第1話 フェラーリと姫君と鬼の噂

 かつて人々が夢想し、SF映画では盛んに用いられていた壁面に3Dの巨大な動画広告が浮かび上がるオフィスビル。このビル群、外からは動画広告が浮かび上がるが、中のオフィスからはいたって普通に巨大な窓通して真っ赤な夕日が沈む美しいベイエリアの光景が見えていた。


 電気自動車EVやら燃料電池自動車FCVが普及しただけでなく、航空機等も静音仕様が標準化したこの時代、ビルの騒音管理はもっぱら内部の部屋同士に向けられていた。その為、意外にも外からの音への対策は強固でない。その為、鳥の声や風の音、そして人々の命のきらめきを思い起こさせる適度な生活騒音は低層階ならビル内へ入って来る。もちろん、台風等で天候が荒れた時やパレード等で外の騒音が予想される時などは全自動で防音シャッターが随時下ろされる対策がなされてる。その場合も、防音化されたシャッターの内側にはあたかもそれが無いかの様に外の景色が映し出されるのだ。



 そんなインテリジェントビル街に突如、甲高い金管楽器の如き叫びがこだました。


 夕焼けに赤く染まるビルの谷間を美しいボディーを纏うスポーツカーが駆け抜けて行く。


 それはあまりに突然で、ビルに備え付けられた防音シャッターも対応し切れなかった。その爆音は、かなりの上層階にあるビル内のオフィスへも容赦なくなだれ込んで来た。それでも、誰一人、その爆音を立てるスポーツカーを特に気にする風もなく、ただ、少し呆れた様な、諦め切った様な笑みをその口元に浮かべるだけだった。


 それはビルの内の者だけでなく、道路脇の歩道を歩く者たちもほとんど同じだった。ただ、まだ幼い子供たちや、観光客らしき者たちだけが、茫然とした表情でそのスポーツカーが駆け抜けて行くのを目で追っていた。


 そのスポーツカーはフェラーリ365GTB/4。女性の綺麗に整えられ真っ赤なネイルを塗られた爪を思わせる流麗なボディー。生き残っている個体のほとんどが博物館の不動の展示物オブジェと化し、かろうじて動態保存されている個体もすべてが電動化、あるいは燃料電池化されてしまった中、オリジナルのままガソリンを使った内燃機関で動くこの個体は、この時代、文化遺産と言われる程貴重な物だった。今のご時世、二酸化炭素と排ガス、さらには騒音をまき散らしながら走るこの様な車は、本来なら公道を走る事などご法度なのだ。しかしながら、この車はそのオーナーがオーナー故に唯一この国内でのみ公道を走る事を許されていた。そしてこの車には、その証である紋章がボンネットの右先端とボディーの最後尾に描かれたいた。


 やがて、街中を抜けたその車は、そのまま王宮が建つ丘の上へと駆け上がって行った。



 こちらに真っ直ぐ近づいて来る金管楽器の叫びにも似たその爆音を聞いた王宮の門番は、慌てて門を開けるスイッチを叩いた。


 まるで本物の蔦と花を思わせるほど美しく精緻な装飾を施された鉄の門が完全に開き切る前に、その美しいビンテージフェラーリはゆっくり開いてゆく門の間をスピードを落とす事なく走り抜けて行った。


 開いた左側の窓から黒いハーフグローブをした手がひらひらと振られるのを、門番の男は半ば呆れ顔で見ながらその走り去る後姿に深々と頭を下げた。



「……と言う事で、今回の現場でもやはり『鬼』の目撃情報があります」


 決して華美ではないが適度に節制のある美しさと優雅さを持った広々した王宮の一室。


 そこにある壁の一部が3D化するTVから美人ではあるが仏頂面のニュースキャスターがそう告げた。


「まったく、このご時世、よりにもよってこの国で『鬼』などとは馬鹿らしい」


 高校の制服から普段着に着替えたこの国の王女『カタリナ=ラマナス』は、そう言ってテーブルに置かれたリモコンを手に取りTVのスイッチを切った。


 王宮に住まう一国の王女とは言え、カタリナの普段着はドレスなどではない。とは言っても一般庶民の女子高生が普段着ている物とは違い、鮮やかなブルーのリボンタイが付いた清楚な白いブラウスに濃紺のプリーツスカートと言う典型的なお嬢様スタイルだった。



 カタリナは城下の市街にある小中高一貫校の高校二年生クラスに在学していた。もちろん、小中高一貫校という特殊な学校ではあるが、王族など特別な人間専用の高校ではなく、その門戸は広く一般人にも開かれている。最初の入試はもちろん、中高初等科での編入試験においても、その試験にさえ通れば誰でも入学できる。成績いかんによっては、財政的に苦しい家計でも特待生として無償で就学する事も可能であった。もっとも、それでも王族の通う学校である以上、この学校でも学業成績以外にも表には出ない何らかの審査が行われている事は公然の秘密である。


 そしてカタリナはこの国で唯一無二の王位継承権を持つ王女である。長く艶やかなプラチナブロンドの髪にエメラルドの様な緑色の瞳を持つ、まるで人形の様に美しいその外見。そして、いつも笑みを湛えた優し気な雰囲気。学校での成績も常にトップを争う程で、運動や美術系の授業ですら他の生徒に後れを取る事はなかった。それ故、国民の絶大かつ圧倒的な支持を一身に集めていた。



「それに……鬼なら前から一人、この王宮に住みついてるわよ……」


 カタリナはリモコンをソファーの上に放り投げながら、いつもの優し気な表情からは想像も出来ない程苦々しい表情でそう呟いた。



 『鬼』……それはかなり以前から、この国で噂になっている存在だった。この国で起こる色々な事件において、その現場や周辺で必ず『鬼』と称されるモノを見たと言う者が現れるのだ。もちろん、公式にはその様な存在は否定されている。多くは、特殊なヘルメットやプロテクターを装備した警察や軍の特殊部隊がその様に見えたのだろうと言われる。ちなみにその『鬼』の姿は、往々にしてこの様に証言される事が多い。


『銀色に輝く長い髪と体。

 全身に青く輝く刺青。

 頭に二本の長い角。

 それはまさに白銀の鬼』


 ちなみに、カタリナの呟いた鬼と言うのは、当然この鬼とは違う。彼女の言うその鬼は、実際にこの王宮に居たのだ。

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