ゼロの大賢者 ～若返った最強賢者は正体を隠して成り上がる～／2018年4月1日発売

試し読み 第1話

「あなたの時代は終わったんですよ――大賢者ジークフリード・ベルシュタイン」

　途切れかけた意識の中、俺が最後に聞いた言葉は、そんな風に勝ち誇る、奴の――ギルバルド・フォン・ユーリィの――勝利宣言だった。

☆★☆

「おら裏切り者、とっとと起きろ！」

「……ぐっ……」

　腹の中身が押し潰されるような衝撃で、俺は意識を取り戻した。

　視界に広がるのは、俺を見下すように覗き込む、二人の中年兵士。

　片方は太っていて、片方は瘦せている。

　背後に見えるのは、漆黒の闇に包まれた常夜の森。

　どうやらあれから、どこかの森まで連れてこられたらしい。

　状況から察するに、王宮の裏庭ではないだろう。

『迷いの森』か『還らずの森』か……まぁ、そんなところか。

「おら、早く馬車から降りろ」

　唾を吐き捨て、兵士は再び俺の腹を蹴った。不意をつかれた一撃に、喉から吐

瀉物が溢れ出す。

　それを見た兵士は「汚ねえ」と嘲笑した。

「ざまぁないな、ジークフリード。大賢者ともあろう者が」

「……貴様……」

　腹部を片手で押さえ、兵士を睨み上げた。小馬鹿にするように、兵士はふっと鼻で笑う。

「ギルバルド様に力を奪われ、魔法が使えなくなったお前など、何も怖くない。国王様暗殺を企てた大罪人の分際で、何生意気な面してやがる」

「……濡衣だ」

「はっ、どうだかな。ここに連れてこられた罪人は、みんなそう言うって話だぜ。いやあ、権力者が落ちぶれる様は気分がいいな」

　じゃあな、元大賢者様。還らずの森で、野垂れ死にな。

　馬鹿にしたように笑い、兵士は馬車を走らせた。瞬く間に、馬車は闇の中に消え去る。

『還らずの森』

　エメリア王国の南端に位置する、特殊なコンパス無しでは決して抜け出せない、樹海。

　特別な結界が魔法で張られていて、専用のコンパスが指し示す順路を辿らないと、出口まで辿り着くことが出来ない、脱出不可の領域。

　コンパスは普段王宮の金庫に厳重に保管されていて、ここまで馬車を走らせる兵士に支給されることを例外に、一般に出回ることはない。

　密生した樹々が傘になって、昼でも光が届かないことから、別名（常夜の森）とも言われている。

　エメリア王国では、国に対する背信行為――国王の暗殺や、その未遂――を働いた大罪人は、この森に放逐されることになっている。

　エメリアでは前王ユークリッド・ノーヴィス・エメリアの時代に死刑が廃止された。

　要するにこれは、死刑の代わりだ。

　この森に連れてこられた人間は、何週間も飲まず食わずで森を彷徨ったのち餓死するか、魔物に食い殺されるか。

　そんな、末路が確約されている。

　未だかつて、罪人が還らずの森から抜け出したという前例はない。待っているのは、確実な死。

　……だが、俺は絶対に抜け出す。負けたままで、死んでたまるものか。

「濡れ衣を晴らし、必ず……雪辱を果たす……待っていろ……ギルバルド……！」

　真っ暗闇の中、拳を握り締め、俺はそう誓った。

☆★☆

　ことの始まりは昨日、戴冠式での出来事だった。

　戴冠式とは、新たな国王が即位される際に行う、王冠を譲位する儀式のことだ。

　俺は、冠を新王に直接被 かぶ せるという大役を任されていた。

　通常、戴冠式では先代の王が直接、王冠を新たな王に譲り渡すことになっている。

　だがあいにく前の王は先月、長らく患っておられた進行性の病で亡くなってしまった。

　そこで、俺に白羽の矢がたった、というわけだ。

　大賢者であり、国王亡き今、実質的な国の頂点。戴冠式を執り行うのには最も適任だろうと、賢人会議にて、満場一致でそう決まった。

「これより第二十七代エメリア王、レイア・ノーヴィス・エメリア様の、戴冠式を執り行う！」

　進行役の上級貴族が、高らかに宣言する。ギイィと音を立てながら、大きな扉がゆっくりと開く。

　現れる、新王レイア・ノーヴィス・エメリア。

「……美しい」

　その美貌に、参列する貴族たちも思わず息を吞 の

む。

　透けるような金の髪に、仄かな危うさが混じった気高い碧の瞳は、初雪のように白い肌と相まって、妖精のように美しい。

　しかし、真っ直ぐに結ばれた意志の強さが感じられる口元が、彼女がただ美しいだけの少女ではないことを如実に表している。

　前王が亡くなったことによって本来の予定を一年繰り上げて急遽式典を執り行うことになったため、レイアはまだ成人前の、年端もいかぬ十五の少女だ。

　にも拘らず、レイアは地に足を着けて、しっかりとそこに立っていた。背筋をピンと伸ばし、真っ直ぐに前を見据え、赤のマントが装飾された大げさな儀礼服も、着こなしてみせている。

　父が亡くなった悲しみを、微塵も感じさせない。

　それは正しく、王の姿。

――ついこの間まで、一人で眠るのが怖いとよく俺に泣きついてきたと思ったんだが……成長したな。

　少しの寂しさと、誇らしさ。その時の自分の気持ちを例えるなら、きっと、そういう表現になると思う。

　幼少期よりレイアの教育係を任されていた俺は、感慨深く凛としたその姿を見つめていた。

　新王の登場に目を伏せ、静かに頭を下げる貴族たち。

　入口から壇上まで一直線に敷かれた赤の絨毯 たん 。それをレイアは、一歩一歩踏みしめる。

　毅然と、だが悠然に。少女は俺の前に来るまで、一度も姿勢を崩すことはなかった。

「成長したな、レイア」

「……全て、あなたのお陰です。ジークフリード」

　レイアは微笑みを浮かべる。俺は、面食らった。

　てっきり何時のように「いつまでも子供扱いしないでください」と、来ると思っていた。

　本当に成長したな、レイア……いや。

「新王レイア・ノーヴィス・エメリア様……この度は、即位のほど、本当におめでとうご

ざいます」

「……ありがとう……ジーク……あなたからそう言われるのは、私としても嬉 うれ しい」

　レイアは嬉しそうに、ゆっくりと頷いた。

　冠を小さな頭に、慎重に乗せていく。王冠を被ったレイアは、ふわりと髪を後ろに搔 き上げる。

　俺から半歩下がり、貴族たちを振り返った。お披露目の為 、再び赤の絨毯を進む。

――事件は、この時起こった。

　バリンッ！　と、突然後方の窓ガラスが割れる。

　そう、この日。凡 およ そ百年振りに、エメリアの王宮は襲撃を受けたのだ。

「……！」

　降り注ぐ破片。ガラスをつき砕いて進む、矢のような物体。それは猛烈な速度で、レイアの元へ向かう。

　なんだ、あれは。いや、考えるまでもない。

　急いでマナを脚部に集中させ、地面を蹴る。

――しかし、一歩足りない。

　そのままそれは、レイアの背中に入って、腹部を貫く。

「……え？」

　何が起こったのかわからなかったのか、レイアは目を丸くしていた。

　飛んできた物体の速度が速すぎて、ガラスが割れたことは認識できても、それが何によってもたらされたかまでは理解出来なかったのだろう。

　それから一呼吸置いて、腹部を貫通する矢を目視し、ようやく悲鳴をあげる。

「あ……ああああああああああああああああああああああああああああ！」

「敵襲だッ！」

　苦痛に顔を歪 ゆが め、崩れ落ちるレイアを抱き抱え、俺は叫ぶ。

　間違いない、これは敵襲だ。

「レイア様……！」

　国王を守護する騎士団の団長を任されている立場であるカティアが、狼狽した様子で一目散に駆け寄ってくる。

　騎士団は現在王宮の外で警備をしているが、団長であるカティアだけはレイアの守護役としてこの式に参列していた。

「あぁ……レイア様……レイア様……‼」

　苦痛に顔を歪めるレイアの目の前で、彼女は虚ろな目をして呆然と立ち竦んでしまう。

　弱冠二十一歳にして騎士団長に任命された、眉目秀麗の才女。普段は寡黙で冷静沈着な彼女。

　だが、今やそれは見る影もない。

「おい！　カティア‼」

「あぁ……レイア様……レイア様……レイア様……！」

　呼びかけに応じず、カティアは立ち尽くしたままレイアの名を叫び続ける。

　くそっ、この様子では役に立ちそうにない。

　騎士団に自ら志願して入団するなど、元々レイアに入れ込みすぎているようだったが、不測の事態に対応出来ないようでは、騎士団長は務まらないというのに。

　儀式のために集められた貴族たちもようやく事態の急に気付いたのか、あわあわと震え声を出したり、あたふたとレイアに駆け寄ってみせたりした。

「だ、大丈夫ですか、レイア様」

「何をやっている、敵はまだ王宮の近くにいるはずだ、探せ！」

　平和ボケした間抜けな貴族たちを、一喝する。お前たちの心配など、何の足しになるというのか。

　そんな貴族たちをかき分け、歩み出る、一人の若い男。

「……刺客探し、その役目、私にお任せください」

　ギルバルド・フォン・ユーリィ。

　漆黒の髪に、深い蒼の瞳。

　類まれな魔法の素質を持ち、二十四歳にして賢者の称号を得た傑物。

　二十四というのは、俺が十六で賢者になったことに次ぐ記録であり、エメリアの賢者七人で構成されている賢人会議での発言力も日に日に増している、若手の有望株だ。

　印象を一言でいうなら、不気味なほど物静かな男という表現が適切だろう。

　たまに何を考えているのか、わからなくなることもある。 　

　だが、与えられた仕事は必ず、予想以上にこなしてくれる。それ故に、右腕として信頼していた。

「任せたギルバルド……俺はレイア様の傷を見る……必ず刺客を見つけてくれ……！」

　一度襲撃を受けた以上、第二第三の波が来ないとは限らない。であれば、今俺はレイアの元を離れるわけにはいかない。ここでギルバルドが動いてくれるのは、助かる。

「御意」

　ギルバルドは、深く頭を下げる。

　その時奴がどんな顔をしていたのか、今となってはもうわからない。

　礼服を靡かせ、王宮の外に向かうギルバルド。

　それを見届けぬまま、新王に呼びかけた。

「大丈夫かレイア……今ヒールをかけてやるからな」

　レイアは虚ろな眼差しで、小さく左右に首を振った。

「どうした……？」

「この矢には……おそらく……魔法によって呪いがかけられて……だから、ヒールでは……」

　レイアは浅い呼吸を繰り返しながら、一言一言絞り出すように症状を伝えてくる。

「……少し、失礼する」

　矢の傷に触れないように貫通した部分を丁寧に破り棄て、大げさな儀礼服を捲り上げる。

　震えるように上下に揺れる色白の腹部が、晒される。

　レイアは弱々しく「……ぃゃぁ」と抵抗した。

「こんな時に、恥ずかしがっている場合か」

「……し、しかし……」

「お前の命がかかってるんだ」

「……んぅ……」

　無視して、裾にフリルの付いたスカートをズラす。レイアは覚悟を決めたように、ぎゅっと目をつむった。ふちにレースのあしらわれた純白の下着が露わになる。

　強い痛みのせいかそれは少し汗ばんでいて、肌に密着していた。

　その左やや上。どす黒い、円形の魔法陣。呪印は、確かにあった。

「……これか」

　呪い。それは魔法の一種。かけた相手を寄生虫のように蝕んでいく、持続性の攻撃魔法。強さにもよるが、多くの場合放置すると、長くても一週間で命を落としてしまう。

「……この魔法陣は」

　呪いの強さは、魔法陣の形状を見れば、だいたい予想が付く。

　例外は勿論ある。だが、幾何学模様が複雑であればあるほど、魔法も強力である場合が多い。

　レイアにかけられた呪いの魔法陣は、複雑怪奇な模様をしていた。

　間違いない、特Ａ級の魔法だ。敵は、相当な手練れと見える。

「……少し痛むが……じっとしていろ」

「んっ……」

　手のひらをレイアの魔法陣に押し付ける。

　柔らかな肌の感触が 掌を通して伝わってくる。傷に障ったのか、内股になって少女はぎゅっと唇を嚙む。

「――解読（ディサイファリング） 」

　呪いを解く方法は、ただ一つ。それは、魔法陣にかけられた暗号を――解読してやること。

　低レベルの呪いであれば、常人にも解くことは容易い。しかし、この魔方陣は特Ａ 級の呪い。

　特Ａ――通常レベルと呼ばれるＤランクの兵士が五百人集まったとしても、太刀打ち出来ないと言われている存在。

　魔法使いのランクはＦを下限に、Ｅ、Ｄ、Ｃ、Ｂ、Ａ、特Ａ、Ｓと推移する。ランクはマナと呼ばれる魔法の源の総量と魔法の適性、この二つによって決まる。純粋な魔法の威力はマナの総量に、使える魔法の種類は適性に依存する。

　魔法には大きく分けて身体能力を強化させるような補助魔法、地水火風雷光闇属性の攻撃魔法、ヒールに代表される回復魔法、マナを凝縮させて武器を創造する具現化魔法、そして呪いのような系統不明の魔法があり、それぞれ上級魔法と下級魔法が存在する。下級魔法の場合はマナの変換効率が悪く、高威力の魔法を使う為 ため には、上級魔法に対する適性が一般的には必要不可欠。こちらもその威力によってＦからＳまでランク付けされる。

　しかし、この中で系統不明に分類される鑑定魔法だけは、唯一マナの総量に依存せず、個人の適性のみが威力を反映させる。

　特Ａ級の魔法使いは一万人に一人。上位０・０１％。

　王宮の騎士団長や副団長はこのクラスの魔法使いが務めるのが、代々決まりとなっている。

　レイアにかけられた呪いは、騎士団長クラスでも解くことが難しい。

――だが、それがどうした。

「――第１ロック……解除」

「……んぅっ！」

　魔法陣が薄青く輝きだす。

　模様は簡素になり、サイズも一回り小さくなる。

「す、すごい……呪いが縮んで……あれほど複雑な魔法陣を、いとも簡単に……！」

「これが、ゼロの大賢者……ジークフリード！」

　周囲の貴族たちが、感嘆の声を上げる。

　ゼロの大賢者か……その呼ばれ方は、久しぶりだな。

「第２ロック……解除」

　魔法陣は更に小さくなる。

　青白くなっていたレイアの顔にも、生気が戻ってくる。

　呪いを解くには、魔法陣にかけられた暗号を解読してやればいい。

　魔法陣とは端的に言えば、魔術コード――マナを魔法に変換する呪文――が具現化したものだ。つまり今回の場合、この魔法陣を構成しているコードを解除してやればいい。

――魔力を流し込んで、魔法陣を分解する。

「……第３ロック……＝０――解読終了」

　魔法陣は矢もろとも、完全に消失した。

　どうやら、矢それ自体も魔法によって構成されていたらしい。

「す、すごい……あんな複雑な暗号を、一瞬で……」

「……Ａ級 ランク の魔法使いでも、太刀打ち出来ないぞ」

「百年戦争に終止符をうち、奴隷から大賢者に成り上がった実績は、伊達ではないという

ことか……」

　気付けば、周りに貴族たちの輪が出来ていた。皆が皆、目の前で起こった出来事に、信じられないという顔をしている。

　そう言えば政治の方が忙しくて、力を使ったのは数年ぶりだな……。力を使うところを、初めて見たやつも多いのか。驚愕する貴族たちに、俺は小さく苦笑いした。

「大丈夫か、レイア」

「うん……だいぶ……よくなった……ありがとう……流石は、魔法使いの頂点……近くにいたのが、あなたで良かった」

「どういたしまして、それは良かった」

「……うん」

　お礼を言うレイア。だがどういうわけか、レイアは浮かない顔をしていた。

　唇を嚙み、俺と目を合わせようとしない。頰も僅かだが、上気しているようだ。赤い顔で、俯いている。

「どうしたレイア……まさか、まだ痛むのか」

「……いや……その……」

「ん？」

　何か言いたげに、レイアは口ごもる。俺が「なんだ？」と催促すると、躊躇いながらゆっくりと口を開く。

「その……子供っぽく……なかっただろうか」

「何がだ？」

「……下着」

　目を泳がせながら真っ赤な顔で言う。破れた衣服から覗く肌も、仄かに赤く染まっていた。

「ジークリフード様……賊を捕らえました。どうやら鼠は一匹だけのようです」 　

　背後から、声がした。ギルバルドだ。

「一匹……それは確かか」

「はい。今のところ、間違いはありません」

「そう、か。……でかした、ギルバルド」

「お褒めの言葉、有難き幸せ」

　全て、終わったと思ったわけではない。

　これで全て、解決したと楽観したわけではない。

　王宮が襲撃を受けたのは、凡そ百年振りだ。エメリアの王宮は、他国と比較し類を見ないほど、警備が厳重だ。

　まず、王宮の半径二百メートルには結界が張られており、それに触れると門番が必ず気付くことになっている。仮に結界を抜けたとしても、特別な儀式の最中は、王に忠誠を誓った騎士団たちによる重厚な警備の網が張り巡らされている。

　この百年間、襲撃未遂事件は何度も起こっているが、皆この包囲網を搔い潜 くぐ ることが出来なかった。

　しかし、今回はいとも容易く鉄壁の警備を突破されてしまった。

　おまけに、見つかった賊はたったの一人。たった一人で包囲網を突破など、そんな馬鹿な話はない。

　間違いなく、賊の裏には何者かが潜んでいる。

　だが、それでも最悪の事態を脱したのは、疑いようがないだろう。

　けれど、その判断こそが間違いであることに、翌る日俺は気付かされることになる。

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