行を終えた後は、私たち騎士の間に、以前にも増した信頼が生まれたように思う。

 シロー君に連れていかれたパリのホテルで、仲間の前で初めて、私は自分の悩みを打ちあけた。


 ◇


「昨日が息子との面会日だったんだけど、雅文の身体にあざがあったの」


 私の言葉を聞いたシロー君、白騎士、黒騎士は、それまでの楽しかった時間が急に消えてしまった、そんな表情をしていた。


「なるほど、お話は分かりました。

 桃騎士さんは、どうしたいんですか?」


 シロー君の言葉は優しかった。


「ま、雅文を取りかえしたい!

 で、でもどうすればいいか……」


「あんた、自分の能力でそのいけ好かない男の嘘を暴けばいいじゃない!」


 白騎士は今まで見たこともないほど、腹を立てていた。

 整った顔に青筋を浮かべ、私をにらみつけている。


「雅文のことでハッキングしたくなかったの」

 

 私の言葉を聞き、白騎士が激高した。

 プチンと何かが切れる音が聞こえるくらいに。


「バカっ! 

 あんた、母親でしょ!

 どんな手を使ってでも、息子を取りかえしなさい!」


 めったにないことだが、白騎士の言葉に黒騎士が頷いている。


「同感」


 その時、シロー君が、いつもと変わらない落ちついた声で言った。


「桃騎士さんと雅文君は、『ホワイトローズ』に住んでもらいましょう」


「……シローちゃん、なに言ってんの!

 確かにウチには、二階にも地下にも空き部屋がたくさんあるけど。

 その前に、雅文君をクズ野郎から取りかえさなくちゃならないのよ?」

 

 白騎士が呆れた顔で問いかける。

 

「その通り」


 黒騎士の言葉と一緒に私も頷いた。


「えっ?

 ああ、そんなことですか。

 雅文君は戻ってくるから、その準備をしておいてください。

 桃騎士さん、日本に帰ったら、さっそく雅文君を取りかえしに行きますよ」


「ど、どういうこと?」


 シロー君が言っている言葉の意味が、またしても頭に入ってこない。

 

「とにかく、俺に任せてください」


「……う、うん」


 何もかもが、よく分からないまま、やっとのことで私は頷いた。  

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