126話 上には上がいる

 カミラーの持つ特異体質である対光属性の退聖波動により、その全身を雷撃的衝撃(インパクト)によって激しく打たれた、女にしては大柄な12頭身の半裸の戦士は、それなりに耐性がついてきたのか直ぐに覚醒し、頭痛持ちのごとくに額を押さえつつ

 「ア痛タタタタ……くうーっ!シッビレター!

 全く、相っ変わらずアンタのキョーレツビリビリアタックは死ぬほどこたえるねぇー。

 ハァーァ……。て、アレアレー?あらま、コレもー始まっちゃってる感じぃー!?

 わわわわわ!!ちょっと待って!ちょっと待ってー!」


 この女らしくも姦(かしま)しく喚(わめ)くと、しぶとく居座る目眩(めまい)と、眼前で、ヒュンヒュン、チカチカと舞い踊る銀光の小蝿を振り払うようにして、身体の割には小さな頭を振り振り、右の耳の後ろ辺りを押さえて揉みながら席に座り直した。


 そうして、顔面に装着した黒革の眼帯に塞(ふさ)がれた反対側。

 その貴石サファイアを想わせる左の目を凝らした先には、羽ペンを両の手に握るドラクロワが居た。



 「ウム、カゲロウよ。お前の見立て通りだ。こんな下らん作業なんぞは、全くもって愉しくはない。

 俺は本来ならば絵などは、これっぽっちも描きたくはないのだ。


 ウム。では少し、この俺の身の上話でもしてやるか……。

 どうせ、コレが描き上がるまでは暇だろうからな。


 ウム。傍(はた)迷惑なる事の発端(ほったん)はだな、俺を産んで直ぐに消滅、いや死んだ母親なのだ。


 この女と俺の父との邂逅(かいこう)、所謂(いわゆる)"馴(な)れ初(そ)め"というのが、両名が未だ若かりし頃に、ある歌劇の観覧の折りにて偶然に出会った、というのがそれらしいのだが……。


 この女は厄介なことに、"芸術"と名の付く種々様々なモノに、己の全てを魅了されたがごとき半生を送ってきた魔、いや人物らしくてな……。


 そのせいか、父は母を喪(うしな)ってから少しすると、絵や音楽、演劇などに異常なまでにのめり込み、まさに耽溺(たんでき)するようになったのだ。


 どうやら、父はそうすることで、亡き女の面影を朧気(おぼろげ)ながらも身近に感じられるような妄執(もうしゅう)・妄念(もうねん)に取り憑かれるようになっておってな。

 ウム。憐れなことだ……。いや、そうではない。

 今から話すが、"憐れ"なのは紛(まぎ)れもなく、この俺が、だ。


 ま、とにかく、その当時の父は、名のある芸術家が何処(どこ)ぞに居(お)るらしいと聴けば、どんな手段を講じてでも捜し出し、それこそ有無を言わさず引っ張って来させたものだ……。


 そうして、芸術というモノを介して、女との幸せだった、甘美なる日々の追憶(ついおく)・追懐(ついかい)に惑溺(わくでき)していく内に、この男、ふとあることに気付く。


 おっ!?そういえばこの俺には、喪ったあの女によく似た息子が在(あ)るではないか!

とな……。


 そうなれば、よし!アイツにありとあらゆる高度な芸術・美術を会得・皆伝させ、その成長を愉しむことで、この身も心も張り裂けそうな悲しみと寂しさとを紛らわせようではないか!

 と、なるのに多くの時間は掛からなかったようだ。


 そして、ある日のこと……。


 よし!ドラクロワ!剣術も魔法学も後回しにしろ!と悲劇が幕を開けた訳だ……」


 そう幼少の頃の思い出を語りながらも、ドラクロワの左右の手。

 そこの羽ペン二刀流は、目にも止まらぬ速さで羊皮紙の上を踊っていた。


 その迅雷(じんらい)のごとき動きをみせる描画方とは、我流画家のマリーナはおろか、正式な絵画の教えを授けられたカミラーでさえ、見たことも聴いたこともない、正しく独創的なモノであった。


 そのドラクロワの描き方とは、先ず絵の基本となる下書きを一切しない。

 いや、それどころかアタリとなる線はおろか、そこに微細なる点すら置かないのである。


 また更には、作画モデルである筈(はず)のアンとビスの方も碌(ろく)すっぽ見ず、先の思い出話などを垂れ流しながら、物凄い勢いで作画してゆくのだった。


 その具体的な作画方とは、両の手に握った羽ペンで以(もっ)て、羊皮紙の其々(それぞれ)左右の端から、極めて微細な点を二本のペンで星空のごとく無数に描き、それを指先で擦(こす)り、伸ばし、何かの影らしきモノの断片として配置。

 後はもう、両手を別個に使って、両端から、ダーッと上下にペンを移動させつつ、羊皮紙の中央に向けて一気に描き上げてゆくのだった。


 それは人が画を描く様というよりは、印刷機が画像をプリントアウトをする様に近いモノがあった。


 勿論。皆は、このドラクロワの行う超高速なる、何かの作業らしきモノが未知の領域に行き過ぎていて、一体全体、今、彼が何をしているのか皆目見当がつかないでいた。


 かくして、涼しい顔をしたドラクロワの肩から下は、まるで頭部とは別の生き物であるかのように多忙・繁忙を極め、その口は気の抜けたような、愚(ぐ)にもつかない世間話をするかのごとき調子・抑揚(よくよう)で以て話を続けるのであった。


 「ま、そういう訳でだな。俺は、とち狂った父から随分と永い期間に渡り、芸術(笑)の英才教育とやらを施されることとなったのだ。

 ウム。鋼鉄の王笏(おうしゃく)で小突かれながらな……。


 さて、そろそろ仕上げだな。

 ウムウム。コイツはまた、父が見たならば、正しく噴飯(ふんぱん)モノであろうが、まぁお前達相手なら、ウム。こんなところで充分であろうかな、と思う」

 そう言って二本の羽ペンを揃え、左脇へと向けると、それらをカミラーが「はっ!」と恭(うやうや)しく受け取った。


 さて、こうして単なる"独創的"という言葉では手に余るほどに、強烈に異形な手法により完成した絵であった。


 あのどうにも出鱈目(でたらめ)な描き方からして、この画は単なる落書きか、とんでもなく奇を衒(てら)った、何処か前衛的・異端的な抽象画を連想させられがちだが、それを覗き込んだ皆は揃って息を飲み、瞳孔を全開にした。


 その画とは、強いて無理に大別するならば、その方向性としてはカミラーの作風寄りとして、所謂(いわゆる)、写実主義に分類出来ないこともなかった。


 が、その実、写実的・超絶技巧というモノを遥かに超越凌駕しており、赤の単色で描かれたモノに決して違いはないが、恐ろしく瑞々(みずみず)しく、それこそ滑(ぬめ)るような艶(つや)やかさで、モデルとした愛らしいライカンの乙女二人。

 その本物を遠く置き去りにして超(こ)え行くほどに見事に描出しており、その余りの存在感と立体感とに、皆は思わず掴みかかるような手の形となり、あぁそうか!コイツは画だった!と座り直させる程のモノであったという。


 特に、この芸術の都カデンツァで画廊を営むカゲロウなどは唖然とし

 「こここ、これは……ほ、本当に……絵?といってもよいのだろうか?

 うううぅ……私は夢でも見ているのか?

 おおぉ……こ、この絹のブラウスに包まれた柔らかな乳房!

 そして健康的に絞(し)まった、細身の伸びやかなる優美な身体ときたらどうだ!?

 なんと若々しい躍動的エネルギーに満ちているのだろう!?

 これはまるで、雨後に輝く、僅かに青さを残した甘酸っぱい林檎(リンゴ)のごとくに、ここで生き生きと息づいているようじゃあないか!!?

 そ、それに、それにこの魅惑的な微笑みはなんだ!?たたた、堪(たま)らん!!

 私は出来うることなら、今すぐにでもここに接吻(キス)をしたいよ!!

 あぁ、作画工程を見ていた私も信じられないっ!!本当に!本当にこれは今ここで描かれたモノなのかっ!?

 それもホンの片手間に、二十代の若者にしか見えない貴方が!!ドラクロワ殿!貴殿が本当に描き上げたモノのか?」

 この都で持(も)て囃(はや)されている、奇抜で、ただけばけばしいだけの薄っぺらなモノを卑下(ひげ)し、真の芸術の求道者(きゅうどうしゃ)を自負するこの老人は、ドラクロワの作品に夢中になって熱狂しつつ、赤らめてうつむく本物のアンとビスを他所(よそ)に、艶(なまめ)かしい描写・比喩表現をさえ用いて、年甲斐もなく興奮全開の大賛辞を述べる他なかったのである。


 確かに、この画の放つ、観ている者の喉の奥を競(せ)り上がらせ、そこを詰まらせるがごとき迫力の臨場感は、正しく筆舌に尽くし難(がた)いものだった。


 これにはマリーナも、真魔族のカミラーでさえもが揃って魂を凍りつかせ、ただただ喘(あえ)ぐようにして口を開け、茫然自失となるしかなかった。


 無論、彼女達の中に少なからず在(あ)った、例の絵描きのプライドなどというものは、それこそ忽(たちま)ちのうちに粉砕させられ、一体、誰の赤っ恥計画か分からなくなってきていた。


 この画の放つ、長く氷水に浸(つ)けた手で以(もっ)て心臓を直(じか)に揉みまさぐられるような、そんな圧倒的な美の波動にあてられたユリアに至っては、止めどなく溢れる涙と水鼻とに濡れながら、握り飯を圧するような格好で両手を固く握り合わせ、七大女神達への聖歌を口ずさんでいる始末である。


 また、一方の卓越した演奏者でもあり、究(きわ)めて感受性の高い女のシャンは、痛いくらいに全身に鳥肌を立てつつ息を止め、殆(ほとん)ど本能的に両掌で両の耳を覆って、外界からの情報を極限まで遮断し、その凄絶なる美の顕現(けんげん)に耽溺し、逆巻き、迫り来る感動の嵐に打ち震えつつ、全身全霊で以て、その奔流に蹂躙(じゅうりん)・翻弄(ほんろう)されるままを悦(よろこ)んでいた。


 それもそのはず、数千年という永き時に渡り、短命な人間族などには、その足元にも辿り着けないであろう超越的な美学・美術である、魔界の超芸術の粋(すい)を極めたる頂点大魔族達により、それこそ狂い死ぬ寸前まで鞭打たれながら、免許皆伝としたドラクロワの腕前である。

 それを只の人間などが目にしたとき、これはもう感動するなという方が無理な話であった。


 だが、当の作者であるドラクロワは、恐ろしく冷め切った表情でそれらの反応を見下ろし

 「ん?お前達。揃いも揃って、なーにをそんなに有り難がっておるか?

 よいか?こんな厠(かわや)の落書き程度の小手先の速記絵ごときで感動しておっては、もし俺に絵を授(さず)けた指導役の描く絵を見たならば、決して比喩や大袈裟(おおげさ)などではなく、その場で悶絶・発狂・狂死すること間違いなしだぞ?

 俺などは指導役達から、これ以上は如何(いか)なる訓練・錬磨(れんま)を重ねようとも"発展無し"とされ、一応は免許皆伝とするも、可能な限り人前では描かぬよう厳重に申し渡されておる程だ。

 ま、確かに俺には絵の才はない、な……。

 どうだお前達!!俺が絵、芸術が"苦手"と言った意味が分かったか!?」


 だが悲しいかな、人間族である限り永遠に到達どころか、触れることすら出来ないであろう、"一応"の冠がつくとはいえ、確かなる魔界の超芸術を鑑賞し、虜にされた人間達には、その解説は、ほんの一言半句すらも届いていなかったという。


 少しして、何とか我に返ったシャンが、喉を鳴らして冷や汗を拭(ぬぐ)い

「全く、お前という男は底が知れんな……。

 うん。ではそろそろ、この画の動くところを見せてくれ」

 深紫に塗った爪の親指を立て、拇印を捺(お)すような仕草をして見せ、紅インクの持つ魔法作用の発動を促した。


 それを認めたドラクロワは、思い出したように四角いインクの瓶に眼を落とし

 「ウム。そういえば、此度(こたび)の戯(ざ)れ事の主旨とやらを忘れるところだったな。

 ウム。ならば早速、完成印とやらを付(ふ)してくれよう」

 と、無造作ともいえる動きで、魔法インクの瓶の口に左の手を持ってゆくのだった。

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