57話 相性最悪
カミラーの純白の睫毛(まつげ)と、目蓋の下の眼球が痙攣するように動き、ゆっくりとその目が開くと、天上には早く流れる雲と星空が見えた。
美しい幼女のような女バンパイアは、フリル満載のピンクのロリータファッションで仰向けに倒れていた。
首を左右に振り、外側に恐ろしく引き絞ったコルセットの腰を折って上半身を起こす。
何気なくついた両の掌に草の感触。
月下を見渡せば、辺りは庭園のような雰囲気である。
更によくよく観察すれば、大都市のミニチュアのごとく整然と並ぶ、蒼白い石板群から察するに、どうやらここは壁に囲まれた集団墓地のようだ。
カミラーは首を傾げて肩をすくめ、ピンクの前髪の下に白い手を差し入れて額を押さえ
「何やら頭の中に霞がかかったようじゃ……。
はて?わらわは何か……何かこう、大切な事をなしておったような気がするが……。
んむむむむ……だはー!全然思い出せん!
はぁ、それにしても、なんとまぁ気持ちのよい夜じゃ」
カミラーはスッパリと潔く記憶の糸をたぐるのを諦め、すっくと立ち上がり、狭い背中と腰をパタパタと叩(はた)き、そこで手を組んで、白タイツの膝を伸ばして墓石群へと歩く。
弓月の光を浴び、白く浮き上がるように見える区画整理された大小の墓石群は、随分と長い間、掃除や手入れがなされていないらしく、夜目にも木の葉や鳥の糞、砂埃にまみれているのが見てとれた。
しかし、使われている大理石の質、作り等から察するに、これらはどれもこれも裕福な者達の墓のようだ。
特にすることもないので、そのタイル状に石の敷かれたエリアを、コツコツとヒールを鳴らして歩く。
ふと、それらの石板の列の中に、周りとは明らかに群を抜いて大きく、そして新しさを感じさせるものがあるのに目が留まった。
「ほう。この中では最近に葬られた者かの?
何々?えーと墓碑銘は……うん?こりゃ少し古い言語じゃなー。
えー……本日ぅ、ここに……ね、ね、あぁ、眠りし、か。
ふんふん。ラ、ラ、ラヴ、ド……カミラー……!?
んん!?こやつ、わらわと同じ名前じゃ!
ワハハハハ!五千年ほど生きて来たが、わらわと同姓同名の奴は初めてじゃ!
ふむふむ。どこぞのカミラーよ、お前は最近死んだのか。うむご苦労、ゆっくりと休むがよい」
死なない方のカミラーは、親近感の湧いた墓石を物珍しそうに見ていたが、少しするとそれにも飽き、他に何か変わったものはないかと、辺りを散策しながら30メートルほど歩を進め、モザイク調に床石が敷き詰められた墓石のエリアの果てに、ロココ調形式の装飾に酷似した、骨のように白いベンチを見付けたので、ピョンと跳ねてそこに腰掛けた。
そこから見渡せる、高さ二メートルほどの煉瓦の壁に囲まれた、50メートル四方の墓地内に動くものはなく、死の静寂世界を、ただ月だけが蒼白く照らしていた。
この位置で小さなカミラーが背筋を正すと、先ほどの他人とは思えぬ、同姓同名の新しい墓石が見えた。
まだハッキリとしない頭で、そこで少しボンヤリとしていたが、やはりその景観には、風雨にもまれた芝生以外には、敷地中央の墓石群と、緑に濁った小さな池のほとりに祠(ほこら)のような白い大柱があるだけ。
どこをどう見ても生ける者の姿はなかった。
だが。
先ほどは気付かなかったが、ラヴド=カミラーの墓前の中央に、忽然と葉のない白い花が二輪、15㎝ほど間を空けて咲いているではないか。
ベンチのカミラーは座ったまま、何気なくフリルに巻かれた首をひょいと伸ばし、それを見て
「んん!?」
と、思わず声が出た。
ふいに、彫刻の敷石に縁取られた土の上、その二輪の開いた白い花が、音もなく萎(しぼ)んだのである。
ゴージャスなピンクの盛り髪の頭の角度を変え、注視に目を凝らすと、白い花はまた元通り大きくなった。
「月光を頼りに咲き、成長する花かの?」
この星には、植物にあるまじきハイカロリーを必要とする筋肉に似た触手を持ち、根で歩き、昆虫や小動物、時には人さえも襲う魔物が存在する。
カミラーは、この花もその類いか?と熟視した。
この白い花には萼(がく)と茎があった。
しかし、それは花の茎というには太く、ピンクであり、おまけにニョキニョキと伸びるのが異様であり奇妙であった。
ここでカミラーは気付く。
これは花などではなく、光沢のあるブラウスをまとった子供の肘から先であると。
一見花に思えたのは、色白な小さな両の掌であり、その腕は緩慢ではあったが、モゴモゴと土を掻き分け、登山家が山頂に手をかけるようにして肘で地表を押さえ、土中から体を抜こうとしているではないか。
直ぐにピンクの線のわだかまり、頭髪が見え、そして顔である。
土にまみれた顔は月明かりに白く、眼窩は空洞で、肌は爛(ただ)れたかのように腐乱しており、その表面には大量の蛆とミミズがウネウネと蠢き、そこから逃げるように這いずり、月下の舞を踊っていた。
この動く屍の体躯は女児にしか見えない小柄なものであり、泥に汚れてはいるが、光沢のあるピンクのロリータファッションを身にまとい、腰には左右に思いきり引き絞ったコルセットをしている。
つまり、カミラーと同じ服装であった。
その生ける亡者が力なく頭を真横に倒すと、振動でバカリと口を開き、大きなダンゴ虫、いや甲虫のごとく黒光りするゴキブリが二匹這い出て、ボタッタッと地に落ちた。
その口内からは、薄く白い煙か霧のようなものが仄かに立ち上り
「おごぉおぉ……」と喉を鳴らすような声が洩れて出た。
ブラウスから出た掌も、スカートから先の小さな脛も、土で汚れた青白い死人の皮膚の面(おもて)には、ひび割れのようにドス黒い血管が縦横無尽に透けており、その膝と手で腹這いになりながら、腐汁か泥の水分かでペチャンコになった濡れたピンクのカツラみたいなものを乗せた頭を震わせて、ギクシャクとした動きで、蛆とヤスデ、死肉に群がる黒い大小の甲虫をモロモロと溢しながらカミラーに迫ってきた。
その恐ろしく、おぞましい姿は並の村娘なら即座に絶叫、卒倒、狂死させるほどのものであった。
だが、カミラーはベンチから下がった白いタイツの脚を苛ついたようにブラブラとさせ、その這い寄るゾンビを眺めて、ピンクの盛り髪の頭を抱え
「あちゃー。誰が造ったか知らんが、下っ手くそじゃなー!
んー、こりゃ酷い!ダメダメ0点ゾンビの見本みたいなやつじゃな!
どれ、暇じゃし、一つ採点でもしてやるかの。
んー……挙げれば切りがないが、まず基本が成っとらん!
取り合えず死体からは内臓を抜かんか!内臓を!
これでは無駄に臭いし、虫がたかるだけじゃろ!
んで、虫がたかるということは喰えるということ、つまりは防腐処理が出来とらん証拠じゃ!
ムダに腐敗、液状化させては数日で破裂し、筋肉も溶け失せてしもーて、折角のスケルトンとの差別化にも意味がなかろう!
全く!素人にしても程があるわ!この死霊使い(ネクロマンサー)は何を考えておるか!?あーこりゃなーんも考えとらんなー!間違いないわー!!
これがわらわの部下なら、即そいつをゾンビにしてやるとこじゃぞ!?
そ!れ!か!ら!ゾンビ兵作製にあたり、最も重要な要素(ファクター)である、歯と爪の固定もしておらんのはなぜじゃ!?
毒を塗るかどうかまでは個人の趣味かも知れんが、これでは爪も歯も、ただ脆い腐肉に乗っかっておるだけで何の攻撃力もないわ!
うーん、こんな幼稚な作品、見ておるこっちが恥ずかしゅうなるわー!
おーい!責任者ぁ!どこかで見ておるなら出てこーい!!拳骨くれてやるから出てこんかぁ!!えー!?」
口に手を添えて闇に呼び掛け、ピョンとベンチから飛び降りるや、ゾンビへと駆け寄り、まるでサッカーボールを蹴るように、「おげっ?」と呟く腐った頭をヒールの裏で蹴り上げた。
ビチッ!と腐乱した脛椎の千切れる音がして、女児ゾンビの頭部は、ポーン!と墓石群の辻の先へと飛んで行き、先の闇でトン!トン!と跳ねて転がった。
カミラーは心底呆れた顔で
「脆い……。しっかし、なーんで出来損ないの野良ゾンビなんかをこんな所に配置したのかの?誠、理解に苦しむわ」
魔王不死軍団の将は、トントン、ゴシゴシとヒール裏を芝生に擦り付け、もと居たベンチに戻ってタメ息を吐いた。
すると、今度は立ち並ぶ、数十の墓石群の前の土が相次いで盛り上がり、めくれ始めた。
カミラーは長いタメ息を吐き、やれやれと夜空を仰いで、再びベンチから飛び降りた。
そしてフリルスカートのモモを引いて右足を後ろへ引き、左膝を立て、おぞましくも悪趣味な連続フリーキックを開始した。
しばらく4、50は蹴りに蹴り、最後の腐った禿げ頭を、スコーン!と蹴り終えた辺りで、軽い目眩(めまい)のようなものを覚え、ハッと瞬(まばた)きをすると、眼前は暗がり、そして縦の鉄格子(てつごうし)が見えた。
「うん?あぁ、兜か」
カミラーは手を伸ばしてピンクの兜のひさしを、ガチンッ!と跳ね上げた。
目の前には漆黒の毛皮。
いや、愛馬アレイスターの鼻面があった。
落馬の衝撃でねじ切れた筋、複雑に骨折していた手足と首は、とうに全快しており、カミラーは平然とフルプレートをガチャガチャと鳴らして立ち上がる。
そして小さな体でアクビ、伸びをして
「ふぁーあ!何やらつまらん夢を見たが、少し寝てスッキリしたわ。
アレイスターよ、心配かけたの。さーて三色馬鹿娘等は地下じゃったな!行くか!」
数メートル先には、散散(ちりぢり)になって横たわる神官兵士等のただ中で、1人立って目を剥く老人、魔導師ウィスプが居た。
「な、なんとこの者!ワシが手塩にかけた絶対奥義、精神破壊魔法・不死王女カミラーを喰らって立ち上がりおるとは!?
い、いや、そんな馬鹿な!うんざりするほどの実験を重ね、正に芸術の域にまで練り上げ、完成させたワシの精神破壊魔法が効かぬハズはない!!
さ、さてはこの者、元より壊れておったか?
いや、壊れた者が馬に乗れる筈はない……。
う、うーむ、仕方ない。他のをもう一度かけてみるか?
しかし、ワシの渾身の術、不死王女カミラーが効かんとなるとこのわっぱ、並の精神力ではないわい」
長い髭の顎を擦りながら、心底感心した顔で、摩訶不可思議と首を傾げる老魔導師。
アレイスターは床に転がった朱槍を、カッとくわえてカミラーに渡す。
不死王女は、それをダンベルのように上げ下げしつつ、重さを確かめるようにして
「ふーむ。わらわが落馬したのは、こやつの下らん幻術のせいか。
帰りにまたやられると面倒じゃ、かるーく片付けておくかの」
無造作ともいえる動きで、長大な槍を頭上に掲げると、小さなピンク手甲の両手で中ほどを軽く捻り、零式戦闘機のプロペラのごとく、ドビュオッー!と激しく旋回させ、邪悪な老魔導師を睨んだ。
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