【24】主を探す鳥

「ジンはどこだ?」


 いらいらとした口調でハーヴェイが少年水兵の名を呼ぶ。

 少しの間とはいえど、沢山の男がいる中に、うら若き乙女を立たせておかなければならないとは――彼はその非常事態がたまらなく嫌なようだった。

 現に水兵達はにやにやと笑みを浮かべながら、メインマスト付近までやってきたリュイーシャとリオーネに好奇の目を向けている。


「ジン。ハーヴェイさんが呼んでるぞ!」


 普段大人しいハーヴェイのいらだちを感じたのか、黒髪のがっしりした体格の水兵が、メインマスト前の昇降口で呼び掛けた。


「すみません。すぐいきますー!」


 返事と同時に昇降口の階段を昇る軽やかな靴音がしたかと思うと、小柄な体躯の少年が猛烈な勢いで甲板へ飛び出してきた。

 寝癖のついた蜂蜜色の髪。日焼けした浅黒い肌。その中で輝く水色の瞳。

 リュイーシャより年下で、リオーネより年上の水兵ジンは、二人の姿とハーヴェイを見てぺこりと頭を下げた。


「おいらを……その、助けてくれて、本当にありがとう」

「本当に、ありがとうございました、だろ? ジン」


 ジンのエルシーア語を通訳しながら、ハーヴェイが機嫌悪そうに口角を上げる。

 だがジンはハーヴェイの声が聞こえないのか、惚けたようにリュイーシャを見つめていた。

 リュイーシャは目を細めて微笑した。

 目の前の少年が自分を怖がらない様子に内心ほっとしながら。


 リュイーシャとて自分が普通の人間ではないことを意識している。海に沈んだ船を海上まで吹き飛ばしたり、その上を歩いてみせたのだから、海神の眷属と思われたって当然だと思う。

 ひょっとしたら艦長であるアドビスの命令のせいかもしれないが、こちらをこっそりと見る他の水兵達の顔にも不安の色は浮かんでいない。

 どちらかといえば、甲板に出てきたリュイーシャたちに興味津々といった様子なのだ。


「ジン。いい加減にしろ。美人を前に気持ちはわかるが、いつまでも女性の顔を見つめるのは失礼だぞ」


 ハーヴェイに脇をこずかれて、少年水兵ジンは目を丸くした。ハーヴェイの言った通り、リュイーシャにみとれていたらしい。


「お、おいら。そ、そんなんじゃ、ねぇもん! ハーヴェイさん」


 ジンの頬がみるみる赤味を増した。十五才になる彼はちょっと気になる年頃なのか、大人達のからかいにまともにくってかかることがある。

 するとこっそり様子を伺っていた水兵達がどっと笑い声をあげた。


「ジン~気にするな。俺たちもお前とおんなじだからよ~」

「滅多にみられない美人だから、しっかり脳みそに焼きつけておけよー」

「そうしたらきっと夢に出てくるぜ」

「うるっさいな!」


 赤くなった顔から蒸気を吹き出しそうな剣幕でジンが叫ぶ。


「ちょっと思い出しただけだい! 国の姉ちゃんのこと」


 再び水兵達が笑い声をあげた。

 ジンは恥ずかしくなったのか、両手の拳を握りしめてうつむいてしまった。


<あなたは素直で良い子ね>


 リュイーシャはジンの肩に手を置いた。

 リュイーシャに触れられて少年ははっと顔を上げた。


「リュイーシャさんはお前が、素直で良い子だと言っている」


 まだ顔を赤らめているジンへハーヴェイが通訳する。


「お、おいら……あの……」


 ジンは不意に右手を青いはきこんだズボンのポケットへ突っ込んだ。

 そしてそれを再びリュイーシャの前に突き出した。


「こっ、これ、助けてくれたお礼!」


 リュイーシャはハーヴェイを見上げた。何となく少年が自分に何かを渡そうとしているのはわかるのだが、受け取っていいのかわからなかったのだ。

 ハーヴェイはゆっくりとうなずいてリュイーシャに言った。


「ジンはあなたにそれを差し上げたいそうです。助けて下さったお礼として」

「まあ、何かしら」


 リュイーシャはジンの前に両手をそろえて差し出した。

 ジンは小刻みに震える右手を慎重に開き、握りしめていた品をリュイーシャの掌へ手渡した。


 シャランと涼やかな音を立てて、適度な重みが落ちてきた。

 掌の中を覗いてみると、そこには虹色に輝く魚の鱗のような形をしたものに、黒い小さなガラス玉を幾つも紐に通して作られた首飾りがあった。

 リュイーシャは虹色の鱗を持ち上げてみた。

 光の加減で赤や青、緑、紫とさまざまな色に輝いている。


「きれい……本当に、こんなきれいなものを貰っても良いの?」


 リュイーシャはジンに訊ねた。

 ハーヴェイの通訳が終わると同時にジンは、蜂蜜色の髪を大きく揺らしてうなずいた。


「姉ちゃんがおいらが海に出る時にくれたんだ。何の鱗かよくわからないけど、姉ちゃんは一度だけ願いを叶えてくれる、『お守り』だって言ってた。おいら、マストから振り落とされた時、絶対に死にたくないって、こいつに祈ったんだ。だから、おいらの願いは叶ったし、他にお礼できるものがないから……だから……」


 ジンの言葉を通訳すると、ハーヴェイはジンの頭をくしゃくしゃとかき回した。


「運のいい奴め!」

「ハーヴェイさん、もうー、やめてくれよ。髪がぐしゃぐしゃになっちまう!」

「ありがとう。大事にするわ」


 リュイーシャは首飾りの留め金を慎重に外した。


「リオーネ、ごめん。これをつけるから、髪の毛をちょっと持っていてくれる?」

「わかったわ。姉様」


 リュイーシャはその場に膝をついた。リオーネが腰まで伸びたリュイーシャの髪の束を持ち上げ、白い項が見えるようにする。

 それをちらと見たハーヴェイの顔に一瞬動揺が走った。けれど彼が努力してその気配を殺したのは紳士の鑑とでもいうべきか。


「……できたわ。下ろして」

「うん」


 リュイーシャは立ち上がった。コーラル夫人が仕立ててくれた白い綿の長衣は、鎖骨が見える程度の襟刳りが開いていて、その下で身に付けた首飾りが七色の輝きを放っている。


「絶対似合うと思ったんだ」


 ジンは鼻を拳でこすりながら満足げにリュイーシャを見つめている。


「本当、きれいね~。私もほしいなぁ」


 リオーネがうっとりと鱗の輝きにみとれている。

 そんな二人を微笑ましくリュイーシャは見つめていた。

 が、不意に頭を強く殴られたような衝撃をリュイーシャは感じた。

 風に乗っていがらっぽい煙の臭いもする。


「……どうしました?」


 額に手をやるリュイーシャの険しい顔を見てハーヴェイが声をかけてきた。


「……」


 嫌な感じがする。なんだろう。この胸騒ぎは。

 リュイーシャは身を翻し、咄嗟に近くの左舷舷側へ駆け寄ると前方の海を眺めた。


「甲板ーー! 船が見えるぞーー! 炎上中だ!」


 同時にフォアマストの見張りが甲板に向かって大声を降らせてきた。

 針路上の海域で正体不明の船が炎上している。

 フォルセティ号の甲板はみるまに慌ただしくなった。

 エルシーア海独特の青とも緑ともいえない明るい色をした海面には、おびただしい数の木片と、現在炎上している船の積荷らしきものが流れ着き、フォルセティ号の船腹にぶつかっている。


 リュイーシャとリオーネは水兵達の邪魔にならないよう、ハーヴェイと共に舵輪がある船尾楼へ移動した。そこは士官達が指揮を執るため、船の後方から前方をくまなく見る事ができるよう、少し高く作られている甲板だ。

 やがて、ハーヴェイの報告を受けて、アドビスやシュバルツも甲板へ上がってきた。

 副長のシュバルツは、そこにいたリュイーシャの姿を見て一瞬驚いたように顔をひきつらせた。


「心配しなくても、彼女を怒らせないかぎり、この船が沈むなんて事はない」


 シュバルツの背後でアドビスが独り言を漏らした。

 緊急事態だというのに、アドビスは状況を楽しむかのように口元に笑みを浮かべている。


「……誰も、そんなこと、言ってませんが」


 不機嫌に曇るシュバルツの表情とは対照的に、アドビスの笑みは顔全体に広がっていった。普段大きく表情を崩さないアドビスにしては珍しい事だ。


「それは悪かった。ハーヴェイ! 状況を報告してくれ」

「あ、はい。艦長」



◇◇◇



「姉様……あの船。私、知っているような気がするの」

「リオーネもそう思う?」


 リュイーシャは手を繋いだリオーネの手に力が込められるのを感じていた。

 風下である左舷側の舷側で、リュイーシャとリオーネは徐々に近付いてくる船をじっと見つめていた。

 けれどそれは船というにはもうほとんど原形を留めていなかった。

 船尾を下にしてすでに沈みかけていたからだ。

 三本あったマストは根元からすべて折れ、海中に沈んだ帆が上げ綱とからまりあいながら、皮膜のように海面を覆っている。


「あれ? 何かいない?」


 リオーネがくすぶる船の前方を指差す。

 まだ距離があるためはっきりしないが、船の突き出た舳先の部分に黒っぽい小さな塊が見えるような気がする。


「リュイーシャ」


 アドビスに呼ばれ、リュイーシャは振り返った。

 近付いてきたアドビスの表情はいささか不機嫌そうである。

 眉間に皺を寄せ、青灰色の瞳には何かを警戒するような光が宿っている。


「嫌な所へ出くわした。どうもあの船は海賊か何かに襲われ、火薬庫を吹き飛ばされたようだ。型からみてエルシーアの船のようだが、もう少し近付いてみないとわからない。貴女達は船客だ。不快なら甲板から降りて船室に戻れば良い。部屋は乾いたし、元の通りにしておいたから」


 リュイーシャは小さくうなずいた。


「ありがとうございます。でも……大丈夫です。邪魔にならないようにしますから、もう少しここにいさせて下さい」


 リュイーシャは沈みかける船が気になっていた。


「あ、姉様見て! 鳥だわ」


 その時リオーネが頭上を見上げた。

 リオーネの声につられてリュイーシャとアドビスも辺りを見渡す。


「船の舳先に止まってたんだけど、あっ、こっちへ来る!」


 リオーネの言う通り、沈みかける船から一羽の白い鳥が飛んでくる。


「アノリアが近いから、そこから飛んできたのだろう」


 アドビスが手びさしして天を仰いだ。

 白い鳥はフォルセティ号の左舷側に沿って甲板へ降りる様子をみせた。

 リュイーシャとリオーネが立っているまさにその場所へと。

 黄色い水掻きがついた両足を広げ、どすんと、尻餅をつくように降りてくる。


「姉様、あの鳥さん、何かくわえてる」


 飛ぶ時の優雅さとは正反対に、不様な着陸をした鳥は、リオーネの言う通り何か黒いものをくわえていた。


「あれは」


 リュイーシャとアドビスは、見覚えあるその物体を凝視した。

 甲板に降りた白い水鳥は、額から後頭部にかけてくるんとカールした飾り羽を風にゆらゆらとゆらしながら一声鳴いた。

 その拍子にくわえていた黒い物体が甲板に落ちた。

 それは、黒い布切れのようにみえたが、ぐるりと輪になった紐がついている。

 リオーネがおずおずと水鳥の方へ近付き、その布切れに手を伸ばした時だった。


「れなんでぃ、沈んだ。しぐるす、どこ?」


 水鳥が黒い瞳を潤ませてリオーネをじっと見つめている。

 首をかしげるように傾かせ、黄色いくちばしが再び開いた。


「れなんでぃ、もえた。沈んだ。しぐるす、どこ?」


 ――レナンディ、燃えた。沈んだ。シグルス、どこ?


「まさか!」


 リュイーシャの隣にいたアドビスが小さく驚きの声を発した。

 そして大柄な体躯を素早く回転させて、前方でまさに海に沈もうとしている件の船を凝視した。


「レナンディ号が、襲われたというのか……!?」

「これ。あの海賊のおじちゃんがしていた眼帯だよね」


 リオーネが拾い上げた黒い物体――恐らく、海賊シグルスが身に付けていた眼帯であろう。

 リュイーシャもまたそれを複雑な思いで見つめていた。

 胸の奥でちくりと痛みが走った。

 何かがまた起ころうとしている。

 昔から悪い事の勘の方が、良い事のそれより勝った。


「しぐるす、どこ?」


 羽音と共に水鳥は甲板から飛び立った。

 主の名を呼びながら。

 澄みきった青い空には、炎上するレナンディ号の黒い煙が、どこまでもどこまでも高く昇っていた。

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