81話 勇者でよかった

 豊かで艶のあるピンクの髪の根元に、緻密で丁寧な逆毛を施し、その毛先を割(さ)いて見事な盛り髪とした、純白の眉・睫毛(まつげ)の真紅の瞳のバンパイアは、おぞましい死の沼から離れた場所から、正しく汚物を見るような目で、つい先ほどまでひょろ長い老人だった泡の水溜まりを眺め

 「フンッ、あのシワ餓鬼、生きておっても死んでおっても、とことん気色の悪い奴じゃったな。

 さぁて、あの気取り屋の透け頭。シャン相手には得意の病毒が無効となれば、次はどう出るつもりかの?」

 十五メートルほど先に、ナルシズムたっぷりに斜に構え、紅い右掌を広げて鮮血の仮面のようにして、氷彫刻ような水晶の顔面をおさえる魔人を見上げた。


 悪魔狩人(ハンター)のシャンは、すでに二の太刀を振るおうと、猛毒の二刀流でそれに迫っていた。


 それに対応して、片翼で大気を押したラバルトゥは、素早くバックステップし、その鮮血で濡れそぼるような両の手首を、洗面所にタオルの見当たらぬ者のごとく、水を切るようにして振るった。


 すると、その過度の栄養失調のような手の先、そのそれぞれの中指と薬指が蜘蛛の脚のごとく尖って、50㎝ほども伸びた。

 やはり、そのサーベルのごとき鋭利な指四つも、先端まで濡れたような血の赤であった。


 「シャンクンノ毒刃……。コノ我輩トテ、次ハ危なイ。

 仕方ナイ。ココハ、対勇者用ノ奥の手デモ出すカ……」


 そう詠(うた)うように、呟(つぶ)くように言って、腹の前で、人を刺突したような血濡れた細剣(エストック)のごとき四本指をクロスさせ、通常サイズの両の人差し指と小指の四本とで、装飾的銀ボタンの前を引きちぎるようにして開き、女アサシンに己の腹胸部を露出したのである。


 その肌は不健康人の極み、いや屍人を思わせる蒼白であり、胸骨、肋骨にピタリと張り付いていた。

 奇怪なのは、その横隔膜あたり、胸の真ん中の大きな、一見すると馬鹿でかい潰瘍のように映るものだった。


 だが、それは……どう見ても、安らかに眠る幼い少年の顔面であり、額にはまばらな赤毛の頭髪が下がり、鼻筋を横切るソバカスのある、絵にしたいような汚れなき美しい顔をしていた。

 

 その耳から後ろを壁に塗り込められたような男児は、ラバルトゥの身体との境目を、グルリと錆びたホチキス針のようなもので縫い止められていた。


 そして、その赤毛の睫毛が目蓋と共に痙攣したかと思うと

 「あれ?ここ……どこ?えっ?ママは?ママはいないの!?こ、このアサシンは誰!?

 ママ……ママー!ママーッ!!どこにいるの?我輩、我輩こわいよー!!」

 と、白に近い水色の瞳を見せたかと思うと、眼球だけで辺りを見回して叫んだのである。


 ラバルトゥは、その悲鳴のような嘆きを、うっとりと大好きな夜想曲でも聴くように、人差し指を指揮棒のごとく優雅に振り

 「シャンクン。残念ナガラ、コノ我輩ノ頭部ヘノ攻撃ハ、決シテ致命傷ニハならナイノダヨ。

 我輩ヲ仕留めタクバ、是非トモ、コノ心臓ヲ突く事をオススメスル。

 ダガ、果たシテキミハ、見事ココヲ、コノ憐れな、囚われノ少年ノ顏(かんばせ)ヲ貫けるノデあろうカ、あッ!!?」


 ドッ!ドッ!


 泣き濡れる、無垢な男児の顔を盾に、動揺する光の女勇者シャンの隙を突いて、深紅の爪剣で、その喉を掻き裂こうとしていたラバルトゥであったが、まるで信じられないとばかりに己の胸部、その小さな顔面を見下ろした。


 そこには男児の左目を押し潰すように、その真上、そして右のちんまりとした小鼻の下へ、必殺のアサシンダガーが、なんとその鍔(つば)まで射し込まれていた。


 そして、驚愕するラバルトゥの眼前に迫ったもの、それはピントの合わない、ぼやけたような黄色いもの。


 正しくそれは、立ちはだかるように目の前に立った、女アサシンの美しいトパーズの瞳であった。


 その女は、オートロックの扉であることを忘れ、鍵もキーカードも持たず、不注意にも完全に外に出てしまい、後方で、ガッチャッと音をさせ、完全に施錠されたドアに目を剥いて、手遅れにも関わらず、そのドアノブを狂ったように捻(ひね)る、所謂(いわゆる)イン・キーというやつをやってしまった者のごとく、射し込んだ二匹のケルベロスの柄を容赦なく捻って回し

 「この顔面だけの子は、何とか引っ張り出してやったとて、もはや助かるまい。

 それになぜ、今の今まで眠っていた?」


 人面疽(じんめんそ)のごとき幼子の顔面どころか、その後ろの心臓までこねくり回されるラバルトゥ。

 その水晶の喉からは大絶叫が、そして男児の顔である胸部からは、忽(たちま)ち濃い葡萄酒のような黒血が吹き出した。


 それを真正面から、バシャバシャと浴びながら、この獰猛な狼のような女は、尚もケルベロスの手首を旋回させ、遂にその切っ先はドリルのごとくそこを掘削(くっさく)し、ラバルトゥの背中へと抜けた。


 魔界の疾病の化身。その水晶の頭部は、ガクガクと震え出し、その中心から外側へと、弾け飛ぶ寸前のフィラメントのごとく、猛烈な金色の閃光を放っていた。


 そして、その左の下顎から、湾曲した山羊に酷似した、額から屹立した大きな片角の先端まで、裂かれたような縦一文字の亀裂が走り、そこからひび割れた頭蓋内に乱反射する閃光が出口を求めるように飛び出し、正しく今際の際(いまわのきわ)、その極みにある者の様相を呈していた。


 シャンは目を細めながら黒血のシャワーを浴びつつ、まだまだ足りぬ!とばかりに、今度はラバルトゥを担ぎ上げるようにして、彼の肺臓へと二振りの毒刃を潜らせる。


 ラバルトゥはもう堪(たま)らず、その深紅の鉤爪の両手でシャンの深紫の両の二の腕を掴み、水晶の顎関節を一杯に広げ、断末魔の叫びを上げた。


 しかしシャンは、その陰惨酸鼻(いんさんさんび)な掘削作業の手を少しも緩めず、魔人に頭突き、くちづけするように迫り

 「そして、この下らぬ策にはまって、今までどれだけの善なる者達が死んだ?

 この顔もろともお前を滅ぼさねば、これから先、更にどれだけの者達が犠牲になるのだろう?

 第一、"ワガハイ"とかいう子供が居るか」


 だが、病毒魔人のラバルトゥは、既にこと切れており、それに答えることは出来なかった。


 その背に、だらしなく伸びきった無数の肉管と力なき片翼をぶら下げた、痩せ細った黒衣の身体は、ピーンと背筋を伸ばしたまま、ゆっくりと後方へと倒れた。


 そして、その病毒に穢された舞台に残されたのは、スレンダーな身体の表を黒血に染め、闇の一党の党首らしく、濃密な影のごとく純黒となった、爛々と輝く黄色い瞳のシャンという、一匹の美しい獣だけであった。


 さて、無、空となるとは、このように人間らしい感情すらも無になるということなのだろうか?


 それとも、弱きを挫(くじ)く悪しき者には、一切の同情と憐れみをかけないのが、このシャンという暗殺者(アサシン)の本性なのだろうか?


 それは、絶句して立ち尽くす仲間達にも、誰にも分からない。


 ただ一つ言えることは……シャンという美しき獣が……。

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