13~マンジュの夜~・3

 穏やかな光を湛える月が見下ろす、マンジュの夜。

 その静けさ、紅葉舞う景観の美しさもどこへやら、里長の屋敷の裏庭では青年がひとり暑苦しく汗を飛び散らせていた。


「はぁぁっ!」


 腰を落とし、気合いをこめた鋭い正拳突きが空気を切り裂く。

 その様子を、縁側に腰掛けた美女……イシェルナと、ガレが眺めていた。


「んー、筋は悪くないと思うんだけど、気功術を一晩で覚えるのはやっぱり無茶よねぇ」

「カカオどの……」


 すると青年、カカオの動きがぴたっと止まる。


「……そんな無茶に付き合ってくれて、ありがとうございます」

「いいのよ。やる気のある子は嫌いじゃないわ。けど、覚えたい術の前にまずは気功術全体の基礎的な部分からやらないと」


 イシェルナはすっと立ち上がると寄り添うようにカカオの隣に立ち、体のあちこちに触れる。


「ここ、力入りすぎ。気合い入れれば出来るってものじゃないのよ?」

「は、はい」

「むしろ適度に力を抜いて、感じて。自分の中に流れる気を、マナを……」


 言われるままカカオは目を閉じて自分の中に意識を集中させる。


「流れる気、マナ……なんか、ちょっとわかる気がする……」


 懸命にがむしゃらに足掻いていた時の、乱れた呼吸が次第にゆっくりと落ち着いたものになっていく。

 カカオの纏う気配が少しだけ変わったことを、イシェルナもガレも感じ取った。


「し、しっぽがビリっときたでござる!」

(見習いとはいえやっぱり職人さん、集中力はあるわね。それにイメージも……)


 イシェルナはカカオが掴みかけたものを放してしまわないよう、すかさず囁きかける。


「いい? その自分の中に流れてるモノを、少しずつゆっくりでいいから右手に集めて。集まったら手のひらから押し出すイメージで、一気に放つ!」

「集めて、一気に……だぁッ!」


 彼女の言葉を反芻しながら丁寧に気を練り上げていき、全力で放出する。

 カカオの右手から、僅かに生じた風圧が音を立てた。


 それは、本当に僅かなものだったが……


「で、きた……?」

「カカオどの、すごいでござる!」

「え、そうなのか?」

「気功術に触れてまだ間もないのに、普通はこんな風にいきなり出来ないでござるよ!」


 興奮気味にガレが駆け寄り、ぴょこぴょこ飛び跳ねてまるで自分のことのように喜ぶ。

 イシェルナも笑顔でうなずいて、


「本当に、初めてとは思えないくらい感覚を掴むのが早いわ。戦闘経験と、それに職人の経験が活きているのね」

「それじゃあ……!」


 すぐさま次に移ろうとするカカオの口許に「ダメよ」と指先を置くイシェルナ。


「まだ基礎の基礎、ほんの入り口に過ぎないわ。まずはこの感覚が体に定着するまで反復して、あなたが本当に覚えたかった技を教えられるのはそれからよ」

「マジかよー!」

「マジよ。何でも基礎を疎かにしたら出来ない。簡単な近道なんかないんだからね!」


 不満そうに口を尖らせるカカオにビシッと言い放つイシェルナは、容姿など似ても似つかないはずの遠くフォンダンシティで待つ祖父の姿と重なったという。

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