第15話6章


【6】




 御伽噺の間、空にはずっと月があった。

 


 イシュターが長い長い御伽噺を終える頃。

 アギは自分の頬に伝うものがあるのを感じる。

 触れずとも分かる。

 涙だ。


 胸が苦しい。

 

 会いたい、と思う。


 名前も分からない。

 でも会いたい、と思う。

 

 自分の中にずっとあった感情がようやく形を持つ。

 これは彼女に対する思いなのだと、ようやく、悟る。



 イシュターは泣くアギを前に満足そうだ。



「では、参りましょう、アギ。貴方だけの女神を探しに。このイシュター、微力ながらお手伝いさせて頂きますわ」

「イシュター、待ってくれ」

「ご安心下さい。私にだって目的はありますの」


 イシュターは笑う。


「本当は勇者に協力するのが我々の役目。でも、神々もすべての時間、私たちを束縛する事など無理なのです。その束縛が緩んだ隙間、私たちは冥王を助けますわ。――でももう大丈夫、私はその束縛を喰いちぎった。ちょっと苦しいけど大丈夫。最後まで、貴方にお仕え出来ます」

「違う」


 アギは嬉しそうに話し続けるイシュターを止める。


「俺は冥王になんてなれない」

「何故? ――会いたいと思いませんの? 貴方の恋人に」

「会いたい」


 即答。

 叫ぶように、言葉が出た。


「でも、俺は無理なんだ」


 言葉を繋ぐ。


「親父が剣をくれた。俺をこの国の王にするって。唯一欲しかった女の子供が俺だからって――バーンホーンの国王らしくねぇ、そんな情で俺を――」


 弱い、声。


「俺を、必要としてくれるんだ」



 イシュターはじっとアギを見ている。



「それに、俺の幼馴染――ハーブって言うんだけど、そいつ、冥王に生まれ故郷を滅ぼされている。……本当、情けねぇけど、俺はハーブやラナまでいなくなったら、壊れちまう」


 だから、だから。


「俺だけが会いたいってのを我慢すれば、いいんだろ? 今まで我慢してきた。耐え切れた。だから――」

「欲しいものが分かって我慢出来ます? 貴方は既にその衝動に名前を付けてしまった。女神と言う名の存在を確信してしまった。耐え切れますの? その魂の苦痛に?」

「耐え切れる」


 独りじゃ、無いのなら。


 

 イシュターが軽くため息を付いた。



「もう、本当に規格外の器ですわ」

「悪ィ」

「無理強いは致しません。エレガントではありませんもの」


 イシュターは立ち上がり、アギの足に身体を寄せた。

 すり、と身を寄せる。


「でも残念です。私、貴方が結構気に入りましたのに」

「……」

「貴方さえ許して頂けるのなら、少しだけ、お傍にいても宜しいかしら?」

「俺は」

「えぇ、結構。貴方はお好きになさって」


 イシュターが目を細める。


「私は私で可愛い猫のふりをさせて頂きますわ」


 後ろ足で立ち上がり、アギの服に爪を掛ける。

 みゃあん、と、甘えた泣き声をひとつ。

 アギは思わず噴出した。



 剣を片付け、空いた手でイシュターを抱き上げる。


「あん」


 イシュターは変な声を出した。


「もう、抱き方がへたくそですわね」

「悪ィ、悪ィ。これから覚える」

「そうして下さいな」


 夜の街を歩き出す。




 少し歩くと人波が復活した。


「……何かしてたのか?」


 腕の中のイシュターに囁く。

 指導された抱き方の腕の中、長毛の猫はご機嫌そうに喉を鳴らした。


「人払いの魔法を少し」

「魔法……」

「人が扱える魔法ならば殆ど扱えますわよ? それから、禁呪も少々」

「禁呪って?」

「例えば、誰かを殺して別の誰かに命を分け与えるとか」

「……」

「残酷でしょう? でも必要とされる時もあるのです」



 そんな話の間に宿に着いた。

 宿の主人に少しの金を握らせれば、イシュターはあっさり認められた。


 数泊目となるその部屋に、まだハーブの姿は無かった。

 ラナの所に泊まるつもりなのだろうか。


 時刻はもう深夜に近い。

 明日は決勝。

 もう眠った方がいいだろう。


 ベッドの端に腰掛ける。

 何となく、視線をドアを向ける。

 ハーブはまだ帰らない。



「眠りませんの?」

「眠いなら好きに寝ろよ」

「……?」


 こくり、と首を傾げる。

 猫の仕草はいちいち可愛い。


「何か、ございました?」


 少しだけ迷って、言う。


「夜中に叫んでもビビるなよ」

「あら、悪夢でも見る癖が?」

「中身は覚えてねぇよ。ただ……なんつーか、物凄く嫌な夢を見る。ガキの頃はそれで、その……えーと」

「添い寝がいないと眠れなかった、とか?」

「……」


 図星だった。


 くすくすとイシュターが笑う。


「い、今は違うぞ」

「でも何となく不安なのですわね? ――分かりましたわ、私は貴方の猫ですもの。お手伝い致しましょう」

「……?」

「夢を操ります。サキュバスやインキュバスたち……夢魔たちの技ですからあまり好きではありませんが、まぁ宜しいでしょう。貴方の為ですもの」


 呟いて、イシュターはベッドに飛び乗った。

 小さな白い手で枕を叩く。


「さぁ横になって」

「……おお」


 黙って従った。


 目の前でイシュターが丸くなる。

 猫の顔が目の前。


 獣の瞳がアギを見る。



「でも、アギ。これは貴方が器である苦痛。夢は貴方の道しるべ。貴方の女神に至らせようとするもの。――だから、貴方が女神を得るまで、夢の苦痛は終わらないのです」

「……」

「せめて夢を操ります。貴方の心の負担になるから、何度も出来ませんけども、今夜ぐらいなら……」

「悪ィ」

「謝らないで下さいませ。――さぁ、おやすみなさい」


 イシュターの声に頷いた。

 瞳を閉じる。


 銀が揺れる。


「女神って、綺麗な銀髪だろ。殆ど白みたいな」

「えぇ、そうです。白銀、が近い色ですわね」

「やっぱり」


 訪れる夢の闇の中、アギは微笑んだ。

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