第12話

 ニナ。それは都市伝説のような存在。


 一年ほど前からこの地区に舞い降りた連続殺人鬼。


 被害者たちは性別や社会的地位に関係なく、ある意味で平等に殺されていた。


 ただし、今のところ小さな子供が被害にあったという報告はない。


 犯行には必ず鋭利な刃物が使用されていること以外は何の特徴も計画性も動機も見られず、ただ殺すことが目的の殺害が繰り返されていた。


 これを快楽殺人、無秩序型殺人と呼ぶらしい。


 ニナと呼ばれる理由には諸説あるけれど、事件発生初期のころに流行っていた海外ドラマにニナという名前の正体不明の殺人鬼が登場していて、どこかの誰かが面白半分で、この事件も実はニナの仕業ではないのかと言い出したことがそのまま浸透していったというのが、もっとも有力な説だ。


 警察もただ手をこまねいているわけではなく、日夜捜査に尽力しているのは夕方以降、街のいたるところに配置されている尋常ではない数の警察官の姿を見ればわかる。


 それでもニナが捕まる気配はなく、毎月平均二人は街のどこかで誰かが殺されていた。


 ニナに関する情報提供は毎日のようにどういうわけか全国から送られてきていて、その投書は地元新聞社のホームページで見ることができる。


 数ヶ月前になんとなくそのページを見てみると、どれも推理小説やサスペンスドラマの見すぎといった内容だった。


 でもその中で一つだけひっかかる投稿が目に飛び込んできた。


 それは、ニナの正体は同じ地区の高校に通う女子生徒ではないかというものだった。


 理由はその当時、最新の被害者だった男性医師が、殺害される数時間前にうちの学校の女子生徒と楽しそうに会話をしていたから、というものだった。


 その時は親子か親戚と思ったらしいのだが、殺害された男性が身寄りのない独り身と報道されていたのを見て、驚いて投書したのだとあった。


 僕が今になってこの説を信じるに至ったのいは、その投書の犯人像にこうあったからだ。


『ニナの特長、同地区の高校に通う女子生徒。遠目だったけどかなりかわいい子だったと思います。あと、今流行ってるウマアザラシのヌイグルミを持っていました。あそこに凶器を隠していたのではないでしょうか』


 この学校は校則が厳しく、抜き打ちの持ち物検査を定期的に行っている。


 校則違反のものは即座に没収され、場合によっては焼却炉に入れられたりもする。


 この厳しさには生徒はもちろん保護者からもかなり反発があったようだが、最近ではむしろ生徒たちの規則正しさに貢献していると、前向きに捉えられているらしい。


 そして僕の知る限り、この学校はヌイグルミの持ち込みを許してはいない。


 だけど生徒会長なら、何かもっともらしい理由をつけてそれを持ち込むことは可能だろう。


 現に、ここにウマアザラシのヌイグルミが一体、鎮座している。


 自分でもバカみたいだとは思う。


 生徒会長が快楽殺人鬼で目の前のヌイグルミの中に凶器が入っているなんて。


 でも、彼女が他人の苦しみを楽しんでいるのは確かで、現に一人の生徒を殺害し、そしてここにはヌイグルミが一つ。


 僕はこの生徒会室で起きた数々の惨事を目のあたりにしながらも鳴き声一つあげなかった勇敢な、もしくは臆病なウマアザラシに近づき、持ち上げてみた。


 馬の顔とアザラシの体を持つヌイグルミの中に何かが詰められている重さは感じるけれど、それがクッション材なのか別の何かなのかはまだわからない。


 背中にファスナーがあり、僕はそれをゆっくりと広げた。


 そんなはずはない。バカな妄想だ。これはただのヌイグルミでそれ以上の意味はない。


 そう強く祈った。


 それなのに、どうしてだろう。


 いつもいつも未来に向けた明るい希望は打ち砕かれてばかりなのに、どうして悪い予感だけは予言者のように的中してしまうのだろう。


 ヌイグルミの中に──ナイフが入っている。


 ただのナイフではない。刃が長く太く重い、小動物の体なら難なく貫けそうな一振ひとふり。


 狼がお腹の中に石を詰められてしまうおとぎ話のタイトルは何だったかな。そんな現実逃避がはじまる。


 これで確定してしまった。


 生徒会長の正体はニナ。


 己の快楽のために人の命を奪うもの。


 おそらく彼女の今日の標的は僕だったのだろう。


 それがちょっと遠回りして先に親友をあやめてしまったのだろう。


 リレーのバトンをわたされるみたいに、次は僕の番なのだろう。


 でも、どうして殺した?


 快楽殺人鬼になぜ人を殺すのかと訊ねるのは、モグラになんで穴を掘るのかと訊ねるくらい意味のない愚問に思えた。


「どうしたの?」


 いつの間にか背後に生徒会長が。


 僕はまぬけな声を上げて、距離をとる。少し移動しただけで、体のあちこちを部屋のあちこちにぶつけてしまった。


「何? どうしたの?」


 彼女はじりじりと近寄ってくる。


 同じ極の磁石を近づけるみたいに、彼女が近づいたぶんだけ僕は離れていく。


「どうしたの? 具合でも悪いの?」


 ええ、あなたのせいで。


 生徒会長は心配そうな表情でまた一歩、僕に近づく。


「くるな!」僕は叫んだ。


 彼女はびくっと肩を揺らした。


「ど、どうしたの?」


「それ以上近づくな」


「よくわからないけど……わかったから」


 困惑した表情で彼女は敵意がないことを主張するためか、小さく両手をあげた。


 僕は問う。「僕も殺すのか?」


 彼女は首をかしげる。「何のこと?」


「そういう芝居はいいよ。きみの正体はわかってる」


「私の正体って?」


 僕は決意して口にした。


「きみは──ニナなんだろ?」


 生徒会長は怪訝な表情になる。それが何を意味するのかはまだわからない。


「ニナって、あの連続殺人犯の? 私が?」


 僕はうなずいた。


「きみ今、けっこうひどいこと言ってるよ?」


「でもそうなんだろ?」


 しっかりと目を見つめて言った。


 うーんっと彼女は困ったように笑う。天井を見つめたかと思えばすぐに視線を下げて床に目をやると、ぷうっと頬をふくらませて、そこからふうっと息を吐いた。


 それから凛とした瞳でまっすぐに僕を捉えた。


「いつから気づいてたの?」と冷酷な声。


 魔王が正体を現わした。


「ゲームをはじめて少し経ってから。あなたは明らかに様子が変だったし、それに……」


「それに?」


 僕は黙って床の一部に敷かれているオレンジ色の絨毯を見つめた。


 その下には剣崎咲希が眠っている。


「なるほどね」彼女は納得したように大きくうなずいた。「確かにあそこまで堂々とやっちゃうと自分で正体ばらしてるようなものよね」


 ついに認めた。


「それで、どうするんですか?」


「何が?」


「僕のことも、その……殺すのか?」


 正体不明の殺人鬼の正体を明かしてしまったのだ。生かしてくれるなんて考えるだけ無駄だろう。


「逆に質問させて」彼女は笑顔でこう訊ねてきた。「どうやって死にたい?」


 体内に流れる血液の一滴一滴におもりをつけられたような、そんな感覚だった。


 夕方六時過ぎ。外はまだなんとか明るく、僕は彼女より部屋の出入り口の近くにいる。


 戦うという選択肢を選ぶほど僕は勇者ではない。


 おそらく彼女は僕よりも強いだろう。


 逃げるしかない。


「無理よ」殺人鬼は笑う。「逃げられるかもなんて思ってるのかもしれないけど、それは無理。極限状態で追われる人間は呼吸が乱れ、身体機能が麻痺して、自分の思い通りに体を動かすことができなくなるの」


 過去にそんな人間を何人も見てきたかのような、熟練者の言葉だった。


「逃げたければ逃げていいのよ。すぐに捕まえてあげるから」


 彼女は僕に微笑みかけてきた。その顔に一瞬見とれてしまった自分がなさけない。


 今さら何を思っても後の祭りだが、バカなことをしたと思う。


 殺人鬼の正体を明かして、それを本人しかいない場所で公表して何になるというのだろう。


 殺して下さいと哀願しているようなものだ。


 どうやらここで僕は終わるらしい。


 でも、それもいいかもしれないなと思った。


 ありあまる栄光を手に入れて、今の僕はその絶頂にいる。


 ここで終わりを迎えれば、その死に価値が生まれる。


 いつだったか、そんなことを望んだ過去もある。


 僕は言った。


「できるだけ苦しまずに死にたい」


 彼女はうなずいた。


 一歩一歩、殺人鬼が歩み寄ってくる。そして僕の目の前でとまった。


「一つだけ言っておきたいことがあるの」


「……なに?」


 すうっと息を吸う音が聞こえた。


 それから彼女はぐいっと顔を寄せてこう言った。


「ハズレ!」


「…………」


 言葉に、困った。


「ハズレです」とても可愛らしい声だった。「残念でした」


「えっと、ごめん。何がハズレたの?」


 懸賞に応募したり、クジを引いたりした記憶はない。


「私はニナなんかじゃありません」


「え? そうなの?」


 ひどく呆気あっけにとられてしまう。


「ひどい男の子だね、きみは。私をそんな目で見てたなんて」


 そう言って唇を尖らせる。カメラを構えていなかったことを悔やむ愛らしさだ。


「え、だって、でも……」


 自分でも何がなんだかわからなくなってきた。


 彼女は一歩前に出て人さし指を僕の鼻先にふれるギリギリまで近づけてきた。


「そもそもなんで私をニナだなんて思ったの? 何か決定的な証拠を見つけた雰囲気だったけど、ちゃんと全部教えなさい」


「えっと、それは……」


 無意識にウマアザラシを見てしまい、その視線を彼女に追われてしまった。

「このヌイグルミがどうかしたの?」


「その中に凶器が──」


 またしても僕は迂闊うかつだった。


 彼女がニナでない証拠など、どこにもない。


 むしろ彼女が演技をしている可能性のほうが高い。


 敵に塩どころか武器を送ってしまった。


 彼女はファスナーの中からナイフを取りだした。


「武器ってこれのこと?」


 僕は小さくうなずいて肯定した。


 彼女は首をかしげて、それを机の上に置いた。


 それからまたヌイグルミの中に手を入れて何か取りだして机の上に置いた。


 それはコンパスだった。


 次に分度器が出てきた。


 ハサミが出てきた。


 シャープペンと消しゴムも出てきた。


 このままずっと見ていたら鳩と万国旗も出てくるかもしれない。そんなバカな期待が当たるはずもなく、それ以降は何も出てこなかった。


 生徒会長は、こほんと咳払いを一つして、僕に言う。


「きみに特別にニナの正体を教えてあげるよ」


「えっ、誰なんですか?」


 彼女は言った。「先入観だよ」


「先入観、ですか?」


「そう」彼女はうなずく。


 先入観で人が殺せる時代になっていたとは知らなかった。


「連続殺人鬼の正体がうちの学校の女子生徒でヌイグルミを持ち歩いてるなんて報告は毎日のように私の元に届いてるのよ。仮に私が犯人だったら、少なくとも誰かの目の届く範囲にヌイグルミは置かないわね」


「…………」


 確かにそうだ。


 そういえば彼女は生徒会長だった。


 この学校に関するありとあらゆる憶測を耳目にする機会は僕の比ではないだろう。


「殺人鬼は凶器に刃物を使っている。その凶器はヌイグルミに入れていて、犯人はこの学校の女子。真偽もはっきりしない情報を元にナイフの入ったヌイグルミを見て、その近くにいた女子を犯人に仕立て上げた。その先入観こそがきみの中の殺人鬼だよ」


「…………」


 返す言葉もない。おっしゃるとおりだ。でも、納得できない点が消えたわけじゃない。


「会長を犯人呼ばわりしたことは謝罪します。すみませんでした。でもそのヌイグルミが犯人への手がかりだという線は消えてませんよ」


「どうして?」


「ナイフが入っていたことに変わりありません。つまり、そのヌイグルミの持ち主が──」


 言葉の途中でため息をつかれてしまった。


「やっぱりわかってないなあ」


「何がですか?」


「このヌイグルミに入っていたのは、ナイフだけじゃないでしょ。分度器や消しゴムだって入ってたのよ?」


「カモフラージュという可能性も十分考えられます」


「ありえない」


「なぜ断言できるんです?」


「このヌイグルミに持ち主はいないからよ」


「え?」


「一年生の女の子たちが家庭科の授業で、地元の幼稚園児たちにプレゼントする通園カバンなのよこれ。問題がないか試作品としてここに一つ置いてあるだけ。中身まで入っているなんて知らなかったけど、だからといってこれが殺人の道具として使われてるだなんて色々と飛躍しすぎてる」


 生徒会長は分厚い刃物を掴んで、それを見つめた。


「このナイフは確かに危ないけど、美術部が学園祭で展示予定のオブジェクトに使うパーツの一つにこれと同じものがあった気がするわ。美術部の誰かが落としたものを、誰かがこの中に入れたんじゃないかしら。そもそもきみの推論はうちの学校の女子が殺人犯っていう一番ありえない仮定が前提になってるもの」


 言いながら彼女はヌイグルミに筆記用具たちを戻してファスナーを閉めた。


「…………」


 今度こそ本当に返す言葉がない。


 ただしそれは、生徒会長がおそらくニナではないと証明したにすぎない。


「確かに僕は見えない何かと戦っていたみたいです。だから今度は実際に見えているものだけを見ていきたいと思います」


「どういうことかしら」


「あなたが殺人鬼でないにしろ、剣崎を殺害したことに変わりはありません。お願いです。今すぐ警察に連絡を。もちろん僕も自分の責任から逃げるつもりはありません」


 彼女はまた、ため息をついた。今度はさっきより大袈裟に。


「やっぱりきみはわかってくれてないなあ」


「何がです?」


「でもきみは一ついいことを言ってくれたよ。自分の責任から逃げるつもりはないって言ってくれたよね」


「はい」うなずいた。


「だったらゲーム再開だよ」


 スマートフォンを取り出した。


「咲希ちゃん──戦士が倒れたのはゲームでのできごとだよ。だったら早くゲームをクリアして解放してあげないとね」


 何を言ってるんだ、この人は。


 クリアと同時に剣崎が蘇るとでも言いたいのだろうか。


「きみが私に警察に行けというならそうする。それ以外にも私に言いたいことがあるなら聞いてあげる。でもそれは──」


 そこまで言ってスマートフォンを僕の目の高さまで持ち上げた。


「──ゲームをクリアしてから、だと」


 彼女は微笑んだ。


 意味がわからない。


 目的の見えない行動ほど恐ろしいものはない。


 正直なところ、彼女にはニナであってほしかったとさえ思う。


 快楽という明確な目的をもって犯行に及ぶわかりやすい悪であってほしかった。


 彼女の闇はまるで見えない。


 それこそまるで、魔王のように。

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