2話 花盛りの娘達(中編)
街はすでに祭りの喧噪に包まれていた。道沿いのアンズの樹には白い花が揺れ、家々の窓辺は思い思いの花々が飾られている。
「いらっしゃいませー! 美味しい特製パイはいかがですかー?」
「ちょっと味見してみてくださーい」
そんな道端に立った売り子の俺達はピカイチのスマイルで通行人に声をかける。ソフィーが小さく切ったパイを勧めると人々は頬を緩めてつまんでくれる。味に納得したのか、それとも気を遣ってかそうした大体の人が買ってくれている。ソフィーによる試食販売は俺の入れ知恵だ。
「いい調子だね、リタさん」
「こりゃ追加で作ってもいいかもねぇ」
「ダメだよリタさん。そんな事したらラウラの出番に間に合わなくなっちゃうよ」
臨時収入はおいしいけれど、そこまでの犠牲はちょっと。早くからハイスピードで売りさばいているのもこの後の人員減を補う為だ。リタさんがここで頑張っちゃたら本末転倒だ。さて、喉も渇いたしちょっとお茶でも飲んでこよう。
「あと何度、こいつが食べられるかな」
「そういう事を言うのは験が悪いんだぜ。なぁマクシミリアン」
「……知らんな。お前はこだわり過ぎじゃないか」
中の食堂では今年も屋内待機の父さんとお客のヘルマンにゲルハルトが朝食がわりにパイをつまんでいた。今日は厨房が総出で表に出ているのでオプションの卵が出せないからとパイを提供したらヘルマンさんは意外と喜んでいた。この間もクッキーを食べていたし案外甘い物が好きなのかもしれない。
緊張感の無い宿の食堂とは打って変わって表の馬車通りはあっちもこっちもパイの屋台が出て売り子の声が飛び交っている。祭りのこの日ばかりはお咎め無しだ。もちろんお隣の『剣と穂先亭』も小机を出してパイを並べてある。
「ウェーバーのおばさん! お茶を淹れたんですけどいかがですか?」
「おや、ルカ。ありがたいね。喉がガラガラになっちまったよ」
それは元々な気がするけど……とは口に出さずにカップを手渡す。ちょっと一息小休憩。去年は午後からぶっ通しで売っていたからへばりそうになってしまった。
「ルカ、うちのパイを食べてごらんよ」
「あ、じゃあうちのもどうぞ」
俺達はお互いのパイを交換する。ウエーバーのおばさんも料理上手だ。最初に貰ったイチジクのケーキはおいしかったなぁ。あれがなければ母さんの料理に疑問を持たなかったかもしれない……。
「うん、いい出来じゃないか」
「ウェーバーさんのところは砂糖煮がとろとろですね」
「煮てから漉してあるのさ。うちは代々こう作ってるんだよ」
「へぇ……」
旅人が多いから、売り物がほとんどだけどそれぞれちょっとずつ味が違う。毎年、お気に入りの店のパイをめがけて出かける人もいる。うちはまだまだ新規参入だから頑張らないとな。
「……うちの息子もこれが好きでね」
「そういえば、遠くの街にいるって」
「ああ。こんな時くらい帰って来ればいいのに親不孝な事だよ」
ウェーバーのおばさんはちょっと寂しそうにそう言うと、お茶をぐっと飲み干した。
「ありがとね、ルカ。さて今日はまだまだがんばらないと」
「そうですね。よーし、戻るかぁ」
俺もグッと背伸びをすると売り場に戻った。もうちょっとしたらリタさんと俺は一旦抜けて市場に向かう。そこからパレードを眺める予定だ。
「リタさん、そろそろ上がってください。ルカももういいわよ」
「え、もうそんな時間?」
戻るなり母さんにそう言われた。まだ先だと思ったんだけど、って言っても正確な時計なんて無いから太陽の高さと教会の鐘の音頼りなのだが。
「ソフィーのおかげで売れ行きも順調だからな。ルカ、いい手を考えたな」
ポンポンとソフィーの頭を叩きながら、ユッテがにやりと笑った。
「ソフィーがんばったよー」
「そうだ、ソフィーも行かなくていいのか?」
「ラウラおねえちゃんとディアナおねぇちゃんなら学校でもいしょうをきてたの」
もう見たって訳ね……ラウラ、相当はしゃいでいるな。これは見逃したらへそを曲げてしまうに違いない。クッションの件ではお世話になったし。
「じゃあ、リタさん行きましょうか」
「悪いねぇ、じゃあ失礼いたします」
俺とリタさんはそのまま連れだって市場へと向かう。いつも以上の人混みの中、リタさんの赤い髪を見失わないように必死だ。体が小さいとこういう時厄介だ。
「おやおや、ほらルカ君。手を繋ごう」
「う……はい……」
母さんや父さんににやられる分には抵抗はないんだけど、なんだかなぁ。しかしこのままだと迷子が確実なのできゅっとリタさんの手をとる。
歩を進めると広場の噴水が見えてくる。去年はあの辺に……あ、やっぱり居た。緑の衣装に嘘みたいな大きな羽根の帽子。ところが、去年のようなひとだかりは出来ていない。
「アルベールさん! レリオさん!」
曲の終わったタイミングで俺は二人に話しかけた。
「おや……ルカ君とリタさん」
「先日はお世話になりました」
レリオがぺこりと頭を下げる。アルベールは……どっか上の空だ。
「アルベールさん、どっか具合でも悪いの?」
「それが姉が今朝から産気づいて、今産婆さんがついているんです」
「ひどいんですよ! 居ても邪魔だから仕事行ってこいだなんて」
あー、それで呼び込みが甘くて客が少ないのか。
「そりゃそうだねぇ。それに子供を産むってのは死にものぐるいなもんさ。見られたくないんだろうよ」
さすがリタさん。経験者の言葉は重い。リタさんはアルベールの前に置かれたおひねりの箱を指さす。
「それより今日は稼ぎ時だろ?」
「そうだよ、びしっと稼がなきゃ。パパになるんだから!」
発破をかけたリタさんに便乗して、ふぬけたアルベールの背中をばしんと叩く。子供に心配かけちゃいけないぞ。俺というかルカは本気で生活の心配したからな……。
「パパ……そうですね、がんばらないと……」
アルベールがようやくしゃんとした顔になったのを見届けて、俺とリタさんは山盛りの花で飾られた山車を目指して歩き出した。
振り返るとレリオが深々と俺達に頭を下げていた。レリオはなんだか苦労性の気があるな。やれやれ。
噴水の向こう側には屋根から側面からびっしりと花で飾られた山車が待機している。その横には全部で10人の女の子が整列して並んでいる。その内の二人はラウラとディアナだ。薄桃色の衣装に身を包んだラウラと薄青の衣装のディアナ。他の子達もパステルカラーのフリルの沢山ついたドレスを着て、そわそわしながら待機している。
「あ! お母ちゃん、ルカ君。よかったー、来てくれたのね」
「ルカ君、おうちは大丈夫?」
二人はうっすらとおしろいをはたいて、口元には紅をさしている。そうしているとちょっと大人っぽく見えて俺は、ちょっとだけ目をそらした。
「うちは大丈夫だよ。ちょっと早めに来れたくらいだし」
「ほら見て、花びらがこんなにいっぱい」
ラウラの差し出したバスケットにはこんもりと色とりどりの花びらが積もっている。山車を引きつつ、この花びらをまいて歩くのが花娘だ。
「なんで花をまくんだろう?」
「神様にちゃんと春が来たのをお知らせするのが私達の役目だって教会で言われたわよ」
「へー……」
生活に密着しているのと俺の日本人ならではの無頓着な宗教観で、ろくに宗教の事は調べていないな。図書館で処刑された人の話をあの司書さんから聞いたけど、よっぽど過激な事を言わなきゃ大丈夫だろうか。今の所は神様仏様の感覚でやっているけど……とくに問題は起こっていない。
「それでも……まぁ、気を付けるにこしたことはないか……」
「ルカ君?」
「あ、いやいや。その……よく似合ってるよ」
「本当? ありがとう!」
ラウラがそう言いながら、たっぷりの生地を使ったスカートを広げる。ふちにあしらったレースが揺れた。これを学校で見せて回ったのか。実際、明るいラウラの表情と髪の色に良く似合っていた。
「ディアナも似合っているね。色は自分で決めるの?」
「そうよ。私、青が好きだから……」
華やかなラウラと対照的にディアナは清楚で大人しい印象だった。ドレスのデザインもちょっと違う。
「山車が出るぞー!」
「あっ、もう行かなきゃ。二人ともよーく見ててね!」
ゆっくりと山車が前へと進む。太鼓とラッパが鳴り響き、花娘達のまく花びらが宙を舞った。さぁ、パレードの始まりだ。
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