167話 もう帰っていいですか?
カミラーと別れたドラクロワは、その女バンパイアの隠密が闘奴の獄舎へと潜入し、''蛮勇のサナトス''と接触して、事実関係の聞き取りを終えて戻って来るまでの時間を潰そうと、噂の名湯、またその風呂上がりの葡萄酒とを求め、独りヴァイスを漫(そぞ)ろ歩いた。
その街並みとは、見渡す限りどこもかしこもたいそう金のかかった豪奢な造りを見せており、賑やかな長い繁華街を往(ゆ)く者達も、皆、総じて小綺麗であり、大きな屋敷ばかりが建ち並ぶ塵(ちり)ひとつない街路も含め、まったく総てが格調高く、高雅な趣をさえ醸し出していた。
その夜道を行く、カンテラを提(さ)げたお供を連れた、身なりの良いどこぞの御令嬢らしき娘達、また貴婦人等は皆、月光に黒光りする禍々しき全身鎧のドラクロワを珍しげに眺め、その眉目秀麗なる魔的な美しさに目を円(まる)くしていた。
そうして幾らか歩くと、不意に街路が大きく開け、円形の広場に出た。
そしてそこには、まさに天を衝(つ)くような巨大な物体がそびえ立っていた。
それは成人男性の十人が両手をいっぱいに伸ばしてやっと囲めるような、そんな巨大な石の像であり、しかもそれが大きく間隔を開けて二つ設置されている様は、まさしく圧巻の一語に尽きた。
それらの向かって右は、白い壮麗なる円柱の座から始まり、それが天へと向かうにつれ、フォークのように分かれており、よくよく見れば、その七つに枝分かれした先の一つ一つは粗削りながらも女性を象(かたど)った彫像となっており、これはどうやら七大女神達の像であるようだ。
そしてもう一つは、女神達の物と対になるかのような、さして大きさの変わらぬ真っ黒な円柱であり、それは人のように直立して、だらしなく舌を出して牙と目を剥くカバか猪のようで、一見コミカルでありながらもどこか不気味な醜い巨像であり、その頭部には山羊を想わせるような、ねじ曲がった角が生えていた。
ドラクロワは腕を組んでそれを見上げ
「……まさか、これが噂の魔王像ではあるまいな……。
ウム。本物の容姿を知らぬ人間にとっての魔王とは、こんなにも滑稽で不細工に想い描かれているという訳か……。
まぁそこはそれとして(殺意)、コイツがなぜ忌々しき七大女神共の像と並んで立っておるのだ?」
まったく納得いかない顔で、隣の白い塔のような、ヴァイスの街を睥睨(へいげい)する七つの女神達を睨(ね)め付けた。
と、そこに髪をポンパドールにして、レモン色のグラスの丸眼鏡を首から提(さ)げた、品のよい貴婦人らしき中年女が、小さな白い犬の紐を引いて現れた。
その毛のちぢれた仔犬は、トコトコと魔王像へと歩いて、その黒い石の面に後ろ足の片方をついて、なんとそこでマーキングをし始めたのである。
だが、その飼い主である、深い胸ぐりのドレスで豊満なバストの上部を露出した貴婦人は、特にそれを気にした風もなく、眼鏡をかけ、街灯の光を頼りに手にした小さな本に目を落としていた。
「おい女……。訊きたいことがある」
ドラクロワの殺気・鬼気を帯びた、鋭い鋼の剣のごとき声が、この広場の地を這うように木霊(こだま)した。
「はっ?私?な、なにかしら?」
女は一瞬辺りを見舞わして、ボテッとした白い丸顔をドラクロワに向けた。
「この黒いのは、確かに魔王の像か?」
「あ、あなたはなに?この街に鎧を着込んだ冒険者なんて珍しいわね。
そうよ、これは確かに魔王の像だけど?それがどうかして?」
「デ、アルカ……。ここは魔王崇拝の街であると聞いて来たのだが……」
「えぇそうよ。私も、主人も、この街に住む者は皆例外なく、''魔王の真の信奉者''よ。
あの、悪いけれど……主人から余所者とはあまり話すなと言われているの。
だから、訊きたい事があるのなら手短にお願いできる?」
丸眼鏡をずり下ろして、怖々とドラクロワを眺めて、その腰に帯刀された魔剣の束(つか)を見つけてギョッとした。
「ウム。では単刀直入に訊こうか。
お前達がその魔王を崇拝しているというのなら、なぜに魔王像の隣に七大女神達の像を置く?
そして俺、いや魔王の像に畜生が''ゆばり''を引っ掛けるのを容認しておるのだ?」
「え?ユバリ?なにっ!?」
「……つまり、お前達が誠魔王の信奉者であるのなら、なぜ魔王を軽んじ、冒涜するのか、だ」
ドラクロワは己の暗黒色の戦闘ブーツの爪先を嗅ぐ、眼下の小動物に顎をしゃくって言った。
「やだ、なーにあなた……いきなり変なこと訊いて来て、な、なんだか気味の悪い人ね。
ドラクロワッ!さっ、もう行くわよ!」
貴婦人は不審者相手に身の危険を感じたか、パタンッと本を閉じ、円(つぶ)らな瞳で魔王を見上げて千切れそうなほどに尻尾を振って首を傾(かし)げている、変わった名前の仔犬に呼びかけ、それを引いて、まさしく逃げるように去って行った。
「クッ!一体なんなのだ?」
あれほど楽しみにしていた魔王崇拝の聖地(?)ヴァイスという街に、パンッ!といきなり頬を張られ、その恋慕と期待とを裏切られたように感じ、独り困惑するドラクロワであった。
だが、こんな不快なアンモニア臭と吐瀉物(としゃぶつ)の臭いの漂う巨像の広場に突っ立ち、いつまでも首を傾げていても仕方ないので、なんとか気分を切り換え、繁華街へと戻ることにした。
そして、酒場というには些(いささ)か高級過ぎる、殆んど貴族のサロンを想わせるようなバーを見つけたので、今宵は好物の葡萄酒をここで楽しむか、と店の奥の暗がりの席に腰掛けた。
そうして、なんのツマミも''あて''もなく、例のごとく葡萄酒のラッパ飲みを続けていると、隣のテーブルの丸々と太った尼僧服の女が気さくに話かけてきた。
「あらキレイなお兄さん。スッゴい鎧着ちゃって。冒険者さん?」
「ん?まぁそんなところだ」
「ヘェ。せっかくのスゴいハンサムさんが、ムッツリ独り飲みなんてちょっと辛気臭いわね。
どうしたの?この街は嫌い?」
「ウム。お前は幾らか話が分かりそうだな。
ついさっきのことだが、この街の真ん中で魔王像と七大女神達の像とが仲良く並んでいるのを見てきた。
そこで訊きたいのだが、ここは街ぐるみで魔王信仰を標榜(ひょうぼう)しながら、なぜにあのように七大女神達までありがたがる?
そしてお前も、なぜにそんな尼僧の格好をしておるのだ?」
よくよく見れば、意外に若く、顔立ち自体はそう悪くはない女は、独特な甘い薫りのする幻惑効果のある葉の煙を吹いて、それをパイプを持った手の反対で、あっち行け!とばかりに扇(あお)いで去らせた。
「あ、これ?オホホホ。そうだね、普通はそう考えるよね。
じゃ、この街の長が提唱する魔王崇拝の基本概念をちょっと説明して上げるね。
んーと、そうだね……どっから話そうか?えーと、うん、この星で一般的に七大女神達の神官なんかが信徒等に強いるのは、お定まりの貞節と清廉、それから嘘をつかないで生真面目に生きること、えぇとあとはなに?あっ真面目に働いて質素倹約か。
まぁつまりは、あれをするな、これはやっちゃダメー、それはガマンしなさい、簡単に己の欲望に負けるな、てのばかりだよね?」
ドラクロワは少し興味を惹かれたような顔となって
「ウム。そうだな」
と唸って葡萄酒の瓶を置き、女の講義を聞く本腰を入れた。
僧服の女はドラクロワが座り直したの見て、満足そうに口元だけで、ニコッとして
「うんうん。だからそういう七大女神達と真っ向から対立する関係にある、あの魔界の王様を崇拝するってことは、とりもなおさず決して何にも縛られない真の意味での自由、全く制約のない生き方をするってことだと思うのよね。
そうね、そこで、ちょっとややこしいかも知れないけど、私達が最も気を付けないといけないのは、崇拝すると一口に言っても、魔王を拝んで奉(まつ)ったり、新たに魔王教義みたいなのを造っちゃったりして、大切な人生の一部を割いて、なんか熱心に祈ったり儀式をやったりして、魔王にヘイコラするってことなんだよね。
だってそれってば、単に対象が七大女神達から魔王に移ったってだけで、なにかを崇(あが)めてることに変わりないじゃない?
それじゃあ、女神達の存在と支配とに徹底的に異議をとなえる魔王の在り方、真の意図とは違うんじゃない?ってこと。
だから私達は七大女神達だろうと、ううん、その魔王だってなーんにも認めない、気にしない、相手にしない、ただ自分の欲望にのみ忠実に生きるってことを理念に掲げて生きてるって訳。
きっとこれが本当の意味で魔王に倣(なら)って生きるということなのよ。
まぁ面倒だから、ちょっと意味が間違ってるけど、この概念を受け入れることを''魔王崇拝''って呼んでるんだー。
オホホ、分かってくれたかしら?」
「…………ウ、ウム。それで、神も魔も同列に無価値なものだ、というお前達の信念の表れとして、七大女神達と魔王の像を並べている、という訳か……」
ドラクロワは葡萄酒のもたらす酩酊とは異なる、激しい目眩(めまい)を覚えたという。
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