61-70
61
海の音で目を覚ました。波が枕元に寄せている。夢を見ている。僕でなく土地が。埋め立てられた海の記憶を、夜毎この土地は思い出すのだ。午前二時、布団の小舟で凪に揺られて、幻の潮騒と共寝する。
62
#男女心中道行電車100字書き出し
隣の男が笑う。見なさいあの二人、心中だ、あっちもそうだ、あれも死ぬ、どうして死ぬんでしょうねえ、心中なんて、はは、莫迦のすることだ、生きてるのが一番だ。ね、そう思ったんでしょうあなた。あの時一緒に死んでやらなかったので男はどこまでもついてくる。
63
サガライに住むウロモモは今年二人の夫を嚙み殺し、三人目の夫が閨から逃げ出すのを見るや、己の指を噛み千切り、それを夫の背に投げて殺した。夫に刺さった指の付け根から、ウロモモの血がびゅうびゅう吹き出し、それを浴びたウロモモはサガライ中を歩き回って夫を悼み、彼岸花を咲かせ続けた。
64
ポーリーン、泣くのはおよし、行って沼地の苔を編み、おまえの赤子を包みなさい。苔の産着はほどけるだろう。乳の匂いの甘やぐ苔に、ピクシーどもは酔うだろう。目覚めた頃には忘れているさ、あれらは子供のなれのはて。ポーリーン、そうして赤子と帰っておいで。おまえの母もそうしたのだよ。ポーリーン。
65
縁側に女が居る。白けた日なたに座っている。鋏で爪を切っている。ぱちんぱちんと音がする。こちらに背を向けている。長い髪をしている。時折鋏を置く。つくづくと指を眺める。また鋏を持つ。爪を切る。ふと目を離すと居なくなる。木目のならびに鋏が鈍く黒く在る。未だ供養しない。女の顔を見たい。
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わたしカタニシヘ行くんです。カタニシは遠いですか。カタニシはありますか。わたしカタニシへ行くんです。カタニシは市ですか。カタニシは西ですか。私片西へ行くんです。カタニシは場所ですか。カタニシは人ですか。渡加谷市へ行くんです。私か谷氏へ行くんです。わたしカタニシへは行きません。
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北の長柵の先の平原にはひとりの先祖が住んでいて、わたしたちは年のはじめに暦をさざめに柵を越える。暦を作るのは星であり、星を作るのは先祖であり、先祖を作るのはわたしたちである。時のあと、終代の先祖が星をさざめて天を縫い止めるに至るまで、この平原のすべての夜は、彼・彼女のためにある。
68
送別会でもらった花を玄関の花瓶に生けたら尖りだした。すぐに尖ったわけではなく、2、3日をかけてゆっくりと、帰宅する度にまた少し尖ったことに気づく。恋人も気づいた。言う。花は尖るよ。でも送別会でもらった花なのに、と言うと、送別会でもらった花だからじゃないの、と疲れたように言われた。
69
今も夢に見る。崩壊する城の門からあなたはいつも手招きをしている。城は黄土の粉塵を巻き上げ青空にそびえる雲のよう、あなたを城に残して私は城から抜け出して、緑の丘から日がな一日、地平線上のその一瘤を眺めて、さよならの終わるのを待っている。無音の崩壊、無限の倒壊。今も夢に見る。
70
がらり。背後の引き戸の開いた音。去年死んだ姉が廊下から首を出している。奇妙な無表情で言う。「寝ないと死ぬよ。夜に食われるよ」僕は頷く。「夜は脳みそを食うんだよ。いまこの時にも食っているよ。私はそうやって死んだんだよ。死んだんだよ」部屋のテレビが光っている。カラーバーを映している。
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