第18話 山路さんが私の部屋に泊まってくれた

このまま別れたくなかった。山路さんともう少し一緒に居たかった。


「お店に寄って行きませんか、3日まで休業です。お客さんは来ませんから」


「そうだね。ここまで来たのだから寄らせてもらおうか」


店の中は暖房が入っていないのでひんやりしている。


「ここは寒いですから、上の私の部屋へいらっしゃいませんか? その方が落ち着きます」


「君がいいというのなら上がらせてもらうけど」


「じゃあ、ちょっと待っていてください、着替えと片付けをしますから」


「居住スペースへはどう行くの?」


「店の中の奥のドアを開けると階段があります。そこを上ると私の居住スペースがあるんです。先に上って、着替えをして、部屋の整理をしますから、お呼びするまでここでしばらく待っていてください」


私は店の奥から2階へ上がった。そして準備が整うと、声をかけた。山路さんが恐る恐る階段を上がって来る。部屋に入ると見まわしている。


エアコンが効いてきて温かくなってきている。部屋は新しくはないがいつもきれいに整えている。山路さんは窓際のセミダブルのベッドをじっと見ている。


「山路さんと同じセミダブルです。大きめの方がゆっくり眠れて疲れがとれますから」


「僕も同じ理由でそうしている」


「和服じゃ、お料理しにくいから、着替えました。ごめんなさい」


「お料理って、ご馳走でもしてくれるの?」


「お正月ですから、何かご馳走します」


「それはありがたい。今年の正月は一人ぼっちで何も準備しなかった。娘がいればお節料理のセットでも買ったところだが」


「お嬢さんは?」


「今年は向こうで過ごすだと、いい男でも見つけたのならいいが」


「ご心配でしょう?」


「もう大人だから、本人に任せることにした」


「一人では食べきれないのであまり買ってありませんが、お節料理の材料を少し買ってあります。すぐに準備しますから、待っていてください」


私は山路さんにホットウイスキーを作ると下の店に降りて行って材料やらを持ってきた。彼は飲みながら、私が準備するのを見ている。


「店で君の書いた絵をよく見たよ。いいね、僕は好きだ、清々しい風景画だね」


「ありがとうございます」


「公園の絵を描いたら1枚ほしいな、家に飾りたい」


「よろしければそのうち描いてみます」


小一時間もするとテーブルにお節料理やオードブルを準備できた。お昼を少し過ぎている。


「お雑煮のお餅はいくつ召し上がりますか?」


「お腹が空いているから3つにしてください」


お雑煮を作ってテーブルに並べる。


「どうぞ召し上がって下さい。お酒もどうぞ」


「ありがとう、いただくよ、お節料理をご馳走になるとは思わなかった」


「材料を買ってきておいて良かったわ」


「二人でお正月のお節料理を食べるのはいいね、のんびりした気持ちになれる」


「ブレスレットありがとうございます」


「喜んでもらえればそれでいいんだ。僕の気持ちだから」


「だから、嬉しいんです」


「店でも着けます」


「そう言ってくれると嬉しいけど、お客に聞かれるかもしれないよ」


「プレゼントだと言います」


「誰からと聞かれるよ」


「付き合っている人からのプレゼントだと言いますよ」


「君を目当てにしているお客が逃げるよ」


「今時そんなお客さんはいませんよ」


「僕はお客になっていないけど君を目当てにしている」


「だからプレゼントを受け取りました」


「それならそれでいいんだ」


「一人ぼっちの正月より二人の正月がいいですね」


「僕も今同じことを考えていた」


「今日はゆっくりして行ってください」


「ゆっくりさせてもらっているけど」


「いいえ、今日は泊っていってもらえませんか。一人のお正月は寂しいので」


「君がそういうなら、喜んでそうさせてもらうけど、僕も家に帰っても一人だから」


「ありがとう。嬉しい」


食べ終わると私はテーブルを片付け始めた。彼は洋室へ行ってベッドに寄りかかって後片付けをするのを眺めている。すぐに片付けは終わって、今度は水割りを2杯作って、彼の隣に座った。


「ここなら人目を気にしないで、いつまでもお話しができます」


「僕のことをいろいろ聞かなくてもいいのかい」


「いいの、今までのお付き合いで性格も分かっているし、改めて聞くことなんかありません」


「僕の方からひとつ聞かせて、君はいくつなの?」


「そうね、言ったことなかったし、いままで聞かれなかったわね、32歳です」


「思っていたとおりだ」


「あの仕事に入ったのが20歳、父親の借金を払うため、どこかで聞いたような話でしょ」


「お父さんは今どうしているの?」


「折角借金を払い終えたのに、22歳の時に亡くなりました。奥さんと同じがんで、肝臓がんでした、きっとお酒の飲みすぎね」


「兄弟は?」


「一人娘で、父子家庭でした。母親は小学校2年生の時にどこかへ行ってしまいました。でも父親は私をそれは大切にしてくれました。あなたが娘さんにしたように」


「父親は娘が可愛いものなんだ」


「だから風俗で働く決心をしたの」


「お父さんはそれを知っていたのか?」


「もちろん黙って、借金取りから聞いたかもしれないけど、何も言わなかった。ただ、お酒の飲む量が急に多くなったから、知っていたのだと思います。死ぬ前にすまなかったといって泣いて謝っていました」


「お父さんはとても辛かったと思う」


私はその時のことを思い出して彼に抱きついて泣いてしまった。


「私が父の死を早めたんだと思います。お酒の量が増えていきましたから」


「しかたなかったんだろう、そうするしか」


「はい、でももっと楽をさせてあげたかった。そして、そばにいてほしかった」


「亡くなられたのは定めとでも考えるしかないと思う」


「定めですか?」


「宿命と言ってもいいのかもしれない。そう考えると、君も楽になれる」


「あなたも奥さんの死をそう考えたのですね」


「悲しいことだけど定めだと思って受け入れるしかない。悲しいことばかりでなく、またいいこともきっとある。それを受け入れて生きていくしかないんだ。僕もそうしている」


「父もあなたと同じようなことを言っていました。でもとっても寂しそうだったのを覚えています」


「私があなたに惹かれるのは何か父と同じようなものを持っているように感じるからかもしれません」


「それはファザコンだな」


「そうかもしれません。いま話を聞いてもらって気持ちが少し楽になりました。ありがとうございます」


私が身体を彼に預けるとしっかり受け止めてくれる。抱きたいと思っているのが分かったので、私は身体を急に離した。


「シャワーを浴びてください」


促してバスルームへ入ってもらった。すぐに私も入る。


「ごめんなさい、昔の癖が抜けないみたい、シャワーをしないと気が済まないんです」


「清潔好きはいいことだ。僕も洗ってあげる」


私は山路さんの身体を丁寧に洗った。それから彼も私の身体を洗ってくれる。冬だからシャワーを熱くして十分に浴びる。それからベッドに移って、愛し合った。


私は布団の中で彼にしがみついている。部屋の暖房を強めてあるので寒くはない。


「姫始めだね」


「そうですね、今年もよろしくと言えばいいんでしょか?」


「よろしく」


「ひとつ聞いてもいいですか? 山路さんは右利き? 左利き?どちらですか?」


「右利きにみえるかもしれないけど、元は左利きで小さい時に矯正した。だから字を書く時やお箸を持つのは右手、でもキャッチボールは左手だった。小学生のころ、右手で字を書いて、左手の消しゴムで字を消して、両手を使ってノートを取っていたら、先生が器用だなと驚いていた。自分ではこんなの当たり前と思っていたからこちらが驚いた」


「納得しました」


「何が?」


「山路さんが私を右側に寝かせる訳が」


「先輩に聞いた話ですが、左利きの人は自分の右側に寝かせると横を向いた時に利き手の左手が上にくるので使いやすいから自然にそうするそうです」


「そういうものなんだ。あまり考えなかった」


私は彼の左腕を掴んで私の胸へ運んだ。その手が私を撫でてくれる。心地よい。そのまま、二人はしばらく眠ったみたいだった。


私のベッドから出て行く気配で彼も目を覚ました。時計は5時を過ぎていた。


「夕食を作ります。お肉があるから焼きます。元気をつけてもらいます」


「ありがとう。元気が出そうだ」


「二人分だと作り甲斐があります」


「姫始めで君をご馳走になって、ステーキをご馳走になるなんて、今年の正月は最高だね」


「私もこんな楽しいお正月は久しぶりです」


私が作った夕食を二人で食べた。山路さんは何を考えているのか、後片付けをしている私をじっと見ている。私は夫婦二人の正月はこんなものだろうかと思っている。後片付けしながら私が聞く。


「二人の生活ってこんな感じになるのかしら」


「僕も今、それを考えていた。どうなの?」


「心が落ち着いて穏やかになっています。後片付けも楽しいし」


「こうして、君が後片付けをしている後姿を見ているとなぜかほっとするね」


「これが普通の夫婦の生活っていうものかな」


「こんな感じですか、私は経験がないから分からないですけど」


「僕も昔のことだから忘れてしまった。終わったらそばに座ってくれないか」

「ええ」


洗い物を終えて、私は隣に座った。互いに寄りかかってベッドにもたれかかって座っている。私の手にはまだ水がついている。商売道具と言っても良いから、手には気を使っている。荒れていない手をとって彼がそっとキスをする。


「夕食をありがとう」


「どういたしまして」


「しばらくこうしていたい」


「お茶をいれます」


「ありがとう」


「これからどうします」


「君を抱いて眠りたい」


「私も抱かれて眠りたい」


二人はベッドに移り、また愛し合う。そして抱き合ったまま深い眠りに落ちた。

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