2-22【あの山を登るために必要な船頭の数13:~ 強き者 ~】





 唐突に行われたその宣言があまりに唐突で意味不明だったから、俺は止めるタイミングを逸してしまった。

 いきなり強烈な魔力が俺達の体の内側から膨れ上がり、その圧力に肩の上のリャーダが悲鳴を上げる。

 だが、このタイミングでなぜ!?


「ヴァロア男爵!!」


 即座に”異変”に気づいたスマイソン大尉が叫ぶ。

 彼が気づいたということは当然、他の主戦力達も気づいたということで、大通りを彷徨っていた強者たちの注目が、一斉に俺達に降り注ぎその威圧に俺の肝が縮みそうになる。

 だが、モニカの肝はそんな些末な注目など気にもとめないとばかりに魔力は膨らみ続け、そしてその魔力を一箇所に集め始めた。


 ガブリエラの卒業後も高出力魔力の操作を練習し続けたことで、モニカの魔力操作能力は俺なしでも・・・いや俺の妨害下 ・・・でもかなりのものになっている。

 だから離れた位置に魔力溜まりを作り出す事など、造作はなかった。

 それが例え、”魔王の眼前”であっても。


 唐突に現れたこれまでとは比較にならない程の黒い影に、魔王の瞳に恐怖が再び現れる。

 俺達の周囲の兵士達が、隠れている者まで含めて一斉に動き出したのは、言うまでもない。


 だがモニカは、”それ以上の事”は何もしなかった。

 だからこそ、この場にいる”強者達”はモニカの行動を止めることはできなかったのだろう。

 これが自身が動いて割って入ろうものなら、即座に三方から特級戦力の総攻撃を食らったに違いない。


 暴徒が鎮圧され始め、魔王の周囲の護衛達で最も強い侍従の意識が、魔王から離れた瞬間に割り込んだ強大な黒色の魔力の塊が、辺りを黒く照らしていた。

 だが、皆の視線はすぐに魔力そのものから、その中に浮かんだ”黒い筋”へと移ることになる。


 その姿が顕になった瞬間、今日初めて大魔将軍の顔に驚愕が走った。



 魔力の中に浮かび上がったのは、幾筋もの尖った黒いつぶて

 少し大きなクナイのようなその礫の群れが、誰にも気づかれることなく、明らかに致命的な速度で魔王に向かって飛んでいた。

 それはこれまでと違い、明らかに魔王の命を狙った攻撃だ。


 刹那の中で魔王の目が大きく見開かられたのは、彼の者が一応”アクリラ卒業生”ということの現れだろう。

 だが反応して避けるほどの実力は無いらしい。

 まあ反応できたとして、舞台車の上半分を残らず穴だらけにしてしまいそうなほどの量を避け切れるかは、別問題だろうが。


 恐るべきは、魔王の目の前に迫るまで、シセル・アルネスを含めた全員の目をすり抜けていた事だろう。

 おそらくモニカが魔力を撒かなければ、存在にも気づけなかったに違いない。

 

 唐突に前方に伸びていた舞台車の鼻先が、雨に撃ち抜かれたように穴だらけになる。

 モニカの”魔力の壁”の外を飛んでいた”礫”が、着弾を始めたのだ。

 その光景にシセル・アルネスの額の三眼が更に大きく見開かれる。

 魔人の三眼をもってしても、場所が分かっている程度では見えないということか。

 

 だが魔王を殺すためであろう物理的特性が、モニカの濃密な魔力の壁を抜ける際には裏目に出た。

 どれだけ感知能力を掻い潜ることが可能でも、接触した対象を傷つけるということは、その前に何かを置かれてすり抜けることはできないということだ。

 礫の速度は音速は超えているので常人にできることはないが、鍛えられた魔人に見つかって只で済むほどではない。


 モニカもそれ以上何かをすることはなかった。


 

 猛烈な”風”が魔王に向かって吹き付ける。

 もちろん、ただの風ではない。

 だが、その動きはあまりにも鮮烈で、そしてあまりに優雅だった。


 一般人が認知できたのは、魔国兵を指揮していた侍従の装飾的な上着があまりの速度についていけずに破れ、その場に花が咲くように舞ったことくらいだろう。

 一方の俺達、特にモニカが見たその”内側”は強烈だった。


 ただの”侍従”ではないのはもう既に理解していたが、ただの”実力者”でもなかったのだ。

 侍従服の下から現れたのは、一切の無駄を感じさせぬ引き締まった肉体が、内側の強力な筋肉に揺さぶられ嵐の海のように波打つところ。


 地面を1回、空中を2回蹴って加速したその魔人は、一瞬で凶弾の雨を追い抜かして最速で魔王の前に辿り着くと、勢いを全て持っていた棒に移し替えるような動きで最接近していた礫を弾き飛ばし、そのまま次々に襲いくる攻撃を払い始めた。


 その動きは、前方の魔国兵達のそれを遥かに凌ぐもので、一目でこの人がとんでもない”棒術の達人”であることが分かる。

 魔力強化込みのモニカよりは遅いが、洗練された動きで最適化されているおかげで、実際に放たれる攻撃の数は倍以上多いだろうか。

 礫の雨が見えるのはモニカの撒いた魔力の壁を通るときだけで、手元ではまた見えなくなっているというのに、それだけあれば十分とばかりに次々に落としていた。


 だが、


「あ・・・」


 モニカが声を出して目を見開く。

 今回は珍しく俺も直感的にそれを察知した。

 あの魔人の動きはより洗練されてはいるが、やってる事は完全にモニカが普段行っている棒術の”形”をなぞっていて、だからその意味や次の行動も俺達には手に取るように分かる。

 だが、今選んだ形に入ってしまうと、次に取れる形に制限が出てしまい間に合わない礫が出てきてしまうのだ。


 具体的には10発・・・今落としたのから9発後が間に合わない。


 見える時間が短すぎて読みを誤ったか。

 だが、9発後といっても1秒間に100発近く着弾している中での9発だ、俺達が気づいてももう間に合わない。

 さりとてここで強引に形を変えても、今度はその間隙に8発が魔王に命中してしまう。


 舞台車の前のシセル・アルネスは動いていない。

 気づいてないのか?


 だから魔人はその形を強行した。

 流れる動きで3発を一薙ぎし、反対側で同時に4発を弾き飛ばす。

 問題は次と”その次”だ。


 俺達なら”次”は捨てる。

 当たっても左足が砕け散るだけだからだ、だが”その次”は額が砕ける。

 だが、その魔人は俺達とは異なる選択をした。


 なんと、その形のまま”次”の一発を打ち払ったのだ。

 これでは”その次”が間に合わない。

 優雅に棒を振り抜いた魔人の後ろを、礫が高速で通過する。

 凶弾と魔王の間に立ち塞がるものは何もない。

 力いっぱいに棒を振り抜いたせいで、届かないのだ

 

 ”モニカの技術”では。



 その瞬間、俺達は世界が歪んだかと思った。

 あまりに”形”に囚われすぎたせいで、その先の行動を脳が処理しきれなかったのだろう。

 魔人は振り抜いた棒を、驚いたことに更に加速させたかと思うと、そのままの勢いに引き摺られるように空中で転けた・・・

 もちろん意図的な転倒だ。

 だが、おかげで魔人の体制は全く異なる状態に変化する。


 舞台車の床を”天井”、無限に広がる大空を”大地”と考えるなら、この、勢いがついた状態の棒を前に持ってこれる態勢は、棒術の別の基本の形を行うのに最適ではないか?

 しかもそこには、先程の一撃の運動エネルギーが丸々残っている。

 これならば、次の100発が容易に処理できるだろう。


 魔人がそこから棒を振り、後続の数発を先に弾いてから、魔王の額ギリギリまで迫った礫を叩き落とすと、そのまま”空中の床”を踊るように蹴りながら、続く攻撃を排除していく。


 モニカの中を”恐ろしいものを見た”という感情が駆け抜け、ある意味で呆けた様に、実態としては心を鷲掴みにされ憧念に満ちた表情で、魔人の棒術に魅入っている。

 

 その魔人の棒術は、”術者と棒の一体化”などという低次元のそれではなく、完全に”棒だけが意思を持って動いている”状態だった。

 そこに魔人の姿が浮かび上がらない。

 魔人が態勢を強引に変えながら形を繋げる為、全ての攻撃が”一つの動き”に繋がっている。

 そうなると、意味不明な術者の動きの方を頭が除外し、認識が棒の動きだけで塗り潰されるのだ。


 ・・・この動きどこかで見たな・・・あ、スコット先生とかエリクの”謎の剣術”とやってる事は近いのか。

 この世界の”達人”というのは、どうも攻撃を繋げたくなるらしい。

 だが、エリクより遥かに、そして恐ろしいことにスコット先生よりも、その魔人の動きは”確固たるもの”を感じさせているではないか。


 まだ、雨のような礫の攻撃は止む様子を見せないが、この魔人を抜ける光景は1ミリ・・・ほども想像がつかない。

 ・・・くそっ、衝撃的すぎてうっかり”メートル法”を使っちまったじゃないか、これだから癖ってやつは・・・



『・・・さて、最悪の事態に一段落が見えたところで、問題はこれからだ』


 俺がそう言うと、モニカが少し名残惜しそうに意識を魔人から外す。

 魔王の安全が確保できたところで、今この場で一番ヤバイのは誰だろうか?


 勿論俺達 ・・である。


 何せ、これだけの群衆が狂うほどの”黒い魔力”がバラ撒かれ、その上、魔王の警護が薄くなった途端にあからさまに大量の魔力をバラ撒いたと思ったら、その魔力から魔王に向かって高速の礫が大量発射された(ようにしか見えない)のだ。

 では誰が犯人だろうか?


 容疑者は1人、これだけの量の魔力を持っていて、しかも魔王と敵対していて、その上魔力の前に魔力をバラ撒いたと所をバッチリ押さえられているときたもんだ。

 ほら、あの魔人さんだって、棒を振りながら余裕が出来るたびにこちらを凄い表情で睨むではないか。

 たぶん間違いなく俺達の攻撃だと思ってるのだろう。

 礫が魔力を通過してるのを見てるといっても、その魔力から湧いて出ているのではないと見分けるのは不可能に近いからな。


 最も近くにいた者ですらそれなのだから、他の者の状況は推して知るべしであろう。



 気がついたときには、どこからともなく現れたトルバ兵にズラリと取り囲まれていた。

 全員が実力者・・・上位のエリート級以上だ。

 たぶん俺達が来たことで急遽追加された戦力ということか。

 さすがに武器の類は見せていないが、発動直前の魔法をいくつも観測できた。


 エリクとスコット先生が苦い顔でそれに対峙する。

 だが、”問題”はそれではない。


『モニカ!! ”高出力魔力源”が接近してる!! 魔導騎士の2人がこっちに向かってるぞ!!』


 魔王の方は大魔将軍とあの魔人でどうにかなる。

 となれば余った特級戦力は、”原因排除”に動くのが常道だろう。


 俺のスキルに凄まじいエネルギーの膨れ上がりが2つ映り込む。

 それがとんでもない勢いでこっちに向かっていた。

 間違いなく、デニス・ノリエガとダニエル・ライドである。

 トルバ最強格が少女相手に出して良い出力ではないが、向こうは”俺達の実力”を知っているだけに、手加減してもらえる訳もない。


 だが、これはヤバイな。


 何がヤバイって、スコット先生のフォローが間に合いそうにないのだ。

 さすが特級戦力、速度も威力も尋常ではない。

 俺達だって思考加速で何とか感知は追いつくが、戦闘モードに移行していない体の方が追いつきそうにない。

 あっという間に、視界の端から剣を魔力でバチバチと光らせた剣士の姿が現れた。

 どっちも魔力を全開にしているので、魔力光に隠れて見た目じゃどっちがどっちだか分からない。


 もちろん、あんな攻撃をまともに受けては、只では済まないだろう。

 殺気がないので寸止するつもりかもしれんが、これじゃ余波で死ねるぞ。


 俺は慌てて対応策をチェックする。

 幸い、【パッシブ防御】が”グラディエーター”と強化装甲製の緩衝材の準備を進めていた。

 これなら間にあ・・・


 その瞬間、せっかく用意していた対応策が唐突に流れ込んだモニカの魔力で霧散した。


『おい!? なに考えて・・・』

『これでいい!!』


 モニカが俺に向かってそう叫ぶ。


『正気か!?』


 俺がそう返しながら、強引に対応策の強行を図る。

 だが、魔導剣士達の動きはあまりに速く、今からでは間に合うわけがない。

 万策尽きた。


 魔導剣士達が俺達の眼前に到達し、剣を一気に振り下ろす。

 極限まで加速されたその剣先は、俺の感知能力すら振り切っていた。

 明らかに本気かそれに準ずる一閃。

 これでは仮に防御策が間に合っていたとしても、防げたかは怪しいだろう。



 そんなことだから、俺がその剣以上の速度で接近してくる物体に気がつけなくても、ご容赦願いたい。


 

 強烈な金属音が俺達の前で炸裂し、肩に乗せていたリャーダが悲鳴を上げる。


 閃光を伴うほどの爆音を上げながら現れたのは、俺達の首筋手前で止まる2本の剣とそれを握る2人の超剣士の姿。

 体格が変わって見えるほどの大きな魔導鎧に身を包んだ彼等の手には、それぞれ見事なまでの剣が握られている。

 手持ちの資料の通りなら、向こうが透けて見えるかと思うほど薄い白の細剣が、デニス・ノリエガの”トーラス”。

 キザギザの棘が生えたような刃を持つ金色の大剣が、ダニエル・ライドの”パーシング”だろう。

 魔道鎧はもちろん、ヴィオの視覚データに記録されていた”アルテミス”の色違いだ。


 どちらも剣身から、身が焦げるのではと思うほどの魔力が迸り、俺達の強化装甲を容易く切り裂けると思わせる威圧感を放っている。

 いや、間違いなく俺達の防御を貫通できるだろう。

 そして恐ろしいことに、その攻撃は間違いなく俺達を捉えているはずだった。


 だが、その2本の剣は空中に縫い付けられたかのように、ピクリとも動かない。



「落ち着けわっぱ共」


 俺達の”上”から声がかかる。

 見上げるとそこには、2本の剣を足の指で抑えながらその上に腕を組んで立つ、圧倒的な魔人の姿があった。


「「・・・!?」」


 魔導鎧の兜の向こうから、デニス・ノリエガとダニエル・ライドが息を飲む音が聞こえてくる。

 彼等も”今”気づいたのだ。

 いや、この場でこの魔人の出現に驚かなかったのはモニカ以外いない。


「・・・シセル・・・アルネス」


 モニカが、特級戦力2人の攻撃を一瞬で止めた魔人の名前を告げる。

 誰が来たのか分かった瞬間、全員の緊張が一気に膨れ上がり、それに耐えきれなかった肩の上の少女リャーダが失神するのを感じ、あわてて俺がフロウの触手で支える。


「なぜ・・・我らを止める?」


 ”デニス・ノリエガ”がそう問いながら剣に力を込める。

 だが、”大魔将軍”に足の指で抑え込まれた剣は、全く動く気配がない。

 すると”シセル・アルネス”はその様子を、少し失望したような瞳で見てから問に答えた。


「陛下を襲ったのは、この者ではない。

 ・・・むしろ、この者の警告がなければ危なかった」


 ご冗談を・・・


 俺は心の中でそう皮肉る。

 ”危なかった”なんてよくもぬけぬけと言えたものだ。


 今の動き・・・・、魔導剣士達の剣がほとんど今の位置に到達した段階でも、シセルはまだ舞台車の前に立っていた。

 そんな速度が出るのなら、最初の礫が舞台車に当たってからでも余裕で間に合っただろう。

 あの、マグヌスのサルモネラ・・・・・将軍と互角か、少なくとも近しいレベルの速度なのは間違いない。

 だが特化型と思われる”軍位スキル”に、なんで”素”の能力が匹敵しているのか。


 俺が心の内で、苦い仮想顔を作っていると、シセルの向こうに最後の礫を撃ち落とす魔人の姿が見えた。

 その魔人が油断なく周囲を確認してから、こちらをキッと睨むと、俺達に襲い掛かろうと身を屈めた。

 だがその動きを、シセルが手を上げて制する。

 魔人が不審な表情を作るが、シセルはそれに対してジェスチャーで”服を着ろ”と返した。


 魔人が自分の格好を見下ろし、少しバツの悪そうな顔になる。

 あの超絶的な動きに儀礼服がついてくるわけもなく、魔人が纏っているのは、もはや切れ端と呼んだほうが近い肌着のみ。


 魔王が慌てて隠す様に自分の上着をその魔人に被せ、魔王以上に慌てたもう一人の侍従がどこからか出した布を被せる。

 どうやらこちらの侍従は”達人”ということはないらしく、見た目通りの”侍従”らしい。


「この者の存在は認められぬが、このような形で殺すために来たのではない」


 シセルが抑え込んでいた2人の魔道剣士にそう言うと、2人は疑わし気に聞き返す。


「・・・見ていたでしょ? 彼女以上の容疑者はいない」


 ノリエガ将軍の言葉に周囲の者達が同調する。

 だがそれを、シセルは一睨みで黙らせた。


「まさか私に”見”を説くとはな。 魔道鎧にそのような改善が施されているとは知らなかったぞ」


 そう言いながら額の三眼を紫色に怪しく光らせる。

 間違いなく、あの目はヤバい。

 そしてその目が、俺達を一瞬見てからそのすぐ後ろでピタリと止まる。


「久しいな。 強敵ともよ」


 シセルはスコット先生を見ながら、どこか懐かしむような声を出す。

 その声はこの怪物から出てきたとは思えないほど親しげだった。

 だが、対称的にスコット先生の顔は青く、冷や汗の量が増えている。


 ”こんなものと比較されてきたのか”


 俺達の肩を掴むスコット先生の手は、そんな言葉を叫ぶように微かに震えていた。


「まさか、そなたの足を潰した事を嘆く日が来るとはな。

 今の”魔導騎士団員”は力ばかりで、どうも眼力が足りていない」


 シセルは最後にそう言うなり体を空中でグイッと捻ると、その反動を使って魔導剣士の2人を俺達から遠ざける方向に吹き飛ばした。


「・・・っく!?」

「何をする!」


 流石にその程度で膝をつくことはないが、プライドをズタズタにされた”トルバ最強格”の2人が、揃って悪態を放つ。

 だが、シセルはそれを鼻で笑った。


「そなた等はまずこの場を収めよ。 それは我らにできることではない」


 そう言ってシセルが大通りを指差す。

 いつの間にか俺達のいる場所だけ蚊帳の外だったが、通りは依然として大混乱の渦の中だ。

 あの魔人が舞台車の上から魔王を避難させているが、まだ舞台車に群がる暴徒は少なくない。


 ただ、その状態は長続きしないだろうが。


 俺の観測スキルが、急速に濃度を薄めていく黒の魔力を検知し続けていた。

 どこの誰かは分からないが、魔王が殺せなかった事を悟って魔力供給を止めたのだろう。


「急げ!! 証拠がなくなるぞ!!」


 それに気づいたシセルが最後にそんな発破をかけると、周囲のトルバ兵達がビシッと背筋を伸ばし、思い出したかのように元の持ち場に戻り始めた。

 魔導剣士の2人も流石にこれ以上の追求より、事態の収拾が優先と判断したらしい。

 ふてくされたような声でスマイソン大尉に俺達を任せると、そのまま立ち去っていったのだ。


 それを見届けたシセルが、徐ろにこちらに目を向けた。

 その眼力に俺達は身構える。

 だが殺気はない。


「・・・さて、警告だけとはいえ、”借り”は借りだ。

 今後のために、早めに返しておこうか」


 シセルはそう言うなり、額の三眼をパチリと閉じた。

 その瞬間、せっかく収まりかけていた大通りに再び悲鳴が木霊する。


 突如として空に雲が張って黒くなったかと思うと、そこに一筋の切れ目が走って開き、中から鏡面の様にツルリとした何かが姿を現したのだ。


『なっ!?』


 その余りに出鱈目なスケール感のせいで、それが大きさ数㌔ブルを超える、巨大な”目”で有ることに気づいたのは、天空の街かと思うほど巨大な瞳に見つめられてからだった。


 天を覆い尽くす瞳の視線が俺達の体を貫く。

 ”それ”はハッキリと俺達を見ていた。

 俺達の表面も、その内部も、・・・ひょっとすると”俺”すらも?

 ”神の目”という形容がこれ程に似合う存在にこれ程マジマジと見つめられて、果たして実態がなくモニカの内側にいるというだけで、逃れることができるとは思えなかった。


 ”蛇に睨まれた蛙”ならぬ、”天に睨まれた俺達”は、当然のように息をすることすらできぬほど固まっている。

 スコット先生もエリクも、周囲の者達も。

 皆、その視線が俺達から外れることを恐れているかのようだった。

 

 実際には2秒もなかったと記録されている永遠のような時間、天の瞳は俺達を見つめ、その後一瞬だけどこかに視線を動かしたかと思うと、そこで何かを見つけたのかゆっくりと巨大な瞼を閉じた。

 それに反応するように、シセルの額の三眼が再び開く。


「・・・来た道を戻り、ガーレン通りに並行する裏通りを探すといい」


 シセルはそれだけ言い残すと、舞台車の方へと去っていった。



『たすかった・・・のか?』


 ようやく俺がそんな口をきけるようになったのは、大魔将軍の姿が見えなくなった頃だった。


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