189話 あっ、コレ飼い主の匂いだ!!

 冷々とした妖しい秋月に蒼く照らされた、怜悧(れいり)なる氷の美貌のドラクロワは、漫然とした腕組みで佇立(ちょりつ)していた。


 そして、只只、雄渾(ゆうこん)としか云えぬ、先代魔王リュージャンが愛用したとおぼしき、邪悪なる鎧の巨影が大地を荒々しく踏み鳴らしつつ、正しく何かの封印から解かれたように、実に活き活きとユリアへと駆けるのを完全なる他人事として遠く眺めていた。


 「ウム。あの黒の鎧、中々にやるな。ひとつ部下に欲しいくらいだ。

 だが……」


 と、伸びやかに評価を宣(のたま)いつつも、その紫の瞳は、夜霧を無茶苦茶に掻き乱すように揺れる巨大な腕の先、その拳辺りを注視しているようだった。


 また、その傍らのカミラーも、同様に月光を浴びて異様に黒光りする、それら鋼の籠手の先を確(しか)と目で追っているようで

 「はっ。あの黒きプレートアーマー。決してそこらの単なる具足の一式などに非(あら)ず、所謂(いわゆる)、''魔王の影''というモノに錬成昇華してござりますな。

 ウーン、流石はかつての魔王様の影分身。一度(ひとたび)動き出せば、伝説の光の勇者とてモノの数ではありませぬ。

 が、惜しむらくは、あれら無駄乳共の身体に流れる忌々しき光属性の血──。

 さしもの魔王様の影とて、それらを撫でて尚、無傷のまま、とはいきませんだか……」

 と、躍動する魔王の鎧のガントレットの拳骨の面(おもて)に確かに走る、見るも痛々しいひび割れ、そして、その破(わ)れ目から外部へと薄ぼんやりとした紫の光が漏れ出ているのを指摘するように言った。


 「ウム。あの急速なる冒(おか)され様を診(み)るに、残念ながらあの影、天敵の光の勇者の血と、あと数合交わるだけで、脆(もろ)くも灰塵に帰することであろうよ。

 ウム。それにしても……あの三色馬鹿娘共、短期間で目覚ましく成長したかに見せ、その想わぬノビシロに僅かに脅威を感じぬでもなかったが……。

 なぁに、未々(まだまだ)ヒヨッコであったな」


 と、魔王ドラクロワは下らぬ喜劇でも観せられたかのような、露骨に鼻白んだ顔となって 

 「イッヤーーーッ!!こここ、来ないでーーーっ!!」

 と、囂囂(ごうごう)と大絶叫しつつ、夜の林の中を脱兎のごとく逃げ惑う、絶体絶命のユリアを眺めながら言った。


 無論、その恐慌状態で全力逃走中のユリアとしても、生死不明の勇者仲間達の容態というのが気がかりであり、すぐにでもそれらに駆け寄り、一秒でも早く毒々しい暗黒呪いの除去、また神聖治療魔法などを施してやりたかった。


 が、こうも執拗に追い回されてはどうにもならない。


 「ちょッ!ののの、呪いの鎧サンか何だか知りませんがー、ちょっ!ちょっと!!お、お願いですから、ちょっとだけ待って下さーいっ!!

 んきゃあーッ!!ドドド、ドラクロワさーんっ!!ノンビリ静観してないで助けてくださいよー!!」

 堪らず涙目となり、勇者団一頼れるリーダー、そのドラクロワの方へと逃走進路を変更して、後はもう必死に駆けるのだった。


 この猛遁走に、カミラーが心底迷惑そうにため息をつき

 「コレ低知能娘や。お前のように若いうちは何でも安易に他人様に頼るより、迫りくる困難にも、なんとか独力で立ち向かえるよう、もっと必死になって抗ってみせぬかっ!

 おおおお、そうじゃそうじゃ。そのように死に物狂いで駆けながらの魔法詠唱が叶わぬというのなら、ホレ、あの鎧には、お前の必殺の人体破壊術とやらを見舞ってやればよかろうが、えぇ?」

 盛大に大地を震わせつつ、今やユリアのもう直ぐ背後へと迫った、爆走の魔王の影に指を差して言った。


 「はえぇっ!?な、何を言ってるんですか?カミラーさん!?

 て、あそっか。その手があったかー!!」


 ユリアはその指摘にハッとして、左の足刀で草をならすようにして急制動をかけ、肩で荒い息をしつつ両の膝小僧を押さえるや、クルリと背後に迫る脅威へと振り返った。


 そして、それが両の鋼の剛腕を掲げ、殆んど倒れ込むようにして襲い来るのを見上げた刹那、見事、殺到するそれと体を交(か)わし、確かにすれ違ってみせた。

 

 そのユリアの全力疾走で火照った熱い頬を、爆走する馬車とスレ違ったときのような暴風が撫でる。


 ビギッ!!ギャギリッ!!


 見れば、ユリアのあの恐るべき人体破壊術とやらが見事発動したようで、不首尾にも闇を羽交い締めにした古(いにしえ)の魔王の影は、まるで駆逐艦の砲身のごとき豪壮なる両の腕の肘、そしてまた、その左の足首とが無惨にも大きく外側へと捻られていた。


 結果、その凄まじい突進力のままに大地に向け急角度でつんのめり、そこの場を流星落下のごとく思い切り抉(えぐ)りつつ倒れ伏したのである。


 「あひゃっ!!な、なんすかっ!?何かアイツ!いっきなり倒れたっすよッ!!?」

 遠くのベアトリーチェが、その盛大な地響きに驚愕し切って喚く。


 「っはぁっ!!な、なんとか、なんとか倒せたみたいですぅー!!

 て、あーーーっ!!!イッヤァーーー!!!ややや、やっぱりコレ来たーぁっ!!」

 辛くも巨敵をいなし、額に流れてきた汗を拭おうとしたユリアだったが、その自らの手に、腕に、ゴウゴウと螺旋渦を巻きながら奔放に蠢く、あの冥(くら)い呪詛というものをそのまま具現したかのような、実(げ)におぞましき謎の墨文字の逆巻く姿に目を剥いた。


 そして、それらの跳梁の余りの不気味さと、容赦なく襲い来る凄絶なる悪寒と脱力感とに生命力と精神を喰い尽くされ、コロンとあっさり真後ろに倒れた。


 「ギャハハッ!コヤツめい、まんまとひっかかりおったわ!!

 この戯(たわ)け娘っ!!その内に肉はおろか、骨格もなにもない、ガランドウの魔王様の影相手に、お前などの振るう妙ちきりんな体術などが効く訳も道理もなかろうがっ!!

 ギャハハ!!そ、それよそれっ!その顔が見たかったのじゃ!

 ブフフッ!!み、見事な白目!し、しかも泡まで吹いとるわいっ!!ワハハハハッ!!」

 両足の裏を天に向けて倒れ、あのいつもの熊のアップリケを惜し気もなく月の面(つら)へと晒すユリアを指差し、腹を抱えて笑うカミラーだった。


 確かにその言葉通りに、うつ伏せになって背中に草の絨毯をひっ被った魔王の影は、それぞれ逆関節とされた手と足を蠢かせ、それらを無造作に地面へと叩き付け、自らに乱暴粗野なる修繕を施すや、ガチャガチャと平然と起き上がり、確かなる重々しい足取りで以(もっ)て、今度はドラクロワへと歩み出したのである。


 そして、その前に立ちはだかるように接近したかと想うと、両の豪腕を胸前に上げ、そこの自らの厚い鋼の胸と腹の接合部とに両手の先を、ズルリと射し込み、突然、ガキャバキャッ!とそれらの装甲を上下に割って、引き剥がすようにして、奇妙な''割腹''を果たしたのである。


 そうして、己の虚しい胎(はら)をドラクロワへと見せ付けるようにした暗黒鎧の内部とは意外や意外、断じて真闇(まやみ)に非ず、紫の火焔(かえん)の揺らぐ、一抱えほどの火球があり、それが命の源のごとく、メラメラと燃え盛っており、その露出により辺りを真昼のごとく照らしたのである。


 これを呆(ぼう)と見上げたドラクロワは、その激しくも妖しい、謎の燃焼物体に右の手をかざし、それからなにかの拍動・脈動を探るように、その紫に煌めき、躍る炎の面(つら)を撫でた。


 だが、それからは少しの熱さも、波動も、またなんの思念も伝わっては来なかった。


 そうして数呼吸──


 隣のカミラーが身動(みじろ)き

 「魔王様?」

 と、声を掛けんとしたところで、その妖しげな魔光の焔(ほむら)は、急速に猛るのを止め、それはドラクロワの掌に吸い込まれるように不自然に尖りつつ、あれよあれよという間に小さく、大人しくなってゆき、やがて無数の火の粉を哀しげに舞わせて、極々小さな種火のごとく細(ささ)やかなモノとなった。


 そして直ぐに、ツンと細い煙の一筋を立ち昇らせ、静かに消えて果てた。


 そうして、それをかりそめの活動の終焉の符丁としたか、その立ち尽くす剛健なる巨大な暗黒鎧は、聖なる光属性の血の流れる肉体を強(したた)かに打ち、また掴んで捕らえたその両腕の先より内側から爆(は)ぜ割れ、パキピシと音を立てて崩壊してゆき、まるで黒い花弁(はなびら)のごとく、バラバラと欠片(かけら)を舞わせつつ、冷たい草の大地に降ってゆくのだった。


 そうして、その連鎖的な瓦解(がかい)というモノは瞬く間に鎧の全身へと波及し、あっという間に紫光を仄(ほの)かに燻(くすぶ)らせる奇妙な炭の小山と化した。


 それを特段何ら感慨らしきモノを懐(いだ)く風もなく、ただ冷たい無表情で見下ろしていたドラクロワだった。

 が、ふと、少し離れたとこに腰を抜かして、ペタンと座り込んでいたベアトリーチェの存在に気付き

 「ウム。彼(か)の悪名高き魔王の鎧とて、この俺が放つ大勇者の威光の前では、儚(はかな)く自壊をする外(ほか)なかった、か……」

 などと、まさに取って付けの即席物語を拵(こしら)えてから言い添え、サッと村の方へと踵を返した。


 その魔王の月影の顔を窺(うかが)い見たカミラーは、それが邪鎧(じゃがい)の捧げた、混じりっけなしの魔属性の強大かつ、邪悪な英気(エナジー)により、なんとも心地好さそうな充足を湛えているような、そんな幽(かす)かな多幸の機敏を覗き見たような気がした。


 「ぱ、ぱねぇ……す」


 そのドラクロワの背の暗黒色のマントが音もなく、夜の海の水面(みなも)のように揺れるのを虚ろな目で、ボンヤリと眺めていたベアトリーチェが、熱にうかされたように、やっと呟(つぶ)いた。


 「はっ!流石は光の勇者団を率いる悪の冥王極星なるドラクロワ様!!

 その御前に立つや、名うての魔王様の影ですら、ただ静やかに散滅する外なかったのでありましょう!!

 あぁ、はてー、この情けない者共はどうなされましょうや?」

 カミラーが正体なく倒れ伏したマリーナ、ユリア達を見て言った。


 これにドラクロワは眉の一筋も動かさず

 「ウム。ま、放っておけば、間もなく昇る朝日にて浄化され、勝手に目覚めるであろうよ。

 ん?」

 と、いつものごとく無慈悲に言ったところで、何とはなしに足元の少し先を見て、そこの草の間に落ち、魔王の影とユリアとの烈(はげ)しい追っかけっこに巻き込まれ、その魔属性の超重量に踏みつけられて半ば埋もれ、その銃身(バレル)も歪(いびつ)にひん曲がった、そんな何とも侘(わび)しげに鈍く輝くピストルに目を留めた。


 「フン、この鉄屑……。確か、ピストルとか云ったか……。

 ウム。この女どもが何をどうやって異世界に漂い出、また帰って来れたのかは知らんが、まったく、これほど役に立たん玩具など他にはあるまいよ。

 まぁ、出来の悪いコイツ等に似つかわしいといえば、そこはかとなく似つかわしい、か……」


 言って、僅かに肩をすくめ、それっきり拳銃を見ようともせず、只、蕭々(しょうしょう)と冷めた夜露の草を踏み、村の酒場のある方角へと歩む魔王であった。

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