藤森は謝罪する、信頼している理由がわかったと
空き教室の窓から覗く空は、すっかり十月の抜け晴れに染まっていた。
壁に寄り掛かりながら今年の演劇部の脚本を眺め、私はレオナルド・ディカプリオの端整な相貌を思い返している。
今月末に中学校生活最後の文化祭が迫っている。
それはつまり私の所属する演劇部としての活動も、フィナーレが近づいているということにだ。
だけど私はどうしてか、いまだ気持ち半端な上の空だった。
「――だ先輩! 本田先輩! あたしの話ちゃんと聞いてますか!?」
はっと、そこで私の脳に遅れて情報が伝わってくる。
慌てて目の焦点を合わせれば、そこには腰の辺りに両手をついてふくれっ面をする演劇部の後輩の姿があった。
男勝りなベリーショートに、女子の中でも小柄な体躯。
目尻も眉もキッと上がった、目力の強い彼女の名は
一年生ながら、今年の文化祭公演のヒロイン役を射止めた期待のルーキーだ。
もっとも、私たち四中演劇部の部員は一桁しかいないけれど。
「まったく、もうすぐ文化祭だっていうのに、本田先輩全然集中してないじゃないですか。本当に大丈夫なんですか? 本田先輩が主役も主役、レオ様役なんですよ!? まだ修学旅行気分が抜けてないなら、早くそのおいでやすー、で染まった頭を切り替えてください!」
ごめん、ごめん、ちょっとぼうっとしてて。
お得意のマシンガントークで責め立ててくる、我が四中演劇部のケイト・ウィンスレットこと藤森後輩に対して私は素直に頭を下げる。
この一年生はご覧の通り、アメリカ育ちかと思うほど年齢関係なく個性を主張してくる子で、私は結構好きなタイプの子だった。
「本田先輩、台詞とかちゃんと覚えたんですか? そろそろせめてあたしたちメイン二くらいは合わせやりたいんですけど?」
ん、台詞ならばっちこい。いつでもいけるよ。ちょっとまだ気持ちは入れられてないけど。
一応自分の意志で入った演劇部というわけで、活動自体には真面目に参加している。
でも藤森後輩はまだ私を信用していないようで、胡散臭そうにジトっとした目をこちらに送っていた。
さすが私。後輩からの信頼がまったくないぞ。
「本田先輩ってやる気あるんですか? いつもぼけっとしてるだけじゃないですか。正直、他の部員の人達が先輩をレオ様役に推薦した理由があたしにはわかりません。……“私、考えを変えたわ”」
突如、藤森後輩の口調と雰囲気が変化する。
いいじゃない。やっぱり私、この子が結構好きかも。
“僕の手を取って。瞳を閉じて。そのまま。そう。閉じ続けて。薄目をあけちゃだめだよ?”
短い息継ぎ。
私も声を変える。
「えっ!? ……“大丈夫。そんなことしないわ。ちゃんと閉じてる”」
少し意外そうな顔をする藤森後輩。
でも彼女はすぐに気を取り直す。
だから私も物語の続きを紡ぐ。
“そのまま。そのまま閉じ続けて。瞳を閉じて。……君は僕を信じるかい?”
――君は僕を信じるかい?
その台詞はたしかに私の口から出たのに、全く別の顔が微笑みながらその台詞を言っているように思えてしまう。
「“ええ。私、あなたを信じるわ”」
――私、あなたを信じるわ。
その台詞は間違いなく藤森後輩の口から発せられたのに、不思議と自分が言ったかのように錯覚してしまう。
“いいよ、じゃあ瞳をあけて”
それはきっと、あの人が、私の前に、中にいたから。
「……す、すごい。本田先輩、台詞ばっちりじゃないですか。申し訳ありませんでした。あたし、とても失礼なことを言ってしまいましたね。本当にすいません。皆さんが本田先輩のことを信頼している理由がわかりました」
そこまで寸劇を続けると、藤森後輩は真面目な顔をして深く頭を下げる。
彼女はどこまでも素直な性格をしていた。
それが私は、とても羨ましい。
“私、飛んでいるわ、ジャック”
本当は最後にそう続く台詞。
私にとってのジャックは、秋が冬の気配を感じ始めていても、まだ隣りには戻ってきていない。
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