第42話 姫が手放した物とその代償

 マリアはそっと静に歩み寄りとその体をしっかりと抱き締めた。確かに静は年齢にしては長身な方だった。さらに今しがたまでの静は実際より大きく見えた。しかし、今こうして抱き締めてみるとその体は思っていたより遥かに小さかった。それは、まだ幼い少女そのものだった。


「今日から私の事は『母』と思ってください。

 人目のある時には出来なくても、

 こうして誰も他に居ない時には本当の母と思って甘えてください。

 一人ですべて抱え込むことはもうありませんよ、静……」


 最後にマリアが呼んだ『静』と言う響きは母が実の娘を呼ぶのと変わらぬ響きがあった。


 一呼吸の後、部屋に静の泣き声が響いた。それは、母を失って初めてその想いの全てを吐き出した少女の号泣そのものだった。


 この子は魂のない機械なんかじゃない。

 ましてや化け物などでは決してない。

 体の造りがどうあろうと人間ひとに違いない。

 どんなに恐ろしい力を持っていても、

 私にとっては、この子は10歳の可愛い私の娘。


 号泣する静を抱き締めながらマリアはそう確信し、静の母になる事を心に固く誓った。



 それからマリアとハインミュラー家は、王家との結婚とあって色々と準備等で忙しい日々を送り、気が付けば忍の一周忌を迎えた。


 静は忍の一周忌を悼む法要で、テロ後初めてその姿を国民の前に現した。長袖のロングドレスで体のほとんどは覆われて状態は分からなかったが、治療の為に短く切られた髪から除くその顔の左半分は醜い火傷の痕と縫い傷が痛々しい姿で残っていた。しかも、片手で杖を付き片足を引きずり歩く姿に国民は、曲がりなりにも五体満足である事を喜びながらも、そのあまりの痛々しい姿に涙を禁じ得なかった。国民の信望が厚かった忍の法要と重なり、その日はラマナス中が深い悲しみと涙の雨に覆われた。


 もちろん、それは静が綿密に計画した姿であり、実際の静はすでにその様な姿でいる必要のない体だった。


 静の演技はその姿だけに留まらなかった。


 この日、婚約を済ませていたマリアも法要に参加していた。婚約を済ませ婚礼も目の前ながら、まだ王室の人間ではないマリアは、来賓の上位として早い順番で一人祭壇に献花をした。その時、ラマナス王フレデリックとその娘静の前でお辞儀をしたマリアに対して、フレデリックは目を合わせ微笑み軽く会釈をして感謝の意を示した。しかし、あろうことか静はぷいっと横を向き頭を下げないばかりか、決して目を合わせ様としなかった。これを目ざとく見つけた一部のゴシップ系雑誌は、早速、静とマリアの不仲説をトップ記事に持って来たほどだった。


 忍の一周忌が終わり、マリアは晴れてフレデリックの妻、つまりラマナス海洋王国王妃となる事が出来き、盛大な式典が催される事になった。色々ないきさつやそれぞれが思う所もあったが、一応、国中の国民が新しい王妃の誕生を祝った。


 しかし、ここでも、やはり静はゴシップ系雑誌が喜ぶ様な態度を取った。マリアの王妃戴冠式やフィレデリックの再婚を祝う宴に静は出席はした。しかし、終始、憮然とした表情だった。そればかりか多くの者から周りの者に八つ当たりをする姿を見られていた。ご丁寧にも参加者がその様子をこっそり隠し撮りしたとされる画像までがマスコミに流出する始末だった。


 さらに、リハビリを終えて一年遅れで中学校に復学した静の良くない噂も流れ始める。


 学校の授業をサボり、見るからに素行の芳しくない者と一緒に居る姿を目撃されたりしたのだ。


 しかしながら、静自身の事を思うと多少生活が荒れても致し方ないと言う同情論も多く、静自身が表面上成績も良い為に誰も面と向かって静を非難する事はなかった。その為、静も最初は隠れて行っていた非行行為を、だんだんと隠すことなく大っぴらにする様になった。さらには、他人の目のある場所でも平然と、母であり王妃であるマリアを侮辱する事さえあった。


 その中にあって、マリアは決してそんな静に口答えすることなく、いつも『姫様』と言って静を立てていた。その姿がマスコミにもとらえられ報道される様になると、最初は色々言う者も多かったマリアに対する評判が一変して行った。マリアの評判が上がるのと対照的に、同情の余地はあるがそれでも一国の姫としては誰もが眉をひそめる静の日ごろの行いに国民の静に対する人望は日に日に下がっていった。



「静さん、これではあなたはどんどん悪者になってゆく。

 そりゃ、意図あっての事だとは分かっていますが、

 逆に聖女の様に祭り上げられる私はどうしても……」


 フレデリックの私室に、フレデリック、静、それにマリアの三人だけになった途端、マリアが悲痛な声でそう訴えた。


「すみません、義母おかあ様。

 優しい義母様に気苦労させることになって。

 でもこれはこの国にとって必要な言わば通過儀礼みたいな物ですから」


 静はそう言ってすまなさそうに笑った。


「でもね、静さん……」


「良いんだよ、マリア。

 静は今までと違うコネクションを作ろうとしているんだ。

 ただ単に国民からの評判を落としてるわけではないだよ」


 それで納得できなさそうなマリアに、フレデリックがブランデーグラスに口を付けながらそう言った。


「そうなんです。

 一見私は国民から評判を落としている様に見えますが、

 その一方でちょっと変わった人たちとのコネが出来つつあるのですよ」


 フレデリックの言葉を受けて静がそう説明した。


 つまりこれはこういう事だった。


 今まで静は一般人にも開放された学校に通って交流を持ってはいたが、それでも国の姫君とあって交友関係は限られた狭い範囲でしかなかった。ところが、今まで絵に描いたような上品で出来の良い姫君だったのが、あのテロを経てその姿だけでなく言動までも粗暴になりドロップアウトした静に、今までには考えられなかった種類の交友関係が出来始めていた。


 それは言うまでもなく不良と呼ばれた者たちだった。最初、それは静に近い上流階級と呼ばれる人たちの子女でありながら様々な理由でドロップアウトした者達だった。やがてその繋がりから今まででは決して接する事が出来ない者たちまでもとコネが出来始めていたのだ。そう言うドロップアウトした者達と、ラマナス王家の姫君である静が繋がりを持つと言う事は一般的には眉をひそめたくなることである。しかし、裏を返せば、そう言う言わば『裏社会』に王家の姫君が繋がる事で、ともすれば法の及ばぬ治外法権になりがちなその世界をも制御する事が可能になったのだ。


 実際に、静がドロップアウトしてその世界との繋がりを深めるに従って、ラマナスにもあった裏社会はその存在を確固たるものにする一方で、一般人を巻き込む様な事件等も減っていった。

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