反比例するパワー

「ひーたん」


 萱場も日奈も驚愕した。


『ゆかりフォーメーション』を日奈が発案したあの日には布団の上でイモムシのようにごろごろしていただけのこの子が、はっきりと喋っている。


 空港に迎えに出た萱場と日奈の前に、ゆかりがヨタヨタと歩きながら倒れこむようにして出てくる。

 咄嗟に日奈が受け止める。


「『ひーたん』って、もしかしてわたしのこと?」

「そうよ。オウムに教えるみたいにわたしが毎日毎日聞かせてたの」


 妙子はスーツケースに手をついてにこっと笑った。


「驚いたな。いつ喋れるようになったんだ」

「泰助さんと日奈ちゃんが出発してからすぐよ。ほら、お父さんにも」


 妙子が促すと、ゆかりは萱場の顔ににこっと向き直り、


「おーたん」


 とはしゃぎながらまたもやダイブするように彼の胸に倒れこんできた。


 萱場は特に何も言わないが、滋味溢れる表情でゆかりの頭を何度も撫でた。


 ちょうど萱場と日奈の初戦の前日。

 思いがけずゆかりもふたりの戦いに参戦することとなった。


「よく準備が間に合ったな」

「総務の林さんが本当によくしてくださって。色んな手続きも引き受けてくださったの」

「林君が。頭が上がらんな」


 助手席に乗る妙子とハンドルを握る萱場は夫婦の久しぶりの再会に会話が弾む。後部座席ではチャイルドシートに座るゆかりと、チャイルドシートなしで隣に座る日奈が小鳥のようにさえずり合っている。


 車でホテルに向かう途中、翌日の戦場となるメインアリーナの前を通りかかった。


「あ、泰助さん。わがまま言ってもいい?」

「ん? なんだ」

「オリンピック会場、見てみたいの」


 妙子のリクエストで駐車場に車を止め、I.D.カードを見せて4人はアリーナに入った。

 中では翌日から始まるバドミントンの男女ダブルス、そして混合ダブルスのためにスタッフが入念に床を磨き上げているところだった。


 観客席からコートを見下ろす。


「明日、日奈ちゃんと泰助さんはあそこに立つのね」

「はい。もー、感無量ですよ」

「雰囲気に飲まれるなよ」

「タイスケさんこそ。妙子さん、聞いてくださいよ。タイスケさんたら柄にもなく・・・」

「ええ。知ってるのよ」

「え」

「日奈ちゃん。わたしも彼の『パートナー』だから。いいことも悪いことも、泰助さんの強い面も弱い面も」

「そうなんですか・・・参りました!」

「えっ?」

「いやー。もしかしてあの瞬間はわたしの方がタイスケさんのこと理解できたかもって思ったんですけど。やっぱり妙子さんにはかなわないなあ」

「日奈ちゃん」

「はい」

「ありがとう。泰助さんの支えになってくれて」


 妙子はスカートの前で手のひらを重ね、深くお辞儀をした。


「ちょ。妙子さん、やめてください」

「いいえ。日奈ちゃん。あなたは立派な大人の女性。しっかりと萱場という男を助けてくれたわ」

「背はちびっこですけどね」

「ひーたん!」

「わ! ゆかりちゃん、なに?」


 ゆかりは日奈の膝の辺りで両足にぎゅーっ、と抱きつく。ものすごい力に日奈ですらたじろいだ。


「ふふ。日奈ちゃん、抱っこしてやって」


 妙子にそう言われ、日奈はゆかりを抱え上げる。


「よ・・・と。重っ!」


 抱き直してしっかりと抱えるとゆかりは今度は日奈のうなじにぎゅーっと抱きついてきた。


「ひーたんひーたん」

「わかったわかった。よーし。ならばゆかりちゃんの前でも宣言するよ」


 日奈はくるっと顔をコートの方に向け、大きな声を出した。


「明日は勝つ!」

「かっ!」

「勝ーつ!」

「かーっ!」


 2人のちっこい体に反比例するかのような気合いが広々したアリーナに充満する。

 日奈とゆかりの鬨の声にスタッフさんたちが一斉に観客席を見た。


「あ。ごめんなさーい。ソーリーっ!」

「適当なやつだ」


 ケラケラと4人して笑う。


 そして、明日、4人でコートに立つ。

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