第45話 新たなる『花の姫君と狂犬王女』

「お前が部屋を出てこちらへ向かって来るのが分かったからな。

 今の私のはその辺りの事が簡単に分かってしまうだよ。

 だからメンテに入るのを待ってたんだよ」


 静はそんなカタリナの心を知ってか知らずか微笑みながらそう答えた。


 ああ……静姉さん、いつもと違う。


 カタリナは姉の言葉を聞き、表情を見てそう思った。そしてカタリナは、まだ完全には姉に対する心の壁を取り払うことが出来ていない自分を恥じた。


「あのね、静姉さん。私……」


 そう口にした次の瞬間、カタリナは静の許へ走り寄っていた。そしてその胸に飛び込んでしがみついた。涙が溢れて来た。嗚咽がこみ上げてきて押さえる事が出来なくなった。


 静は突然の事に驚いた顔に一瞬なった。しかし、手に持ったグラスをそっとテーブルに置くと優しい笑みを浮かべながら、そのカタリナの美しいブロンドの髪を撫でながら笑いながら言った。


「おいおい、どうしたカタリナ。

 いつものお前らしくもない」


「姉さんの意地悪。

 姉さんなら言わなくても分かってるくせに……」


 カタリナは静の胸に顔を押し付けながら小さな声でそう答えた。


「今まで悪かったな、カタリナ」


「やっと私、本当の姉さんに会えた……」


 カタリナが涙でくしゃくしゃになった顔を上げると、そこには柔らかい微笑みを浮かべた静の顔があった。その顔は今まで見た事もない程、穏やかで優しい顔だった。


 ああっ……私はこんなお姉さんが欲しかったんだ。


 カタリナの胸にまた熱い物がこみ上げて来た。するとその目から涙がぽろぽろとこぼれ出し止まらなくなった。


「今日のお前は本当に泣き虫だな。

 まるで幼子の様だ。

 そう言えば、お前、幼い頃は良く泣いてたっけ。

 あの時は可愛かった」


 静がそんなカタリナを見て懐かし気に言った。


「そりゃ、今までは憎まれ口ばかり叩く可愛くない妹でしたよ」


 少し頬を膨らませてそう言った後、カタリナは気が付いた。『良く泣いていた』……自分ではそんな記憶は全然ないのだ。血も涙もないなんて言う冷血では決してないが、少なくとも人前ではほとんど涙を見せた事はない。ましてや、ほんの少し前までは憎んでいた姉である。そんな姉の前で泣くなどと弱みを見せる事など考えられなかった。


「えっ……私が泣き虫ですって?」


「ああそうさ。

 幼い頃は今のお前の様に、私にしがみついて良く泣いてたよ」


 カタリナが静の胸に幼子の様にしがみついたまま静に尋ねると、静は昔を懐かしむ様な顔でそう答えた。


「とてもとても甘えん坊でな。

 それで私は思ったんだよ。

 このままじゃ、甘えん坊の頼りない姫になりそうだってね。

 そればかりか、私の秘密も誰かの口車に乗せられると、

 ぽろりと簡単に話してしまいそうだって。

 だから、私がお前の前では反面教師になる事にしたんだよ。

 案の定、物心が付き始めるとお前はどんどん勝気な姫に変わって行った」


「えっ、じゃあ、今まで姉さんの事を秘密にされ、

 姉さんがああいう風体を装ってたのって私の所為だったの?」


「全部が全部じゃないが、半分ほどはそうかな」


「そんなこと聞くとなんか複雑な心境……」


「まあ、結果的にはお前が国民から『花の姫君』って言われて、

 愛され尊敬される姫になれたんだから良いじゃないか」


「『花の姫君』の呼び名は元々は姉さんの物だったでしょ。

 そして当の姉さんはその為に『狂犬王女』なんて

 ありがたくない名前をもらっちゃって。

 やっぱりなんか納得できな」


 そう言ってまたカタリナは頬を膨らませた。


「私は別に良いのさ、それで。

 なんせ私はもう『人間ひと』じゃないからな。

 もうこの世には居ない『静』と言う姫君のフリをする機械。

 その中に残された『静』のこの国への想いが、

 妹であるお前を誰からも愛される立派な女王に育てると決めたのさ。

 それなら私に出来る精一杯の事をするまでだ。

 私の事などお前は気にする事ない。

 いや、むしろ、お前は国の為なら私を良い様に使いこなせば良い」


「そんな悲しいこと言わないで、姉さん」


 少し寂し気な表情を浮かべてそう言った静に、真剣な眼差しになってカタリナが言った。


「例えどんな体になろうとも姉さんは『人間ひと』よ。

 私の大切な姉さんに間違いない。

 世界中の人が全て姉さんの事を『機械』と言っても、

 私は最後まで、そう私が死ぬまで姉さんを『人間ひと』と叫び続ける。

 この気持ちはきっとお父様もお母様も変わらない」


 そう続けたカタリナの言葉はまるで魂が叫ぶような響きがあった。


「なんか、お前にそう言われるとくすぐったいな……」


 静はその胸にカタリナを抱きながら、少し照れくさそうに笑った。


「それに『花の姫君』の名はもともと姉さんの呼び名。

 私は今でも姉さんはそう呼ばれるに相応しい美しさと思ってる。

 その顔だってわざとでしょ。

 私、姉さんの本当の顔、実際に見た事ないの。

 ねぇ、姉さん、私に本当の姉さんの姿を見せて……」


 カタリナはそう言って、そっと静の胸から離れた。


「まったく、素直になった思ったら何を言い出すやら。

 まあ、良いか、今日は特別だからな」


 そう言って静は座ったまま、何かを念ずる様に目を閉じた。


 すると、静の顔の左半分にあった酷いケロイド状の火傷の痕と縫い傷が皮膚に吸い込まれる様に消えていった。同時に、バスローブの裾から見える腕や、合わせ目から艶めかしく覗く素足にあったケロイドや縫い傷も同じ様に消えて行く。


 そして静はゆっくりと目を開き、椅子から立ち上がった。


「姉さん、綺麗……。

 凛と咲く黒百合みたい……」


 カタリナはそう呟くなり、そこに立つ静の美しさに目を奪われた。そこ居た静は画像や動画に残るテロ前の姿からカタリナが想像していたより遥かに美しかったのだ。


「あんまりガン見するな、何か恥ずかしい」


 そんなカタリナを見て静がまるで乙女の様に頬を少し赤く染めた。


 するとカタリナは突然、静に走り寄りその胸に再び飛び込んだ。


「姉さん、今夜は甘えさせて。

 今まで甘えられなかった分とことん甘えさせて。

 そして、約束して。

 誰も居ない時は……二人だけの時は優しい本当の姉さんでいて」


 背の高い静の胸に顔を埋めてカタリナは小さくそう呟いた。その時のカタリナの声はまた涙声になっていた。


「ああ、良いよ、カタリナ。約束しよう」


「それから私にも姉さんの仕事手伝わせて……」


 静がそう答えるとカタリナは続けてそう呟いた。


「そうだな。

 それではお前には私が出来ぬ表の仕事をしてもらおうか。

 出来るか、カタリナ」


「大丈夫です、お姉さま。

 私、精いっぱい努力しますので色々教えてください」


 愛おしそうに胸に顔を埋めたカタリナの髪を撫でながら静がそう言うと、少しだけはっきりした声でカタリナはそう答えた。


 そして、この日からラマナスの『花の姫君と狂犬王女』の新しい関係が始まったのだ。

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