90話 さらばワイラー

 続いて興された怪談モドキというものは、クールビューティーのシャンにより発せられたものであった。

 聞けば、彼女の出身である、アサシンの隠れ里の者達は、彼女のように皆一様に黒髪であり、その髪質は極めて良質にしてしなやかで、弓の弦(つる)や罠の材料に使えるほどに丈夫であるという。


 ある日、シャンの叔母が左目の奥の刺すような痛みで目を覚まし、何事かと鏡で確認すると、左の目尻に長めの睫毛(まつげ)のような物があったので、起き抜けの寝惚(ねぼけ)け半分の彼女は「あぁ、これか」と指先でそれを捕らえて排除しようとすると、これが意外と長い……。


 どうやらそれは睫毛などではなく、寝ている間に眼球の裏側へと潜り込んだ、自らの長い頭髪であったらしく、どれほどの偶然が重なったのか、それは眼球の裏の視神経に絡み付いており、その端を躊躇(ためら)いなく引っ張る叔母の手により、まるでこのピアノ線のような毛髪は、見事そこの神経束と眼筋とを切断してしまい、叔母の左視界には突然の闇が降り、そして下の洗面所の受け皿にはピンポン玉のような、毛細血管の絡み付く、濡れた真っ白い玉が、ゴロッと……。


 更にアンとビスからは、幼いときから、基本どんなときでも常に二人連れで行動するクセのある双子姉妹だったが、数年前のある日を境に、毎日利用する神殿の食堂では、水のグラスを三つ出されるようになり、その他の何処に出掛けても、何故だか三人扱いをされるようになる。


 最初は周りの者達による悪戯(いたずら)か何かだと思っていた。

 だが、リンドーの外に出向いた時でさえ、この謎の三人扱いは同様であり、それがあまり続くものだから、二人は流石に気味が悪くなり、リンドーの教会付けの僧侶達に相談するも、特に邪霊の類いが取り憑(つ)いているのではないという。


 一応、その時偶々(たまたま)街に来ていた高僧に頼り、その高レベルな神聖徐霊魔法をかけてもらうということで、ひとまずは安心した。


 だが……しかし。それもつかの間、その不可思議な見えないお連れ様は一向に消えないようで、二人は高僧の神聖魔法すら効かない程にやっいな、強力な怨霊に魅入らてしまったのかと、犬耳頭を抱えて困り果てた。


 だがある日。アンが何気なく、本当に"ふと"といった感じで振り返ると、そこには柱の影に隠れ遅れた、幼いながらも、誰に教わったわけでもなく獣人深化を会得し、四つ足で跳ねる小さな者、弟アレクの姿があったという。

 とか、こういった陳腐なオチの下らぬ話が間断なく提供されたのであった。


 こうして途中からは、すっかり怪談ですらなくなり、実にくどくどとして随分と長い宴であったが、これに最も白けた、冷めた美貌の魔王ドラクロワの

 「ウム。やはりこんなところか……。

 これ以上こいつらを逆さまにして搾ったところで、大して目ぼしい話は出てきそうにもないな。

 では、今宵はここまでとするか。

 カミラーよ。先にアランのところへ行き、ここの清算を済ませ、俺の部屋の鍵を取ってこい」

 この声をもって、夜話の宴は一本締めならぬ手打ちとなり、これよりは自由解散と相成ったのである。


 十人掛けの円卓の者達はこれを聞き、まだまだ飲み食いが足りぬと、新たな美食を求め、メニューを手に物色をする者、小さなアクビを手で押さえる者、立って化粧直しに向かう者と、それぞれに明け方までの過ごし方等を考えながら、ドラクロワの暗黒色の背を見送った。



 そして翌朝。


 押し寄せた聖都ワイラーの住民等に惜しまれつつも、カミラー所有の悪魔貴族の御用達のごとき、漆黒の四頭の化け物馬の引く、列車の一両に酷似した、一体、醜怪なのか秀美なのか誠判断のつきかねる、そんな荘厳な装飾で満ちた、縦長の馬車へと向かう光の勇者団であった。


 断じて、古来より健全さ・神聖さの象徴である、朝の爽やかな陽光の似合わぬ、毒々しくも妖艶淫靡(ようえんいんび)な、稀代(きたい)の大魔導師ロマノ=ゲンズブールは、紫のサンダルで群衆から数歩み出て、弟子のユリアに近付き

 「ユリア。精々ドラクロワ様の足を引っ張らぬよう、魔王征伐の旅に励みなさい。

 そうそう。これを持って行きなさい。長旅となれば替えの下着類は幾らあっても困らないでしょ?

 大丈夫ですよ。どれもこれもちゃーんと、左のお尻の所に子熊のアップリケを付けておいたから。

 ではドラクロワ様。ふつつかな弟子にございますが、何卒宜しくお願い申し上げます」

 と、煌(きら)めく銀紫の帯を巻き付けた、大きな鍔(つば)のハットを脱帽して腹に抱え、地に片膝をついて、欲求不満な年増女なら、つい腰から崩折れてしまいそうな低音の美声にて挨拶をした。


 魔王は、その黒と紫の縦縞のマントに薄織りの下着の上下姿。元魔導大将軍の小さな黒子がアクセントの胸の谷間を、極めて不快そうな顔で見下ろし

 「ウム。心配はいらん。俺の神輿(みこし)担ぎである以上、それなりに目はかけてやるつもりだ。

 オイラーだかワイラーだか知らんが、この街。またその内、気が向いたら立ち寄ろうと思う。ではな」


 小柄なサフラン色のミニスカローブの女魔法賢者は、化粧っ気のない口をへの字にして、涙が溢(こぼ)れそうなのを必死に堪(こら)え

 「お、お師匠様……何で、何でみんなの前でそーいう事を言っちゃいますかねへぇー!

 あーもう、ホントに……ホントに、あ、あ、ありがとうごさいましたー!!うわーーー!!」

 と結局、まるで子供のように号泣して、傍(かたわ)らの両親らしき者等にハンカチを渡され、その薄い肩を優しく抱かれていた。


 聖都の住民等の振り撒く、色とりどりの花弁(はなびら)舞う中、その近くに立っていた、壮麗なブルーのコックコートのアランも、大きな拳と頭頂のちょんまげに結んだピンクのリボンを小刻みに震わせ、ピクピクと血管の浮き立つ、赤熱したような恐ろしい顔で、何かをジッと耐えているようだった。


 が、人目も憚(はばか)らず、思う様に泣き叫ぶユリアを見ていると、どうにもこうにも堪(こら)えきれず、その豊かな感情の箍(たが)は、忽(たちま)ち脆(もろ)くも決壊し

 「うわーーーん!!ドラちゃーん!!カミラーちゃーん!それから勇者の皆さーん!!本当に、本当にありがどうー!!

 ア、アダジ達、街のみんなで力を合わせて、この街をみんながまた来たいって思ってもらえるような、とってもとっても素敵な街にして待ってるわー!!

 ドラちゃん!!あのね、ウチの葡萄酒なんだけど、ドラちゃんの名前を貰って、"アランドラクロワ愛の雫(しずく)"って名前にしても良いかしら?」


 ドラクロワは、そのあまりに酷いネーミングセンスに呆れ果て、フッと鼻で笑って、暗黒色のマントを風になびかせ「たわけ。また飲みに来る」とだけ言って、この男らしく、別れ際も極めてそっけなく、音もなく闇色の車両の内に消えた。


 カミラーも、ゴテゴテと華美なピンクのヒールで、それに少し遅れつつ歩み

 「ハゲチャビンよ。その名は余りといえばあんまりであろう。

 もっとこう、風雅と気品に満ち溢れた、美々しい名は思い付かなんだのかえ?

 そうじゃな、ここはわらわがもっとましなのを考えてやろう。

 うーん……。うん、そうじゃ!極々シンプルに"ドラクロワ・カミラー"これにせい!うん!これが佳い!!

 これならば、きっと今よりももっと売れ、早晩(そうばん)にもこの大陸を代表する銘酒となること、これうけあいであろう!!

 ホホホ……ではハゲチャビン!達者でな!」

 そう勝手に言って、秀麗な女児にしか見えない、世にも美しい女バンパイアも車内へと向かった。


 その後に、斬馬刀のごとき両手用の大剣を担いだ、赤き部分鎧の女戦士マリーナと、六角棍を脇に立てた、灰銀のメイド服に純白のフリルブルマーのアンとビスが、先の二名の魔族とは異なり、実に愛想よく群衆に向かって手を降りつつ続く。


 ユリアはまだ泣いていたが、傍(かたわ)らにて腕を組んで立つ、スレンダーな深紫のレザーアーマーの女アサシンから

 「ユリア。コーサを観念させ、この聖都を救った我々勇者団の正義の快進撃は、まだまだ始まりに過ぎない。

 我々は、これからこの星の最大の仇敵、かの魔王を倒さねばならないのだ。

 お前の優れた頭脳と強力な魔法を、まだまだ必要としている者達がいる。

 今は別れが辛く、名残惜しいだろうが、闇を払いし光の勇者として一緒に先へと進もうではないか」

 と別段、押し付けがましく説教振ることもなく、自らに言って聞かすごとく、優しく囁(ささや)くように話すシャンの声を聞き、爽快な張り手を食らったように、ハッとしたユリアは、大きな目を擦(こす)って、ソバカスの頬をパチンッ!と叩き

 「はいっ!そうでしたね!一人でメソメソしちゃってすみませんでした!

 じゃあ皆さん!!お元気で!!私、平和を取り戻して、きっと直ぐに帰ってきますから!!」

 そう言うと、またもや喉がつまって泣きそうになって来たので、あえて振り返らず、うつむくようにして、短い足でドスドスと大地を踏み鳴らし、車両後方の折り畳みタラップへと駆けた。


 そうして、車両内部から蜂蜜色の頭を深々と下げて

 「お父さん!お母さん!お師匠様!それから街のみなさん!

 さようなら!私はみんなと力を合わせ、光の勇者として精一杯戦ってきまーす!」

 と別れの挨拶を締めくくったのであった。


 その声をジッと聴いていたように、車両下部の闇色の折り畳みタラップが、まるで生き物のごとき滑らかさで巻き取られつつ収納され、直ぐに漆黒鋼(はがね)の観音開きの扉が重々しい響きを立てつつひとりでに閉じ、太い閂(かんぬき)が滑(ぬめ)るようにして真横に流れたのである。


 その様は、伝説の勇者達の晴れやかな出立というよりは、二度と戻ることの出来ない死地である魔界への入り口が、逃げることも退くことも許さぬ運命の鉄扉として、冷酷にもそのアギトを固く閉じたような、そんな救いようのない、酷く陰鬱な趣(おもむき)であったという。



 これより光の勇者達の目指す、大陸の最南端、港街のカイリまで、その道程はまだまだ遠かった。


 さて、この勇者団の次の逗留(とうりゅう)地には、一体どんな冒険が待ち受けているのであろうか?

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