日記
日記は素晴らしい。日常の日々が切り取られるからだ。その時代の空気を知ることができる。目を背けたくなる現実でも。アンネの日記がそうだ。何時でもあの時代のドイツの空気を知れる。二度と作ってはいけないと誓う。
日々愛読しているのは「壇蜜日記」だ。心がぐっと震えたところまで読んで寝る。幸せな夜を過ごせる。
2015/2/15 晴れ 久しぶりにタクシーに乗る。「久しぶり」と言わなくては贅沢していると勘違いされそうだからと直感で悟り前置きに使う辺り我ながら姑息な奴だと思う。しかし久しぶりだったのは事実だが。ドライバーさんは秋田から一昨年上京したばかりの男性だった。年のころは私よりいくらか若いくらいだろうか。なまりが少し練り込まれた話し方をするので何となく東北の香りはしていたのだが、上京したてとは。色んな所に行けて接客ができる仕事は何かと考えた結果選んだのがタクシードライバーだったとのこと。志望動機がシンプルだったので立ち寄ったコンビニでカフェオレを買い差し入れた。シンプルで賞。
「壇蜜日記2」
なんて素敵な心の動き。実に素晴らしい「平凡な」日常。非凡だ。
わたしも「テケテケ日記」や「忘却のかなた」に日記を書いたり、振り返り加筆している。
スピンオフは短編にもなる。その時代の自分の気持ちを思い出せる。どう生きてきたかは膨大な現実から掬い取らねば忘却の彼方だ。自分の方ではなく彼の方に行ってしまう。とりあえず自分の方にとどめねば。日記を書けば記憶はできる。後は思い出にする作業を怠らないかだ。
「ともに」
わたしは婆ちゃん子だ。
両親がお店をやっていたせいで祖母と二人で過ごすことが多かった。
風呂好きの祖母は私を一緒に入れてその日あったことを話させた。物売りの子といじめられることも多かった私だが、めそめそする私に祖母は言った。
物売りの何が悪い!お前の父ちゃん母ちゃんは自分の作ったもので人様を幸せにしてんだ。そんな子は悪態売って品性の卑しさを買い込んでるのさ。ほら顔をおあげ。
そう言ってわたしの頬をしわくちゃな手で撫でた。婆ちゃんの手は私のもやもやを拭い去り,心のあかも落としてくれた。
そんな婆ちゃんが亡くなって何年も経つ。最後の方は意識が混濁し,私のこともわからないようだった。しかし,亡くなる日の朝だけはシャンとして,理沙,婆ちゃんはいなくなってもおまえのそばにいつもいるよと言った。そのときは小さかったので何かのたとえかなぐらいに思った。
でも勤め人になった今,婆ちゃんは本当のことを言ったのだとしみじみ思う。
続きはテケテケものがたりですぐに出てくるはずです。気になる方は
https://estar.jp/_work_viewer?p=2&page=2&w=25004502&ws=0
でどうぞ。現在・過去に寄り添い未来を窺う。このまま行ったらどうなるのか、大変かもってね。
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