第3話1章 娼館「ダーク・ミクスチャー」2
ドアノッカーを叩いたものの、その向こうからは何の応答もない。
営業時間よりかなり前の訪問であるのだから、普通の飲食店であれば従業員が店にいないのは普通だが、ここは普通の娼館ではない。それに、自分が以前使用した時は
「住み込みで働いている」
と言うバケモノが何体かいた。保健所を出発する前にネイザーにそのことを伝えていた(もちろん自分が使用したとは言わないが)ので、
「住み込みの従業員がいるって情報はあるし、15分後にもう一度ノックしてみましょう。それで誰も出なかったらリンカさんに頼んで営業者に強制テレパスするしかないわね」
今後の対応はひとまず待ってみる、ということで決定した。二人でドアの横の壁に寄りかかり、雑談を始めることにした。
「わかりました。でも強制テレパスは頼まないでおきたいですよね、依頼文と申請書作るの面倒だし」
「なんであの作業、事務にやらせないのかしら。依頼文とか作るのに何か専門知識が必要ならわかるけど」
魔法を使用できない職員が強制テレパスを行う必要がある場合、「テレパス技師」が所属している保健所総務課魔法通信係に依頼・申請をする、という決まりになっている。この申請書というのがかなり面倒くさい。使用目的以外に、テレパス内容は秘匿か否か、その理由も記入する必要がある。いつも後輩の自分に押し付けられて、何かと他の業務を圧迫するのが種々の申請書作成作業である。
「え、知らないんですか?専門知識はいらないですけど申請書には強制テレパス使用者の押印欄があるんですよ。ほら、強制テレパス後の頭痛とか内分泌異常とかの症状を承諾できるかって。だから自分たちが作らされてる訳で」
今まで適当に仕事の愚痴を言っていた空気がこの言葉で一転してしまった。
「知らないんですかってアンタ、今まで私にそんなの押させてないじゃない」
ネイザーの語気が明らかに強くなっていて、壁から体を離して若干赤らめた顔で自分を睨んでいる。
「いや、そんな怒らないでくださいよ。どうせめくら判だろうと思って、自分がわざわざ押印して先輩の分まで作ってたんですから」
自分がどう繕おうとも、ネイザーの態度は変わらないようだ。顔は真っ赤になり、ウェーブのかかったブロンドヘアがプルプルと震えている。主任技師級に携行が許可されている、腰の「重病人不動化シリンジ」に手が届いている。
次の瞬間、シリンジを腰から抜き、カバーを外して自分に針を突き付けてきた。
「こっちは今まで生理不順で悩んでたのよ!?今アンタが言った内分泌異常が絶対にその原因じゃないの!」
このままだと本当に不動化されかねない。キレているせいか針先が震えていて皮下注射一歩手前だし、何とかなだめたい。
「ちょっ、勘弁してくださいよ!それ結構効くんですから!丸1日業務できなくなりますって!」
「うるさい!あんたも生理不順の苦痛を味わいなさい!」
ネイザーが腕を振り上げたと同時に、何とか腕をつかむことができた。とはいっても針先は徐々に近づいてきている。意外と剛腕だな、ネイザー。
「ていうか先輩、生理なんてあったんすか!?頭についてるの、猫耳ですよね!?」
「私はうっっっす~~~~~く猫の獣人の血が入ってるだけでほとんど人間!猫耳だけで判断すんじゃないわよ!」
ネイザーは猫耳を発熱させながらとにかく烈火の如く怒っている。
犬歯の長さも猫並みですよと言ってやりたいが、不動化は避けたいので飲み込んでおく。
そういえばそろそろ15分経つな、と思い当り、
「あ、そろそろ15分経ちますよ!ほら調査調査!とっとと終わらせないと課長にぼやかれますよ!」
「………そうね、仕方ないわ。保健所戻ったら覚えておきなさい。あと、これからは勝手に私の印鑑使ったら呪いがかかるようにしておくから」
ネイザーはやっと腕を下ろして針にカバーをかぶせて腰に収めた。服の乱れを直し始めたので自分もそれに倣って服装を直したが、この15分でかなり疲れた気がする。それに加えてネイザーが純粋な獣人でなかったことが頭に引っかかっていた。獣人とはいえ、血の濃さで生理の有無が変わる可能性がある、というのは中々興味深い。
「それじゃノックするから。生理不順の罰として、ルーセットさんにする経緯説明はアンタがしなさい」
「はいはい、わかりました」
ドアノッカーが再び叩かれる。誰も出てこずに強制テレパスを行うだろうと自分は思っていたが、意外にもやや間を置いてからドアは開かれた。
ドアを開けたのは明らかに今まで寝てましたと言わんばかりの気の抜けた表情をしている中年の男だ。
気は抜けているが同時に不機嫌な表情をしていることも分かった。
まあ、営業時間前に得体の知れない———少なくとも二人組の男女はこの館の客には見られないだろう———人間に起こされれば不機嫌になるのも頷ける。
中年の男はよれたワイシャツの上にさらにひどくよれた黒いスーツを着ており、客引きか受付役であろうと窺い知れる。
「どうも、営業前に失礼します。保健所のテイク・ヘンドラと申します」
「同じくネイザー・アウリアと申します。本日はこちらの施設の調査で伺ったんですが、責任者のルーセットさんはいらっしゃいますか?」
中年の男は数秒黙り込んでいる。
このテの施設の従業員が自分たちに取る態度はほぼ2パターンに分けられる。体調が悪い・責任者は休み・施設のことはわからない等の理由を付けてあからさまに追い返そうとするパターンと、表向きは従っているように見せて裏で都合の悪いものを隠すか、廃棄するパターンだ。今まで色々と施設に立ち入り調査を行ってきたが、後者のパターンが面倒事になりやすい。
最初に自分が「保健所」という単語を口に出したときに表情が一瞬曇ったことを考慮すると、中年の男はこちらに好意は持ってなさそうだ。事前通告なしの立ち入りを行う、ある意味無礼な保健所職員に好意的な従業員の方が少ない気はするが。さて、中年の男はどちらの態度を取るか決めたようで、
「ええ、店長ならいますよ。よろしければ俺が呼んでまいりたいんですけど、今は事務室で下準備中でして。俺が邪魔すると怒られちゃうんで、保健所さんが直接店長に話してくれませんかね」
と慇懃に説明してくれた。後者のパターンを取ることに決めたようである。そうなると、”都合の悪いもの”を隠されるか、廃棄される前に各部屋の立ち入りを敢行したいが、責任者に挨拶と経緯説明でもしないと後で「営業前の施設に責任者の同意を得ないまま侵入した」訴えられかねない。
そこはネイザーも承知しているようで、
「わかりました。それじゃあ早速ルーセットさんとお話をさせて頂きます。事務室までご案内願えますか?」
と、先方の言い分を飲んだ。
「それじゃあ、そんな感じでお願いします。事務室はこっちなんで、付いてきてください」
中年の男はそう言いながら事務室まで案内してくれた。事務室は館の2階にある廊下の突き当りにあった。事務室に至るまで、廊下の途中でカーテンが道を塞ぐように下ろされていたので、客が間違って事務室に入り込まないようにしているのだろう。
自分も何回かこの館を使っているが、廊下のこんな奥まで入ったのは初めてである。
さらに言えば、この館の責任者、ルーセット氏と会うのも今回が初めてである。何度もこの館を使用していれば1度くらいは店長らしき人物を合ってもいいはずだが、店長らしい雰囲気を持った人物にはお目にかかったことがない。純血のダークエルフとのことらしいので、店長像に「褐色のスレンダー美人」を淡く期待していたが、ここはバケモノの娼館、どんなバケモノが店長かわかったものではない。
ネイザーが事務室の扉を叩き、
「失礼します」
と中に入っていったので、中年男に礼を言って自分も事務室に入った。
「あら、まだ営業時間じゃないのに、何か御用?」
事務室の中で壁に掛かっている何かの帳票に記入しているその人物の容姿により、自分の店長像に間違いはなかったことが内心で証明された。
店長であり、責任者であるルーセット氏は、確かに「褐色のスレンダー美人」であり、それに加えて異常な程若く見えた。
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