横尾くんは踊る、ここは大海に沈み行く運命の豪華客船の上じゃないけれど



 文化祭の初日が終わり、薄暗くなってきた校庭に暖色の光が灯される。

 四中文化祭名物の後夜祭の時間だ。

 べつに特別なことをするわけではなく、キャンプファイヤー的なことをする。

 しかも本物の炎は使わずに、華やかなライトアップをするという安全面にも配慮した後夜祭となっている。


 でも、私はそんな眩いくらいの輝きを遠くから見つめるだけ。


 この後夜祭は自由参加だ。

 帰りたい人は帰ってもいいし、残りたい人は残ってもいい。

 文化祭実行委員が選曲したであろう、私の知らない洋楽がBGMで流れ出す。

 たぶん、美咲は彼氏の高橋くんと一緒に暖かな光を浴びている頃。

 私は一人、空き教室の窓から、友人や恋人たちと後夜祭に興じる学生たちを眺めていた。



「オアシスか。悪くない選曲じゃないか」



 すると、後ろの方から聞き覚えのある、ほんの少しだけ上から目線な声がする。

 とくん、とくん、と胸が高鳴る。

 ゆっくりと振り返ってみれば、そこにはやはりあの人がいた。


 ……横尾くん。まだ帰ってなかったんだね。


 私とその人以外誰もいない教室は、いつもより広く思える。


「今から帰るところさ。ちょっと荷物を置きっぱなしだったからね。君こそこんなところで何をしてるんだい?」


 若干くたびれた様子のその人は、重たい足取りでこちらにやってきて、左隣りにすっと立つ。

 日が沈み始めているせいか、顔に影がかかってよく見えない。

 でも今は、見えない方がよかった。


「……誰かと待ち合わせ、でもしてるの?」


 ううん。誰のことも待ってないよ。ただぼうっとしてただけ。

 私はそんな風に言葉を返しながら、ふと思う。

 本当に私は、誰も待っていなかったのだろうかと。

 待ち人は、今まさにそこにいるんじゃないかと。


「そう、なのか。てっきり君は、辻村か、それか他の誰かと後夜祭にでも行っていると思っていたよ」


 美咲は彼氏の高橋くんと一緒。そういう横尾くんは後夜祭行かないの?

 なんだかこうやって近くでお喋りをするのは、ずいぶんと久し振りに思える。

 だけど案外、会話は自然と続いていた。


「まさか。行くわけないだろう。僕は踊りは苦手なんだ」


 サッカーは得意なのに? 同じ足を使うスポーツじゃん、と私が言えば、君は何もわかってない、僕はボールがないと駄目なんだ、って言ってその人は笑う。

 後夜祭の音楽は、このがらんどうの教室にまで、穏やかな夕風と一緒に吹き込んでくる。


「シャンペン・スーパーノヴァ、か。僕がオアシスで一番好きな曲だ」


 私の左隣りで、その人は微笑みながら、グラウンドで思い思いに身体を揺らす皆を眺めている。

 やっぱりここは、居心地が良い。

 小さな勇気を、私は眼下の光から受け取る。



 ――じゃあさ、踊ろうよ。この曲、横尾くんは知ってるんでしょ?



 え? と左隣りの人が驚きの声を漏らすのがわかる。

 でも私は顔を窓の外に向けたまま、返事を待つ。 

 どうにも今だけは、真っ直ぐに彼の顔を見れない気がしていた。


「いやいや、その理屈はおかしい。曲を知ってたからって、踊れるとはならないだろう。なにを言っているんだ君は」


 ここには今、私たちしかいないよ。だから何も恥ずかしがることなんてないよ。

 本当は一番恥ずかしがってるくせに、私は素知らぬ顔でそんなことを口にする。

 

「本気、なのかい?」


 私、明日の演劇で踊りのシーンあるからさ、その練習だと思ってよ。

 そこまで言うと、その人はわかったといって、緊張した面持ちで私の方に身体を向ける。

 ここでやっと私も彼の方を向く。


 重なる視線。一瞬時が止まる。


 もっと音楽を大きくして欲しい。じゃないと私の心臓の歌声が漏れてしまうから。



「では、えと……シャル、ウィ、ダンス?」



 なにそれ。変にかっこつけないでよ、恥ずかしいじゃん。


 私は笑いながら差し出された手を取る。

 


 ここは大海に沈み行く運命の豪華客船の上じゃない。


 

 だけど、今は、彼と、横尾くんと一緒なら、誰よりも上手に踊れる気がしていた。





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