251-260


251


子どもの頃はおばけの車に轢かれて死ぬのが怖かった。おばけの車には誰も乗っていなくて、止まった車のふりをしていて、前を通ったらいきなり動いて私にぶつかる。子どもの頃は道路にたまに潰れた生き物が貼りついていて、毎日通るたび黒くなった。子どもの頃私は死ぬのが怖かった。



252


天幕の内が懐かしいのは人の思い出を借りるからで、あなたの切符に鋏を入れた背の高いあの老紳士に、あなたに風船を手渡しておどけてみせたあのピエロに、それから、薄暗い天井近くでライトに照らされて揺れる一座の花形の、ぶらんこ乗りのあの女に、あなたは覚えがあるはずだ。



253


食堂で順番待ちをしている。へんな緑色のおぼんを持って、みんなでずるずる移動する。次の次、次、私の番になって、食堂の人がちらっと私の顔を見て言う。あんたはだめだよ、裏切り者だから。そう言われるとそんな気がする、でももう食券買っちゃったのに、これはどうすればいいの。



254


散々に降られたあとのアイスクリン 洗われて光る銀色の港



255


お城の入口で働いている。エントランスホールには巨大なスクリーンがかかっていて、そこに映る巨大な女王はいつもケーキを食べている。観光客が噂する。ケーキを食べるのが仕事だそうだ。いやそれは嘘でケーキを食べるのは罰なのだ。でもなんの罰で? それでみんな黙ってしまう。



256


ワドーは角のたばこ屋の前で本の切れはしを売っている。人はたばこを持てば必ずちょっとなにかを焼いてみたくなるものだから。少し離れた本屋の前で待てば、買った本を破っていくのはだいたい二十人にひとりくらい、ワドーは町の石畳を行き来して生きている。咳する人を大勢見る。



257


ニバは生地街のさる大店の隅で帷子を拵えている。たまに子どもが人形を抱いて来る。帷子を誂えてやるのだと。そういうときニバは人形を預かり、寸法を測って返すのだが、子どもはしばしば人形とニバを忘れてしまう。ニバの縫場は忘れられた人形だらけで、気が向けば髪を梳いてやる。



258


トナヤは実に見事な魚屋だ。ほうぼうの屋敷から注文が絶えない。虫の翅と鹿の骨と木の皮とで作った魚たちは軽やかで、流水に沈めれば翠色の光沢を帯びてよく泳ぐ。昼も夜も同じように泳ぐ。鷺をいつか騙しておくれよと鳥打がやってきてトナヤに言い、鷺草をトナヤに渡して夏に帰る。



259


ビウは毎日食堂に呼ばれて歌う。当世流行のすてきな歌をたくさん知っていて、いい声で歌うことができるからだ。ビウは夜通し歌ったあと、朝にスープとパンをもらう。ビウは店の人気者だ。けれども石の壁からビウの耳に這うのは故郷の寒村で覚えた歌だ。灰海にへばりつくような磯の歌。



260


ヤヘンが家を借りたのは貝の通り、貝の通りには古代の貝が埋まったままでいる。窓から通りを眺めれば、子どもが道にしゃがみこみ、無心に貝を触っている。巻貝、二枚貝、三葉虫。ヤヘンも化石に憧れた頃がある。この頃は自分の骨のことを考える。通りは坂、緩やかに夕日に続いている。


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